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インド仏跡(16)霊鷲山

  ◆霊鷲山◆

  いよいよ霊鷲山へ。霊鷲山の名は、山頂の岩の形が鷲に似ているからとも、このあたりに鷲や禿鷹が住みついていたからとも言われ、王舎城附近の寒林(屍林・死体を棄てる場所)があったのだと、玄奘三蔵は記しておれらます。

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 耆闍掘山とも訳され、『法華経』や『大無量寿経』・『観無量寿経』が説かれた地。真宗念仏者にとっては最大の聖地。日蓮宗の方にも最大の聖地で、頂上に日蓮宗の寺院もあり、ここの物売りは、日本人とみると、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と近づいてくる。その山頂には、インドでは珍しいリフトがあって、インド人観光客で一杯だ。でも、私達が目指すは、第三峰で、歩くしかない(もしはTさんのように籠に乗るのも可)。

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 この道は、ビンビサーラの道と呼ばれ約1㎞ほど。でも、石だたみの坂で、段差のある石段が続いて、早朝からブッダガヤ、ナーランダと続いた夕刻。皆さんはちょっと過酷な行程かと。道の片側には、土産物屋がならび、物売りが付きまとう。岩場で散髪屋が開業。途中、サルの大軍が遊んでる。ベナレスでみたサルと違い、顔が黒くて尻尾が長い。皆さん、サルに大はしゃぎ。(その後も、リスやサルはたくさんみるが、その度に写真を撮りまくるのであった)

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 頂上の手前にあるこの洞窟に、アーナンダ(阿難)とマハーカーシャパ(大迦葉)の二人が住んでおられたという。この地に立つと多くのお弟子方に教えを説かれる釈尊のお姿が目に浮ぶます。

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 登り切ったのが、第三峰とよばれ、ご説法の場、香堂があった場所。ここからの眺望が素晴らしい。山に囲まれ、眼下には大平原が広がる。香堂跡の脇には、鷲の峰の由来とされる岩峰がそびえています。

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 それにしてもこの狭い場所に、「一万二千万という聖者や菩薩が集結するのは、無理じゃないですか」と尋ねた方に、「菩薩方は空中に浮いておられたのです」と悟朗先生は切り返されたとか。なるほど尊いことです。時空を超えてこの会座に集ってこられたところに、私達も磁石に引き寄せられるように集まっている。

 ここで阿難尊者の卓見に応え、迷える濁悪邪見の末世の凡夫のために、弥陀三昧に入られた釈尊が、阿弥陀様の四十八の大誓願をこの世に示してくだったのです。南無阿弥陀仏 

 昔は、日本人だけで、案外、空いていた霊鷲山も南方仏教の方々の聖地になって、たいへんな賑わいにびっくり。40年前は、まっ暗な早朝に、銃をもった護衛付きで登ったこの山も、物売りの店が並ぶ一代観光地で、世界の仏教徒で大賑わい。勤行の場所とりで大揉めになってしまうぼどでした。

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 Iご夫婦が調声で『大無量寿経』の偈文「讃仏偈」を、夕陽を向かってお勤め。姉も美声を披露。Tさんが、父の「南無阿弥陀仏」の屏風名号を広げられた。「おお、ナイスです、Tさん」。姉の仏教讃歌、そして父も一緒に仏跡にいるような想いになって、感無量。南無阿弥陀仏の響きが尊く思えました。

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 夕日が落ちるまで、各自が時間を過ごす。『大悲の呼び声』を唱和する人、中にも、我流の方もあって、面白い。『大無量寿経』の現代語訳を朗読する人、それを涙を流して聞く人。大声でお念仏する人、何もせずたたずみで味わう人、それを写真に収める人(おかけでいい表情の写真が撮れた)、幸せな一時を過ごしました。

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 ブッダガヤ(世界遺産)~ナーランダ(世界遺産)~王舎城と霊鷲山。早朝から濃厚な一日で、段差のある石段に、かなりお疲れの方もあったでしょうが、ほんとうに充実し、大満足で下山した。南無阿弥陀仏

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