下輩段(4)~下品下生~~転教口称
さて、いよいよ下品下生の大罪人です。
「五逆罪」(五種の重罪で、無間地獄へ墜ちる業因。1殺父、2殺母、3殺阿羅漢、4出仏身血、5破和合僧)と、「十悪」(1殺生、2偸盗、3邪淫=身業・4妄語、5両舌 6悪口、7綺語=口業・8貪欲、9愼恚、10愚痴=意業)の重罪を造るものです。
文言にはありませんが、上生・中生がそうであるのですから、下生の者に、自らの罪について慚愧することはもっとうないでしょう。善知識との出遇いなければ救われていく道がありません。その時の臨終のありさまは、書き下し文で味わいました。
「かくのごときの愚人、命終らんとするときに臨みて、
善知識の種々に安慰して、ために妙法を説き、教へて念仏せしむるに遇はん。(他力念仏の勧め)
この人、苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず。 (功徳を念じる自力念仏)
善友、告げていはく、〈なんぢもし念ずるあたはずは、まさに無量寿仏〔の名〕を称すべし〉と。
かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。(転教口称の念仏)」
この最後の段を善導様は、
「六には、善友(善知識)苦しみて失念すと知りて、教を転じて口に弥陀の名号を称せしむることを明かす」(『散善義』)
と頂かれました。最後の「転教口称の念仏」というのが、有り難いですね。
善知識の最初の念仏も、ほんとうは他力念仏をお勧めになられたのではないでしょうか。しかしながら、受け手側は違います。功徳を念じたり、観念の自力念仏をしようとするわけです。しかしながら、「苦に逼(せ)められて念仏するに遑(いとま)あらず」とあるように、苦しみから心を静め、念い続けるような自力の念仏など出来る状態ではなかった。お手上げです。そこで、最終手段。善知識は、「教を転じて口に弥陀の名号を称せしむる」。すなわち、転教口称のお念仏を勧めるわけです。きっと、一文字一文字「南」「無」「阿」「弥」「陀」「仏」と言葉でお勧めを、それに順ってこの口で称えたわけです。そこは「称えよ」という仰せに順った姿でした。
最後に親鸞様のお言葉です。
「『汝若不能念』〈なんぢもし念ずるあたはずはし〉(観経)といふは、五逆・十悪の罪人、不浄説法のもの、やまふのくるしみにとぢられて、こころに弥陀を念じたてまつらずは、ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよ、とすすめたまへる御のりなり。これは称名を本願と誓ひたまへることをあらはさんとなり。『応称無量寿仏』〈まさに無量寿仏を称すべし〉(観経)と、のべたまへるはこのこころなり。『応称』は、となふべしとなり。」『唯信鈔文意』)
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