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インド仏跡(14)ナーランダ大学跡遺跡

 さて、王舎城で昼食後、その前に、ラージギル郊外のナーランダにへ。約16Kmほどです。実は、この道の途中で、たいへん珍しい光景を目にします。この旅でも、3度も出会うことになりますが、それは後ほど。

 ナーランダ大学跡の遺跡も、今は世界遺産に登録されている。広々とした遺跡ですが、今日は駆け足で、味わうだけ。

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 ナーランダは、釈尊もしばしば訪れておられるようですが、この地は舎利弗、目連両尊者の生れ育った地として知られています。
 そしてなにより、世界最古の大学として、また仏教総合大学として、隆盛を誇ったナーランダ大学があった地です。2016年には、世界文化遺産にも登録されました。
 ナーランダ大学跡の入口に、英語とヒンディ語による説明文が掲げられています。

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「これらの僧院・寺院の広大な遺跡は、ナーランダ大学に属するものである。これは、古代の最も大きな大学のひとつであり、東洋の美術・学問の有名な中心地である。(西暦411年にインドを離れた中国の僧、法顕は、この地について言及していないので、その後すぐに、グプタ朝のクマーラグプタ1世(413~455)によって創設されたものと考えられています)。
 中国の僧、玄奘がここで、637~642年まで学んだときには、すでに仏教学研究の有名な中心地となっており、ヴァルダナ朝のハルシャ・ヴァルダナ王(戒日王)(606~647)によって保護された。8世紀から12世紀にかけてのパーラ朝の王たちも、この大学への保護を広げた。この王朝のパーラ王(815~854)は、僧院の維持のためにラジギールの近くに5つの村を与えた。西暦1200年に、イスラム教徒の侵入によって、この大学は破壊された。」(城 正弘訳)

 盛時には、1万人の学生が学んでおり、無著、世親(天親菩薩)、陳那、護法など、大乗仏教の中心となった人々もここで学びました。ここでは、大、小乗18部が学ばれ、ヴェーダ、因明学、医学、声明の講義も開かれていました。

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 ちなみに、玄奘とは、日本では『西遊記』の三蔵法師で有名な方です。中国シルクロードの旅では、玄奘様がトルファンで歓待をうけられた高昌故城跡を訪ねましたね。中国からシルクロードを経て、そしてヒマラヤ山脈を超えて、インドに到達されて、この地でも、5年間(29歳~34歳)、仏教を学ばれます。当日の学長は、唯識(ゆいしき)学派の戒賢(かいけん)だったので、唯識、ヨーガ論が中心に、中論などの中観思想など多くを学ばれ、最後に学長代理まで勤められたそうです。異国の地で、驚くべき大天才だったのですね。
 また玄奘様がインド中を巡礼され、仏跡地の詳細を記録を残して下さったおかげで、今日の私達も仏陀のみ跡を巡拝出来るのです。そして、この地で仏教が発展し、中国、日本へと伝えられたのですから、このナーランダなしには、今日の日本の仏教もあり得ないと言えるわけです。

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≪第3塔主殿・別名は舎利弗塔↓≫
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