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仏書に親しむ会『仏敵』第4章(1)(2)

 『仏敵』を読んでいる。1ページごとを、順番に声に出して読んでいく。10名の参加者だったので、今日のところは2巡したので、20ページは読んだことになる。特に、この4章は、野口道場から一転、2月の仏教(龍谷)大学で起こった事件の回想シーンだ。二十歳前後の学生の時には、青臭い人生観がでる場面でもあって、ちょっと敬遠されがちだ。しかし、伊藤先生の求道の原点がどこにあるのか、またその後、野口道場での海千山千の同行とやりりとの伏線となっている部分なので、じっくり読むと、「なーるほど、ここに原点があったのね」と発見も多かった。また、夜泣きそば屋のオバサンの一言など、すっかり記憶になくて、こんな軽妙な、面白いやりたとだったのかなーと、新鮮に読ませていただいた。
 中でも、伊藤先生以上に、同室の北村君の鋭い言葉が光っている。もしかすると、この時点では求道の上で、伊藤先生よりも進んでいたのかもしれない。しかし、結局、彼はその一歩を踏み出し、翻ることはないまま、世俗の喧噪の中に戻っていくことになる。

 善き知識に出会えなかったのである。

「先生! 僕は生きた餓鬼です。何もかも受け入れることのできない呪われた餓鬼です。どんな美しい水でも、僕の前では炎となります」

「僕も、涙より涙への徹すべき念仏は知っています。が、僕は阿弥陀様のお姿を拝したときに、ハッと感じて、胸の中へ抱かれたいような気がするのです。けれども後念には、もはや雑念が浮かんできて、訳が分からなくなります。
 母に分かれてから両3年の間、すへてのものを犠牲にして真実の光を求めておりますが、まだ分かりません。偉大なる慈悲は僕の胸に徹しないのです。僕は、本願成就文にある「聞其名号」の「聞」の一字が分かりません。あの「聞」の一字がわからないために…」

 北村青年の悩みは深い。

 この「聞」の一字にこそ、真宗最難の無門関、一念帰命を他力回向信を開く肝要があるのだ。南無阿弥陀仏

 次回は、第4章(3)(4)を読んでいきます。

 ◎令和2年1月8日(日)夜6時50分~9時
 

 

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