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仏書に親しむ~『仏敵』第四章・第五章~

 『仏敵』の第四章「学園を乱すもの」(3)(4)と、第五章「火中の清蓮華」を輪読する。

 第四章は、佛教(現龍谷)大学の学生が、自らの悩みや教壇の現状を語り合う。真面目な学生たち(後の桐溪和上も含まれているという)の告白だが、カントやマルクス、大乗非仏説といった話題も含めて、当日の学生たちの悩みが語られる。一方、第五章では、無碍に念仏を喜ぶ、田舎の一文不知の老若男女の体験告白である。学生たちの話題が観念的な机上の空論に近いものだが、しかも深刻な雰囲気が漂っているのに対して、田舎の人々のなんとおおらかな腹底からの喜びであろうか。ここにいまも、華光に流れる喜びがあるといってもいい。「私が獲信したときは…」と、次々と不思議の仏法を喜びあっているのである。

 この対比が際立って、章立てが分かれているところを続けて読んで面白かった。中でも、野口道場に集う人達の短い言葉に感じるものがおおかった。

 ところで、このことなる状況の章を結ぶのは、伊藤先生がやり場のない寂しい心で口ずさむ「さすらひの唄」だ。一方は、同室の北村君の挫折の後、京都の街を徘徊する中で、もう一方は、野口道場の驚きの光景に触れて、まっ暗な田舎の道である。

 古い唄で、大半の方はご存じなかったが、参加者の中には、この一節を唄える方があって、驚いた。さっそくユーチュブで検索してみんなで聞いた。なるほど、こんな寂しい唄を口ずさみながら、伊藤先生は彷徨っておられたのであろう。これを知っただけも、急に親しく思えてきたのである。

 来月は休んで、次回は3月4日の予定です。

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