インド仏跡(33)~ジャイナ教の出家者(2)~
ところで、成道前の釈尊の苦行を伝える経典には、「身には衣服を着けず、常に裸体」で、「魚・肉・酒をとらず、一日一食より始めて半月に一食をとるに至った」。そして「常にひげや頭髪を抜きとる」などの苦行に徹して、「不注意から、小さな生物を殺さぬよう、道を進むにも退くにも気をつけ、一滴の水にも細心の注意を払った」とある。まるで、ジャイナ教の出家者の姿である。
この肉体を徹底的に痛めつける苦行こそが、輪廻転生から解脱し、悟りを得るためのインド伝統的な修道法でもあったのだ。
しかし、釈尊は六年の苦行の末、肉体を限界まで苦しめる行の無意味さを悟り、勇気をもって苦行を捨てられた。若き日の快楽主義でもなく、苦行主義でもない「中道」の教えを説かれた。それは北インドを中心に、釈尊の滅後も発展をしていく。アーショカ王に代表される、強大な権力の庇護もあって、仏教は、インドを超えて、上座部仏教としてスリラカンや東南アジアに。一方、チベットや中国、朝鮮、日本へは、かなり形を変えた大乗仏教が伝播して、世界宗教へと発展していくのである。
ところが、本家インドでは、仏教内部での分裂やヒンドウー教の巻き返し、社会変化に伴って衰退し、13世紀のイスラム教の迫害によって、密教化、呪術化していた仏教は、ヒンドゥー教に呑み込まれる形で、完全に消滅してしまった。
同じように迫害を受けたジナの教えだが、2500年を経た21世紀のインドで生き続け、約450万信徒を抱え、今も生きた活動がなされている。
しかし、仏教のようにインド世界を超えてまで広がることはなかった。厳格な禁欲と苦行が、他者との妥協や融合を拒んだからだろう。それゆえに教えの純粋さは守られインドはで生き残ったが、一方では他民族への広がりを拒んだのである。
同じところで、同じようにスタートした釈尊の仏教と、ジナ・マハーヴィーラのジャイナ教だが、その広がりや歩みを比較するとたいへん興味深い。
では、私達の浄土真宗の歩み、そしてこれからの華光の行く末はどうなるのか。歴史に学び照合すると、興味深いことが浮かびあがるようだ。与えられた正解などはない、今、何を聞き、何を喜び、何を伝えていくのかが問われ続け、常に両者(純粋性と寛容性)の葛藤の中で、我が身を問いながら、歩みつづけるしかないのだろう。
南無阿弥陀仏
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