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インド仏跡(2) 初転法輪の地「サルナート」(1) 根本香積寺

  早朝、空路デリーからベナレス(ヴァーラーナースィ)に入って、最初の仏跡地、郊外のサルナート(迎仏塔、ダメーク塔、根本香積寺、州立博物館など)へ

●ムガランダ・クティ寺院(初転法輪寺。根本香積寺)●

 まず最初の訪問地は、サルナートにあるスリランカ寺院。

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 1931年に、スリランカに本部のあるマハーボディ・ソサイアティ(大菩提協会)が建立し「初転法輪寺」とか「根本香積寺」と呼ばれている。しかし、ここが有名なのは、日本人画家の野生司香雪(のうずこうせつ)画伯(日本画)が、協会の要請に応えて、昭和7年11月から4ヵ年かけて、26場面の「釈尊の伝記」が壁面に描かれているからだ。制作には、大変なご苦労があったそうです。
 現在は、修復・保存が続けられていた。トラベル・サライさんも尽力されておられて、ぜひ、皆様にも協力をお願いしたいとのことだ。

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 野生司画伯の絵画を通して、「お釈迦様の一生」を尋ねた。これからの仏跡の旅の出発点に相応しい内容。

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 寺院の回りを散策すると、お釈迦様と五人の比丘の像。前回はなかったので、今回、初めてみた。想像以上に大きなものだが、作品にはかなり違和感。それでも、最初の全体写真をここで撮った。 

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 サルナートは、釈尊が最初の説法の地で、仏・法・僧の三宝が揃った、ほんとうの意味で仏法の始まりの聖地だ。ここに行く前に、ちょっと時計の針を、成道の時にまで戻します。

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(梵天勧請)
 菩提樹下で悟りを開かれた釈尊は、それから七日間は、そこに坐したまま、自ら悟った法を楽しまれたと言う。そして、自ら悟った真理はまことに深遠で難しく、一般の人々にとうてい理解されないのではないかと、伝道・説法をためらわれる。しかし、三たび梵天勧請がくり返され、ついに、釈尊は生きとし生けるものへの、あわれみの心で世間を見て、「甘露(不死)の門は開かれた。耳ある人は聞け、己が過去の信(古き信仰)を捨てよ」と、伝道を決意される。
 
 最初、釈尊は、かっての師アーラーダー・カーラーマとウッダカ・ラーマプトラに伝えようとされるが、直前に二人が亡くなられたことを知り、苦行を共にするも、釈尊がネーランジャラ河で沐浴し、スジャーターから乳粥を受けとるのを見て、「ゴータマは堕落した!」と立ち去った五人の比丘に教えを説こうと、ベナレス郊外のリシ=パタナ(仙人住処 サルナート)へ向かわれるのです。

 最初の日の夕方、苦行派のウパカに出会われる。ウパカは一目で釈尊をただならぬ人と見抜き、出家の目的、師匠の名前などを尋ねた。釈尊は、「わたしは一切を知った者である。一切のものごとに汚されていない、妄執から離れた解脱者である。わたくしに師はない。わたくしが世間で唯一の正覚者である。もろもろの煩悩を捨て去った者は、わたくしと同じく世の中の勝利者である。迷いの世界において甘露の鼓をうち、法輪を転ずるために、わたくしはカーシー(ヴァーラーナースィ)の町へ赴く」と。
 しかし、この言葉を聞いたウパカは、「尊者よ、そうかも知れない」と首を振りつつ、別の道を行ってしまいます。

 まずカーシー(ベナレス)に着かれた釈尊は、午前中に托鉢、食事の後、リシ・パタナ(サルナート)へ向かわれます。

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