インド仏跡(22)~涅槃の地クシナガラ(2)
●涅 槃(ねはん)●
「茸の食を召したまい 重き病いを得たまいて
腹くだりつつ世尊はいう いざクシナーラーへ われは行かんと」
クリナガラのサーラの林にいたった時、釈尊はすべての力がつきてしまわれます。
「アーナンダよ、わたしはつかれた。横になりたい。あのサーラ(沙羅)の双樹のあいだに床をひいてもらいたい」
床をひいたアーナンダは、いよいよ釈尊の死が近いことを知って、その場を離れて、泣いていると、釈尊が呼んでおられるという。そばへ行くと、
「アーナンダよ、悲しむな。泣いてはならぬ。わたしはいつも教えていたではないか。すべて愛する者とは、ついに別れねばならない。生じた者はすべて、滅する時をもたねばならない。アーナンダよ、なんじは、ながい間にわたって、このわたしによく仕えてくれた。それは立派であった。このうえは、さらに精進して、すみやかに所期の境地をうるがよい。アーナンダよ、あるいは、なんじらのうちに、かく思うものがあるかも知れない。-われらの師のことばは終わった。われらの師はもはやない-と。だが、アーナンダよ、そう思うのは間違いである。アーナンダよ、わたしによって説かれ、教えられた教法と戒律とは、わが亡きのちに、なんじらの師として存するであろう」
やがて、釈尊は同行の比丘たちをすべて集めて、
「比丘たちよ、なんじらのうち、なお、仏のことや、法のことや、僧伽のことやあるいは実践のことなどについて、なんぞ疑いもしくは、惑いをのこしている者があるならば、いま問うがよろしい。後になって-わたしはあの時、世尊の面前にありながら、問うことを得なかった-との悔いをあらしめてはならない」
アーナンダが進み出て、もはや一人として疑いを残している比丘はいないと告げます。
「では比丘たちよ、わたしは汝らに告げよう。-この世のことはすべて壊法である。放逸なることなくして、精進するがよい。-これが私の最後のことばである。」
そして静かに目をとじられた。静かな静かなご入滅でした。
●涅槃堂と涅槃像●
その中には、大きな涅槃像が横たわっておられます。5世紀の初めのもので、ハリバラという僧の銘が入っています。1876年まで河岸の砂の中に眠っておられたのだそうで、発見された時は、ほとんど粉々といった状態だったのを復元したものです。首から下は、黄色の衣をつけておられます。御顔には、タイの仏教徒が寄進した金箔がはられ、私たちには一寸異様な感じを与えます。
涅槃堂は、1927年にビルマの仏教徒によって建てられたもの。
前庭一ぱいにサーラの林が、当時の様子そのままに立ちつくしています。朝日を受けて、涅槃道も黄色に染まっています。
この地で、ぼくも法話をさせてもらいました。今、私達のところに届いている仏教は、この釈尊のお涅槃から、本当の意味で始まったと言っていいわけです。私たちも、末世ながら如来の唯弟なのです。南無阿弥陀仏
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