独生・独死、独来・独去
2月22日にご往生された、Mさんの四十九日法要を営む。
葬儀があったホールでの法要。もともとは身内だけで多くない集いだったが、キャンセルが続いて10名ほどがお参り。全員、マスクで着用、間隔をあけて着座だ。幸い(?)なことに、勤行の声はあまりでなかった。たぶん自粛されていたのだろうか。
40分ほどの予定していた法話も20分ほどに短縮。四十九日法要の意義、そして還相回向のお働きについて、なるべく平易にお伝えしたが、ほとんど反響が感じられなかった。
最後は、家族5名と一緒に、会食した。家族ならではの故人を偲ぶ話が聞けた。それでも、彼女の場合、ぼくも35年以上、かなり密接におつきあいさせてもらってきたので、逆にぼくからも話題を提供することができた。
かなり重篤となってから、それでもまだ意識があるときに、ご主人が
「独生・独死、独来・独去やな。お前はお前の業を、ぼくはぼくの業を、それぞれ受けていかないかんなー」
と話したら、分かったのか、静かに頷いておられとのことだ。そして、これが仏法のことでは最後の会話になったとの話が、有り難かった。
家族に囲まれようと、どれだけ仲間がいようと、独りで生れ、そして独りで死んでいくのである。しかも自らの業の道理によって、独り出ていくかねばならないなだ。南無阿弥陀仏
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