聖典講座~下輩段(1)~
『観経』の正宗分(本論)も散善三観(三福九品)に入っている。精神統一が出来ない者への廃悪修善(悪を廃し善を修める)の行である。これは『大経』の三輩(上・中・下)段に対応し、さらにそれぞれを「上生・中生・下生」と、合計九品に分類する。その中で、今回は、下輩段(下品上生・中生・下生)。つまりは、悪人の救いである。小説も映画も、実生活もそうだが、善人よりも悪人の方が、絶対に多彩で面白い。善人にしても、バカがつく正直ものには面白みはあるが、普通は常識的な一般論を振り回すのだけで終わる。それはともかく、それそれの概観をまとめておこう。
◎まずは下品上生。十悪軽罪の悪凡夫で、仏法は謗らないが、慚愧がない。
その往生の行は、臨終に善知識に遇って「聞経」し、次いで南無阿弥陀仏の「称名」をして、五十億劫の滅罪をする。
来迎は、化仏、観音・勢至二菩薩の化身がお出でになり、
往生の所要時間は、即で、そして、蓮華の開く時間は、七七日(四十九日)
往生後の得益は、観音、勢至のご説法にあい、聞法後、信解し、大菩提心を発し、十小劫の経て、初地の位につく。
◎ついで、下品中生である。破戒次罪の悪凡夫で、施物を盗み、不浄説法。慚愧なし。臨終では地獄猛火が迫る。
しかし、往生の行として、臨終に善知識に遇い、名号のいわれを聴聞して、八十億劫の滅罪。
来迎は、化仏、化菩薩が迎え、往生の所要時間は一念。
蓮華の開く時間は、六劫だが、往生後の得益は、観音、勢至の声で聞法、大菩提心を発する。
◎そして、下品下生は、五逆・十悪の重罪の悪凡夫である。
往生の行は、臨終に善知識に遇って聴聞。観念念仏を勧めも、苦で不可。そこで、転教口称、「南無阿弥陀仏」と十声の称名念仏し、八十億劫の滅罪。
来迎は、日輪の如き金色の蓮華が迎えるが、蓮華の開く時間は、十二大劫もかかる。
往生後の得益は、観音、勢至の滅罪の法を聴聞し、歓喜し、大菩提心を発する。
◎下輩段の共通点は、悪をなす愚人であること。そして何よりも、自分のなし罪の自覚がない。慚愧がないのである。そして悪道に堕する者である。それが、臨終に善知識に出遇いうことによて、聞法や称名をとして、滅罪をするというのである。臨終来迎の後、蓮華の中に往生するが、その後、浄土で聞法し、菩提心を発する。
下輩段の相違点だが、下輩の者は「世福」という仏道以前の世間の倫理的な善すらなしえない悪凡夫の救いが説かれている。それでも罪関して、軽罪、次罪、重罪の差別があり、当然、往生に関しても差別もあるのだ。罪に関してみると、以下のようになる。
下品上生→軽罪=種々の悪を造る愚人。仏法は謗らないが、慚愧なし。
下品中生→次罪=破戒、僧物を盗む。不浄説法。慚愧なし。臨終に地獄の猛火。
下品下生→重罪=愚人、五逆、十悪。悪業で悪道へ。(つづく)
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