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インド仏跡(15)王舎城

  さて、ナーランダーからもどり、ラージャグリハー(王舎城)である。

 ◆温泉精舎◆

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 竹林精舎の手前に、インドではとても珍しい温泉・サーダーラー・クンドと呼ばれる「温泉精舎」がある。しかも今日は、ヒィンドー教のお祭りがあって、いろいろなところで、パレードや寺院の飾りが目についた。ラージギルの温泉精舎も、ヒィンドー教徒たちで夜まで賑わっている。
 39年前のインド旅行ではここに入場。インド式入浴は下着をつけたまま、石けんなどは使わない。その時の写真↓

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◆竹林精舎◆

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 悟りを開かれた釈尊が千人の比丘とともに、王舎城に入られたことを喜び、ビンビサーラ王は、国内の12万人の人びとを引きつれて出迎え、釈尊はこの人びとに教えを説かれ、このうち、ビンビサーラ王をはじめとして1万人の人びとが、在家信者になられたと、南伝大蔵経に記されている。
 そして、釈尊のために、『町より遠からず近からず、往来に便利であり、昼は人で雑踏せず、夜は音声がすくなく、人びとに煩わされることがなく、独り坐すに適したところ』として、ヴェヌヴァナ・ヴィハーラー(竹林精舎)が建てられました。カランダカ長者が寄進された竹林に、ビンビサーラ王が精舎を建てられ、仏教史上最初の精舎(寺院)とされている。
 精舎跡は、日本より移植された竹が、あちこちに生い茂る、公園に整備。中央は広い長方形に掘られた池になっていて、二体の仏像が安置。坐って説法をされているのは、日本山妙法寺が寄進されたもの。立って与願の印を結んでおられるものはこの池の改修工事の際発見されたもので、グプタ王朝時代の立像とか。今回は、時間の関係でサーーッと通り抜けただけ。


 ◆牢獄跡◆

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 釈尊に帰依した名君ビンビサーラ王(頻婆娑羅王)には、お妃のヴァイデーヒー(韋提希夫人)との間に、アジャータシャトル王(阿闍世王)という王子がいた。ところが、その出生の秘密をもとに、釈尊教団の乗っ取りをはかる釈尊の従兄デーヴァダッタ(提婆達多)にそそのかされた阿闍世は、クーデターをおこし、父王を牢獄(七重の牢獄)に監禁した.
   旧王舎城の発掘で明らかになった、ビンビサーラ王が幽閉された牢獄跡。王舎城の悲劇の舞台で、韋提希夫人の七重の牢獄も、この場所で幽閉されたのではないか。
 韋提希夫人にならって、はるか霊鷲山に向かって、「お釈迦様ー」と呼びかけてみました。観経では、神通力で、あっという間に目の前に現われてくださり、ここに『観無量寿経』が説かれるのです。 


◆ギバ大臣の邸宅跡◆

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 霊鷲山の登り口で止る少し手前左側に、ジーヴァカ(耆婆)邸、マンゴー園の跡があるが、今回は、車窓からの拝観。当時の治療器具や手術道具と思われる品々も発掘されるとか。ジーヴァカ(ギバ大臣)は、ビンビサーラ王、アジャセ王の二代渡り医師として仕え。医学の祖とされるギリシャのヒポクラテスよりも、50年も前のこと。仏教精神に基づく平等主義で患者を選ばず、深く仏陀に帰依し、釈尊や仏弟子の病気も治療し、また父王を殺したアジャセ王を悔悟させ、釈尊のもとに導きます。釈尊が涅槃に入り給う時に脈をとったのも言い伝えられています。
 ちなみに、このマンゴー園で悟りを開いたのが、周利槃得さん。

 

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