修正会
穏やかな元日となった。
今年も、1日の修正会から新年の幕が下りた。
例年、修正会は、正信偈(行譜)、「現世利益和讃」、そして「御文章」(聖人一流章)を勤めさせてもらうのが、華光の伝統である。しかし、今年は変化を加えた。年末の「念仏と黙想と語らいの集い」でも勤行した、親鸞聖人の七五〇大遠忌法要に作られた「正信偈」と「音楽法要(念仏・和讃)」を勤めさせてもらったのだ。参詣者の中で、10日間にも勤行された方もあったので、概ねスムーズに進んだのではないか。雅楽や太鼓が入った華やかな音楽が、元旦に相応しく、華を添えたと思う。なんとなく、「2020年」と「令和」の初めてという気持ちがあったのかもしれない。来年からは通常の次第になるが、たまには変化も織りまぜていきたいと思っている。
法話も、「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし」の御讃題。特に「衣食住の三は念仏の助業なり」に焦点をあてた。お念仏の上からは、衣食住もまた念仏の助けるための助業となるのだが、もし、衣食住の三つを、わが身を喜ばすための貪欲で求めるならば、それは単なる三悪道の業となるのだと。いまの私達はどうか。突き詰めれば、何のために生活をしているのか、何のための人生なのかということになる。そのことを、頭陀行(衣食住に関して欲望を棄てるために行う実践方法)の中の、十二頭陀行を解説し、「食」(じき)を中心に窺った。
よく「生臭」というが、今は肉食や飲酒について指しているようだが、本来は、自分が食べたいものを選ぶ、つまり欲しいもの欲望のために食をするのことこそが、「生臭」のであるという。
浄土真宗では用いないが、「五観の偈」(浄土宗のもの)をもとにそのおこころをいただいた。その2番目にはこうある。
二つには、己が徳行の全欠多減(ぜんけつたげん)を忖(はか)る
つまりは、「自分の行いが、この食事を頂くにふさわしものかを顧みよ」というのである。
こう問われると、グーの音も出ない。まったく無慚無愧のこのである。食を頂いてるのか、それとも貪り倉っているのか? お念仏に会わねば目も当てられないのである。南無阿弥陀仏
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