下輩段(2)~下品上生~聞経か称名か
では、もう少しポイントを絞って下輩段を観ていきましょう。
まず下品上生です。軽罪で、種々の悪を造る愚人だが、仏法は謗らない。しかしながら、自らは、罪について慚愧することがないものです。だからこそ、人に遇わねばばならないです。臨終で、善き知識の導きを受けることで、自らの罪を知ることができるのでしょう。
この時の善知識のお勧めが二つあります。「聞経」と「称名」です。
聞経とは、善知識の大乗経典の経題を褒め讃えるのを聞くのです。経題には、その経典のいわれが顕されているので、経典を読誦したのと同じ功徳があるわけです。しかしながら、聞経の功徳は、「ただ千劫の悪業を除く」だけで、浄土往生の功徳になりえません。
そこで、善知識は、「合掌し『南無阿弥陀仏』と称えよ」と教えます。愚人が、それに従って称名をします。その功徳によって、五十億劫もの間の生死流転の重罪が除かれ、浄土往生の身となるわけですが、その際、臨終来迎の化仏方は、阿弥陀仏の名前を称えたことを褒め称えます。
それで、この二つの行の優劣を、善導大師を受けた法然聖人が、『選択集』の「化讃章」と「八選択」で顕されています。
つまり、化仏は、聞経よりも称名をする者を讃嘆されて、すぐれた本願念仏を選ばれているというのです。
「弥陀の化仏来迎して、聞経の善を讃歎せずして、ただ念仏の行を讃歎したまふ文」(『選択集』)
「次に『観経』のなかにまた三の選択あり。一には選択摂取、二には選択化讃、三には選択付属なり。(略)二に選択化讃といふは、下品上生の人、聞経・称仏の二行ありといへども、弥陀の化仏、念仏を選択して、「汝称仏名故 諸罪消滅 我来迎汝」( なんぢ仏名を称するがゆえに、もろもろの罪消滅す。われ来たりてなんぢを迎う)(観経)とのたまふ。ゆゑに選択化讃といふ。(『選択集』)
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