臨終勤行
ちょうど一年前のこの日、講習会の時に、「昨年末からずっと体調が悪いので、月曜日に検査を受ける」と言われていた。数日後、検査の結果は、膵臓や腎臓などの癌が転移にステージ4で、すでに手術も無理という状態であった。年末から今年に入って、かなり悪いと聴いていてたが、ご本人も、回りもそれなりに覚悟はしいたが、ついにその時がきたのである。
臨終勤行(世間での枕経)のために最後の対面である。霊安室におかれたご遺体は、一回りも二回りも小さくなられている。在りし日のふくよかな顔だちは見る影もなくだ73歳というのに老婆のようなやつれたおすがたであった。
40年に及び長いおつきあいだった。熱心に通い続けられた求道の時の姿も印象深い。いまでは信じられないのでだか、そのころは寡黙で、指名しても、「頭が真っ白で何もいえません」というのが精一杯。なかなか心境は進まなかった。
もろろん、その後のご聴聞の姿も、いいことも、悪いことも含めて何でもあってその思い出は語り尽くせない。ある意味で、むきだしのままでのおつきあいだった。法座での活躍は皆さんもご承知のとおりだが、一方で、腹を立てたり、愚痴を言ったりも容赦なく、一旦、へそを曲げると、延々続く愚痴を何度も聞かされて、閉口したともたびたびあった。彼女を苦手に思っていた人もあった一方で、信心の上で慕っていた人もおられた。
勤行の最中、見上げて仰ぐ変わり果てた死顔ではなく、元気なころのお顔やしぐさが、お声が、ふとありありと浮かび上がってきて、思わず、声が詰まってしまうことが何度かあった。気持ちを切り換えて、どうにか最後まで勤めあげられた。『阿弥陀経』をお勤めしたのだが、少し前に、インドの祇園精舎で勤行した時の思いも去来してきたからである。
また一人、個性的な念仏者が往生され、あの個性的な味わいが聴けないとおうと、やはり寂しい。が、これも仏説どおりで、驚くことでも、歎くことでもない。南無阿弥陀仏
| 固定リンク
「法味・随想」カテゴリの記事
- 修正会(2)~地震~(2024.01.03)
- 今日はご示談(2022.11.25)
- 神鍋高原・八反瀧(2022.11.06)
- 納骨法要(2022.10.29)
- 法に追い立てられる幸せ(2022.05.29)