インド仏跡(29)祇園精舎(サヘ―ト)
●祇園精舎跡(サヘート)●八大聖地
舎衛城(マヘート)からは1㎞離れてあるのが、有名な祇園精舎跡だ。これまた有名なおいわれを紹介しておく。
この地にスダッタ(須達多)という長者がいました。貧しい、孤独な人に食物を与えたり、者をほどこしていたので、アナータピンディカ(給孤独)と呼ばれ、慕われていました。ある時、スダッタが商用で言った王舎城で、釈尊の説法を聞き感動して、釈尊に帰依して、釈尊をコーサラ国へ招待しました。スダッタは、釈尊の精舎を建てる場所は、コーサラ国のジェータ太子の所領地、ジェータの森しかないと、太子に交渉します。
しかし太子は売ろうとはしませんでした。それで、冗談半分に「もしその敷地に、黄金を敷きつめたらそこだけ譲ろう」とふっかけます。大喜びしたスダッタは、早速、私財を投げ出し、牛車何台にも黄金を積んで並べ始めたのでした。驚いた太子、スダッタの熱意にうたれて、この土地を寄進。スダッタと精舎を造ったというのです。
祇園精舎の正式名は、「祇樹給孤独園」(ジェータヴァナ・アナータピンディカッサ・アーラーマ)で、「ジェータ太子」と、「スダッタ長者(給孤独」)の両名の名前に由来する。それが、2500年もたった日本の各地(京都の祇園や、博多にも)その名が受け継がれいる。布施の力はおそるべしです。
とても静かな、そして青空の広がる聖地で、猿の楽園となっていた。霊鷲山て見たのとは、また違う種類ですね。猿以外にも、リスやさまざまな小鳥が飛び交っていて、気持ちのいい公園となっている。
この地を釈尊せたいへんのこの地を気に入られ、成道後第14年の雨期を最初に、成道20年以降、19回もこの祇園精舎で安居を過されたといる。でも、ただ釈尊お独りはなく、お供の大勢の比丘もおられるわけですから、サンガにお布施をするたそめには、いかにこの都の豪商達が経済的に豊かで、舎衛城が栄えていなければ出来いこと。
5世紀のはじめの「法顕伝」は、「池流清浄、材木なお茂り、衆華色を異にして、蔚然として観るべし。即ちいわゆる祇園精舎なり。……精舎を繞り98の僧伽藍あり、尽く僧の住すあり」。とその盛んな様子を記している。
しかし、200年後に訪れた玄奘は、「伽藍は、外道の人々は甚だ多い」と、すでに荒廃していることを伝えている。
この遺跡も、1863年にカニンガムによって発掘され、確定された釈尊の多くの遺跡の中で、もっとも確実性のあるものだとか。早くから発掘整備されたこともあり、とてもきれいな、そして静か公園で、たぶん39年前といちばん変わっていないのが印象的。
中央よりやや北よりに、釈尊がしばしば滞在されたガンダー・クティー(香殿)、周囲には、多くの精舎跡、そしてアーナンダツリーにも参拝。
ここで、私達は『仏説阿弥陀経』を勤行。『阿弥陀経』は、今生の別れとなる舎利弗尊者に向け、問を待たずに説かれた「無問自説の経」で、釈尊の「一代結経」と呼ばれる。親鸞様は、『大無量寿経』と並んで「出世本懐経」だご覧になられている。
気持ちよい天候のなかで、仏跡の最後となるのでお勤めを、力一杯勤めた。勤行が始まると、猿が多く集まってきたのが印象的(荷物の中身を盜られた方もあった)。
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