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現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし

 今回の「念仏と黙想と語らいの集い」の最後は、京都支部との合同法座となった。それで、法然聖人の文で締めくくった。一人で申すより、仲間と助け合って申す念仏であった。そして、結局、これが念仏者のこの世を生きる姿である。単なる生活の中での念仏は、その日暮らしは三悪道のたね作りにすぎない。それとも、念仏申すための人生なのかである。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(総説)「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげなりぬべくば、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
いはく、
(結婚)ひじりで申されずば、め(妻)をまうけて申すべし。
 妻(め)をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。
(在家・出家)住所にて申されずば、流行(るぎょう)して申すべし。
 流行して申されずば、家にいて申すべし。
(経済)自力の衣食(えじき)にて申されずば、他人にたすけられて申すべし。
 他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申すべし。
(法縁)一人して申されずば、同朋とともに申すべし。
 共行(ぐぎょう)して申されずば、一人籠居(ろうこ)して申すべし。
(衣食住は念仏の助業) 衣食住の三は、念仏の助業(じょごう)也。これすなわち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。三途へ返るべき事をする身をだにもすてがたければ、かへり見はぐくむぞかし。まして往生程の大事をはげみて、念仏申す身をば、いかにもいかにもはぐくみたすくべし。もし念仏の助業とおもはずして、身を貪求するは三悪道の業となる。往生極楽の念仏申さんがために、自身を貪求するは、往生の助業となるべきなり。万事かくのごとしと」 法然上人『和語燈録』巻五(真聖全四巻)

 

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