『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~
新年号の華光誌の中でも紹介しているが、『寺院消滅』が話題になった鵜飼秀徳さん(京都の浄土宗の僧侶)の『仏教抹殺』~。これまたセンセンショナルなタイトルだ。副題は「なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」。明治維新の直後から断続的に出された「神仏分離令」るより、各地で起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の歴史が紹介されている。
たとえば、今年は天皇の代替りの儀式が続いたが、すべて神道方式で行われていた。しかし、明治以前は天皇家も仏教徒だった。京都の泉涌寺-長女は泉涌寺の塔頭の幼稚園に通っていた-は、「御寺」と言って天皇家の菩提寺。天皇家を檀家に、何十という歴代天皇の墓所があり、明治天皇のお父様、孝明天皇の墓所があって、先ほど、新天皇も参拝された。ところが明治維新で国家神道に生まれ変わると共に、仏教も切り捨てられていく。民衆も、権力への忖度から弾圧に加担する。興福寺の五重の塔が、今の価格で1万円ほどで売り飛ばされそうになり、京都では、木像は薪に、金仏は溶かされ四条大橋の欄干になったりする。神仏習合を否定して神仏を分離させていく中で、僧侶が神主に鞍替え(時には積極的)する例も紹介されていた。
中でも一番の決定打は、明治5年の「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」という布告。それまで僧侶は浄土真宗以外、肉食妻帯が禁止されていた。実際は、形骸化していても、出家者は、頭を剃り、結婚もしない、肉食や飲酒禁止が建前だった。それが、明治政府が、僧侶も結婚や肉食を自由にしてよろしいと許可がでて、それに各宗派が飛び乗ってしまった。すると僧侶と俗人を分けるものがなくなり、世俗化が進んでいく。江戸時代に檀家制度が確立していたので、宗派に関わらず、寺院の世襲が当たり前。僧侶は代々の家業になりさがる。浄土真宗では、在家止住の道を、親鸞聖人が選ばれたが、本来の仏教は、家庭や世間的な幸せを捨てて出家を選ぶのに、明治以降、世俗権力に従ったがために、世俗化が進み、日本仏教は衰退していく。さらに致命的になるのが、上知(あげち)令で、広大な境内地が没収され、寺院は弱体化をしていくというのである。
興味のある方は、ぜひともご一読ください。(補足で、次に続く)
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 傾聴ではなく、態度なのだ!(2021.06.28)
- 『絵はがきの大日本帝国』(2021.06.24)
- 『育ち合う人間関係』終わる(2021.03.17)
- 大声で「南無阿弥陀仏」(2019.12.23)
- 廃仏毀釋は生きている(2019.12.21)