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運営委員会~永代経は延期~

  いよいよコロナウィルスの感染拡大が深刻になってきた。テレビをつけても、ネットをみても、ニュースはコロナ一色。近々緊急事態宣言が発動される見通しにもなった。 こんな状況で、GM中の永代経法要を開催できるのか。例年は3日間で130~50名のお参りがある。しかも寝食を共にする方もある。法要もあるので、道場に前は、法中の席となり、法要中はかなり詰めて座ってもらう。今年は、修繕事業の記念法要も計画していた。ただ申込みの出足はかなり悪い。もしこのまま開催しても、30~40名の参加しかないかもしれい。それでも全国各地からの人と人との接触が濃厚になる。

 形態を変えて行うのか、それとも中止や延期をするのか。3月20日以降、行事や法座の中止が続いているので、今後の行事予定も見直さねばならない。 

 あらかじめ役員MLを使って意見出していただき、その上でスカイプでのネット会議を行うつもりだったが、全員のネット環境が整わなかった。これはこれからの課題だ。というわけで、委員長、副委員長、そして事務局のTさんと、ぼくの4名が集まって会議。全員、マスク着用し、机も4つ並べて、1人が1つずつ間隔をあけて坐る。かなり異様な光景だが、これが今のスタイル。

 真宗の法座が、不要不急なものなのか。法要や法話は、ネット中継で代用できるが座談会はどうか。ただ、人が集まるからやめるのでは、「後生の一大事」の看板が、簡単に譲ることにならないか。悟朗先生ならどうされたかという声もでる。もちろん、ぼくもそこは常々考えてるところで、そこが師をもった者の幸せである。

 つくづくと顔を合せて話し合うことが、如何に大切かということを思い知らされた。もちろん、メールやラインでのやりとりで事は足りる。しかし、遇わなければわからない、機微というのを感じることもあれはば、触発されて考えが変わることもある。今回のように、これが「正解」というものがない以上、あれや、これや、ああでもない、こうでもないというプロセスこそが大切だ思う。

 個人的には、これを機会に法座の有り様もかえてみたいと思った。あまり活気のない法座で時間を使うよりも、少人数(6名程度)の小さな集りを、きめ細かく開いていきたいと思った。直接的なコミニケーション、しかもグループの力のようなものの重要さを想うのだ。もし今開くなら、「一蓮托生の会」はどうだろうかなも思ったが、当面は、おとなしく自粛することになりそうだ。

 結局は、永代経法要はGM中は取りやめて、9月に延期の決定。もちろん、9月も開けるどうかはかなり不確定。まあ、その時は、その時として考えればいい。他の集いについてもそれそれの状況や地域の判断で、ギリギリまで考え、待つことにした。

 新手目て法座をもつ意義や覚悟が問われているのである。南無阿弥陀仏

 

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