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インド仏跡(13)王舎城への道

 ◆王舎城への道◆


 さて、ブッタガヤから王舎城・ラージャグリハ(ラジギール)までは、約2時30分ほど。一番、違ったのは、新しいバイバスが出来上がっていて、まったく風景が違ったこと。車窓の前半は、広々として農場風景。椰子の木に、芥子菜の黄色、今は緑が豊かで、農村の家々は、以前と変わらず、牛糞とワラでまぜた燃料が張り付けられている。これはあいかわらずの風景。

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≪牛糞とわらのエコ燃料↑≫
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 そして、ゴツゴツとした岩山を迫ってきて黄土色になれば、王舎城・ラージャグリハ(ラジギール)も間近。インドの仏跡地で山らしい場所はここだけで、周りを五山が囲む天然の要塞。この五山から、京都や鎌倉にある「五山」のもとになった説も。また、お寺の〇〇山という山号の言われも、ここからだという説を聴いたこともあるが、諸説あり。

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 「もし、さとりを得られたなら、まず私を済度していただきたい」
 かって、二人の仙人の境地に満足せず、悟りを目指されたゴータマ・シッダールタの並びない威光に、マガダ国の太子になるように要請をして、その出家を思いとどまらせようとしたマガダ国王ビンビサーラ。しかし、シッダールタの固い決意を知って、このような願いをされたのでした。ブッダガヤで悟りを開かれた仏陀は、ビンビサーラ王との約束をはたすために、この地においでになりました。


 ◆王舎城の城門跡◆


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 王舎城・ラージャグリハは、マガダ国の首都で、八大聖地の一つです。
 ビンビサーラ王までの旧王舎城と、父王を幽閉したアジャータシャトル(阿闍世王)が築いた新王舎城に分かれるが、ビンビサーラ王(BC542~491)の時代から、ずいぶん栄えた都市だった。アショカ王の時代(前3世紀)マガダ国王ウダイン(BC459~443)が、水路や陸上交通の良いパトナに都を移住。私達には、観無量寿経に説かれる「王舎城の悲劇」の舞台として慣れ親しむ地も、現在、まったくの廃墟でレンガづくりの城壁が見られるだけ。
 当日のマガダ国は、もっとも有力な王国で、紀元前4世紀には、歩兵20万、騎馬2万、戦車2千、象3千という巨大な軍事力を誇った大国。この地が古くからインドでも最も良質の鉄や銅を産出し、財政的に恵まれていたからです。ソーナ山の崖をくりぬいて作られたビンビサーラ王の倉庫といわれる石室があり、金庫にお金がうなっていたと伝えられます。 
 それを考古学的に示すものとして、ビンビサーラ王時代の鉄の車輪に往来による、戦車の轍(わだち)跡が、発掘され保存されています。2500年も前のこと。ここが、当時、世界最先端の高度な文明が発達していたこまが、窺える貴重な資料と言えるでしょう。あわせて、インド古来のブラーフミー文字が刻まれているが、残念ながら、今回はパス。

 さあ、いよいよ王舎城です。

 

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