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土曜日のzoom信仰座談会(4)

 土曜日のzoom信仰座談会。4回目となると少しずつ、何かいい雰囲気になってきた。それぞれが心を開いてきて、率直に表明されている。このことをきっかけに、いろいろとこころが動いたことを表明してくださる方もある。ある意味、エンカウンター(出会い)のグループのようになってきている。

 しかし単なる心理的なエンカウンター(出会い)ではない。仏法のこと、自分のこと、いろいろと話してみても、最後は、法(具体的に南無阿弥陀仏)に帰っていけるかどうかである。何かをお伝えする、何かを喜ぶ、といっても、自分が頑張るのでも、自分が感じて終わるのでもない。最後は、すべて南無阿弥陀仏に帰っていけるのか。そうなると、「私がこう感じた」とか、「私がこう動いた、関わった」などということも、すべて南無阿弥陀仏のお働きということになる。こうなると、人間の言葉で何もいえなくなる。言えなっくなった時にも、ちゃんと用意されている言葉がある。それが南無阿弥陀仏である。もしどんなに有り難いご縁も、尊い言葉も、最後に南無阿弥陀仏に帰っていくことがないのなら、悪臭を放つ我執のなせるものである。抽象的で悪いが、結局、ぼくは、ここのところを聞かせてもらっている。どんな飾った美辞麗句も,法悦の言葉も、私(人間)のところでとどまったら単なる我執なのである。そんなことを感じさせてもらった。南無阿弥陀仏

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