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廃仏毀釋は生きている

 『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~の記事ではないが、関連して、華光誌の巻頭言の言葉が、鋭く突き刺さってくるので、紹介する。

 いまから50年前の華光誌の巻頭言に、「廃仏毀釋は生きている」という西光義敞先生の記事がある。短い記事をさらに要約すると、

「明治維新100年を祝賀しようという中で、「けっこうじゃないか」という単純さでは困る。だれが、なんのために、そういう音頭をとっているのか、よくみきわめなぱならぬ。そして、明治以降、わずか百年で立派な近代国家になったという人は、国家原理を貫くために、個人の尊厳をじゅうりんしてきた日本の罪業百年史に目をつぶるものだ。その罪業の重大な第一ページが、廃仏毀釋だ。しかも、敗戦よって、明治国家が滅んだというのも幻想で、いまだに、廃仏毀釋の影響はさまざまに形をかえて、われわれ日本人の精神生活を蝕んでいる。 江戸時代以来、庶民の中にあった仏教大事の精神は、急速にうすらいだ。外道化した自分の変質に気づかずに、廃仏毀釈の間を生き残った数少ない念仏者をほのかに恋う。そんなことでよいのか。」

 昨年は明治維新150年だった。それだ、大河ドラマも「西郷どん」で、明治維新の功績が取り上げられていた。それほど明確な盛り上がりはなかったが、一部で祝賀ムードがあったのは、100年前と状況は同じことだろう。では、それに対して現代の、私たち仏教徒、念仏者の態度はどうであるのか。
 西光先生の文章は、このように結ばれている。

 「明治以来百年、いったい仏教徒のだれが、いつ、どんな形で、廃仏毀釈にいのちがけで戦いをいどむのか」

 驚くほど厳しい文章に、身震いする。

 南無阿弥陀仏 

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