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東海支部zoom法座+会館法話

 名古屋のお寺での予定されていた東海支部法座は、Zoomでのライブ配信法座となった。

 支部法座では初のZoomライブ゙配信。名古屋に行かず京都から法話を送る。画面の中には、東海支部の岐阜、愛知、三重の面々が並んでおられる。せっかくなので会館にも、京都や大阪の同人に集まってもらい、法話を聞いて頂いた。ぼくもその方が話しやすい。ただ明日は京都支部法座があるので、会館への参詣者は少なめだった。メーンはあくまで東海支部の方々で、会館組はおまけだ。 
 
 法話の中心は、先程京都新聞に掲載された売れ子の若手の本願寺派僧侶の「コロナ不安に効く、仏教の教え」を批判的に頂いた。個人的攻撃が目的ではない。たとえそれが不安に負けない心の持ち方によって、苦しみが癒されたり、生きていくことに役に立ったり、不安に効果があったとしても、そんなことは仏教でも真宗のお法りではない。自分に都合よく役に立つとか、効果かあるとかという点から仏教や真宗の教えを聞くのは本末転倒。そのうえで「後生の一大事」(死という行き先は決まっていて避けられない。だからこそ生きている今を大切に生きよ)「諸行無常」(明けない夜明けはない)「諸法無我」(決して一人ではない)などと仏教の旗印になるお言葉まで、今の自分に都合よく曲解されているのだから、まったく論外といわねばならない。

 教えとは、自分の都合で聞いたり、都合よく取捨選択するでのなはない。自分のほんとうの姿を聞くのであるから、それが自分にとっては不都合であったとしても、その不都合の真実を、頭を垂れて聞く以外にはないのだ。仏教の教えを「聞く」とは、効果や効率の「効く」という今生の物差しとは、まったく別なのである。

 では、改めて「後生の一大事」とは何か。巻頭言集の西光先生「一大事ということ」を基にいただいた。 ここが肝だが、いま一番なし崩しになってきているところだ。

 

 

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