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インド仏跡(23)~涅槃の地クシナガラ(3)荼毘

●荼毘(だび)塚●


  さて、『ブッダ最後の旅』~大パリニッバーナ経~によると、釈尊のお涅槃のあと、その遺骸は、クシーナガラのマッラ族によって荼毘にふされることなります。ところが、なかなか火がつきません。それは、お涅槃の知らせを聞いて、急ぎ向っていたマハーカーサパー(大迦葉尊者)を待っていたからです。彼の到着によって、荼毘にふされることになりました。その荼毘塚は、ラマバル塚とも呼ばれています。

 

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 その後、釈尊の舎利(シャリーラ、遺骨)を巡って争いが起こりますが、ハラモンの仲裁により、八分割されます。そして、八基のストゥパーが建立されたという伝説は、歴史的にも正しいと見られています。舎利の分配を受けたのは、次の通りです。

  1)マガダ国のアジャータシャトル王 (阿闍世王) 
  2)ヴァイシャーリのリッチャヴィ族
  3)カピラヴァストゥのシャーキャー族(釈迦族)
  4)アッラカッパのブリ族
  5)ラーマグラーマのコーリヤ族
  6)ヴェータドゥヴィーパのバラモン
  7)パーヴァーのマッラ族
  8)クシーナガラのマッラ族

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 このうち、2)は、昨日訪れたヴァイシャーリで仏舎利が出土し、また、4)の釈迦族の故郷でも仏舎利が出土しています。この八分骨を、さらにアショカ王が八万四千に分骨したといわれていますが、実際の真偽はわかりません。

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 そして、今回は、メンバーの中のお一人が、一昨年亡くなったお母様の遺骨のほんの一部を荼毘塚の脇に埋められました。もちろん、承認をいただき現地の方もお手伝いによるものです。

 さて、早朝からの参拝をすませて、今度はお誕生の地、ルンビニーへと向います。今日も、また重要な仏跡地が2ケ所あるハードな1日です。 

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