インド仏跡(12)尼連禅河とスジャーター村
(苦行を捨てる)
釈尊は、師と仰いだ、アーラーダ・カーラーマやウッダカ・ラーマプトラに出会っても、真の問題解決を見出すことができず、山林にこもって6~7年間の苦行に入られました。しかし、身体は80歳の老婆のごとく、背骨は曲がり、立ちあがろうとしては四つにはい、坐ろうとすればあおむけに倒れかかるといった状態でした。釈尊は苦行をすてます。
「低き苦行は何であろうと何の益もない。森の中におかれた櫂や舵のように全く利益をもたらさない、と知って、わたしは戒めと精神統一と智慧とさとりへの道を修して来た。いまやわたしは最上の清浄に到達した」(『相応部』経典、悪魔相応)と述べられています。
釈尊は苦行・断食を捨て、村娘スジャーターの捧げる乳粥を受けて身心を回復させ、ネーランジャラー河(尼蓮禅河)に入って身体を清め、河から少し離れた、一本の菩提樹の下に坐し、真理を悟るまでは決してここを立たないと決意されたのでした。
◆スジャーター村◆
大塔を出て、横の道をつきぬけるとネーランジャラー川(尼連禅河)。今は乾季で、300メートルはあるかと思われるこの河も砂原としか見えない。河岸には椰子の林が繁り小鳥がさえずり、南国にいるという実感に。はるか30キロの河向うに、釈尊が成道される6年間、苦行された「苦行林」と、成道前に訪れた「前正覚山」が見せている。成道前、最後の聖地を求めた釈尊の御影が残る「留影窟」がありますが、今回は、訪問できませでした。
尼蓮禅河を渡って東岸に達し、村娘スジャーターのスジャーター村へ。ストゥーパ跡が小高い丘になっている。のぞかな田園風景。♪スジャータ、スジャータ♪~のコマーシャルソングで、すっかりお馴染み。創業者が、子供のころに日曜学校で聞いたスジャーターさんのエピソードが原点だとか。ただし、「スジャータ」では村男、村娘なら、「スジャーター」という表記が正しいそうです。
また近くには、スジャーター寺院があります。釈尊が修行されたという苦行林もすぐ近くですが、今回は、そのまま王舎城へ。
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