インド仏跡(18)~バイシャリー(1)~
今日も日の出前からの出発となる。八大仏跡の一つ、バイシャリーに向う。王舍城からバイシャリー、ケサナリー、そしてクシナガラに向うルートは、まさに『ブッダ最後の旅』の行程である。途中、朝日が美しい。
最晩年の釈尊は、王舍城の霊鷲山での最後のご説法(バイシャリーの人々のありさまについて)の後、ナーランダをへて、パトナでガンジス河を渡られる。釈尊は渡し船を使われたが、ぼくたちはガンジス河に7㎞にも及ぶ大橋を渡って、バイシャリーに向った。
早朝からバスに揺られて、遅い昼食のためにバイシャリーのホテルへ。長旅で、誰が音頭をとるわけでもなく自然とラジオ体操が始まった珍しそうにバスの運転手が眺め、その姿を撮影していた。これでもまだ行程の半分以下だ。
ここも大切な仏跡だが、ほくは参拝は初めて。道中の写真と一緒にちょっと紹介しておこう。マンゴ―園の話があるが、写真がにあるようにバナナの栽培が盛ん。
バイシャリー(ヴァイシャーリー)は、当時の十六大国の有力国の一つ、ヴァッジ国のリッチャヴィ族が支配する首都で、商業都市として、隣のマガタ国(首都・ラジギール・王舍城)と競い合い、争っていた。釈尊は、マガダ国の王舎城(竹林精舎)から、コーサラ国の舎衛城(祇園精舎)や釈迦族の故郷、カピラ城に向かわれる時、この地を必ず訪れて、五度に渡って雨安居も過ごしておられる。
この地には、遊女アンババーリーのマンゴー園の寄進の逸話や、猿王が蜜を奉じて布施をした伝説(猿王奉蜜)が残っている。
アンババーリーのマンゴー園は、いわれであるが、商業都市ヴァイシャーリーは、裕福な商人や職人、また各地からの交易商人で賑わい、栄えていた。冨が盛んなところは快楽も盛んで、富裕層をターゲットにした高級遊女がいた。中でも美貌にすぐれたアンバパーリーは大金を稼ぎ、豪邸に住む、マンゴー園を所有。その彼女が、釈尊の説法を聴聞し感激し、自らのマンゴー園を寄進し、教団の人々を供養することになった。釈尊の来訪を知った貴族たちも、釈尊を供養しようと、彼女の所有するマンゴー園を大金で買収しようするが、彼女はその申し入れを断る。釈尊も、遊女だから、女性だからと差別されず、先客だったアンバパーリーの申し出を喜んで受けられた。仏教の平等の精神を見ることができる。彼女は、釈尊から三帰、五戒を受けて、優婆夷-女性在家信者となって、聴聞に勤しんだという。
何よりも、ブッダ最期の旅では、ヴァイシャーリーの人々が「滅びることのない七つの法」を守っていると説かれ、この地の郊外で、有名な「師に握拳なし」と「自灯明・法灯明」の教えが説かれるのである。
また釈尊の涅槃後、八分骨された遺骨の一つがバイシャリーーのリッチャヴィ族にも分配され、ストゥパーが建立されたと言い伝えられてるか、それが発掘されているのは、たいへん貴重である。
他、大乗仏教の経典で、空の真理が説かれた『維摩経』が説かれた地でせある。主人公である維摩居士(維摩吉・ヴィラマキールティ)と文殊菩薩の問答が有名だが、玄奘三蔵は、維摩居士の住居跡を尋ねたと記録されている。
また、第2回の仏典結集の地で、教団の根本分裂(大衆部と上座部)するきっかけとなるなど、たいへん重要な仏教遺跡なある。
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