葬儀
急な葬儀がはいる。だいたい葬儀は急なものだが、事前のご依頼もなく予定外である。一旦はお断りをしたが、いろいろな経緯があったが、奥様やご長男様からの強い願いもあって、引き受けることとなった。引き受けた以上、精一杯勤めさせてもらった。
長距離で移動も3ケ月ぶりでの府県をまたいだ。宿泊での法縁も3月9日以来。その時と同じ豊岡市の日高での葬儀。同じビジネスホテル、部屋まで同じだった。
もっとも、昨日今日のおつきあいではない。通夜の席で、参列者を振り返ってご法話を始めたとき、「ああ、ここに立つだけの深いご因縁のある方だったな」と思った。そのことには間違いはなく、お子さまだけでく、ご親戚も、大方がお顔見知りの、それぞれご因縁のあるお方。華光の同人方も、皆さんお参りくださっていた。
お互いの親世代が華光会館創建前からのつながりがある。今日、華光会での永代経法要や聞法旅行(始まりは御旧跡巡拝)があるのも、すべて責任役員であった故人のお父様の強い提案があったからだ。故人のお兄さんは、華光でもよく知られた強信の方であった。また奥様側もお姉様方も、またよく知られた喜び手である。もっというなら、故人のお兄様、奥様のお姉様には、ぼくがもっともお世話になって育ててもらったお同行様なのた。そして、故人もまた若いときは、華光会館にも下宿され、うち父から仏法だけでなく、「商売」の基礎を教えてもらったというのである。それで常々、「私の基礎は会館で身につけてもらった」と言われていた。そして、仏法よりも、商売の上で成功を納められただ。お子さまともお孫さまとも、子供大会や日曜学校で、子供の時からのつながりがある。
がしかし残念ながら、故人とお念仏のことで腹を割って語りあったことは一度もなかった。だから、真宗のご安心のお領解で、弥陀の本願一つに焦点が定まっていたかどうかは、分からない。ただ仏法を大切にされたご生涯だったといのは間違いない。地域のお寺(国分寺)を再興にたいへんな力を注がれていた。華光に対しても同じである。そういうお世話をせずにおれない、何かがあったのだろう。その意味で、この方も外護の善知識のお一人である。
どうか、遺族の皆様へのご法縁が続くことを願っている。
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