« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »

2019年12月の20件の記事

今年も206本

  はい、今年も、206本、昨年とちょうど同じ本数だけ映画を見ました。これは映画館で観たものだけのカウントです。4年連続で200本超えました。この5年間の合計では1005本になります。自分でのちょっとびっくりの数字ですね。さすがに覚えてませんわー。ただコレクター癖もあって、観た映画のチラシは全部、ファイルに保存しています。1年間で、B5フォイルが2冊誕生します。1冊に100本のチラシがはいるので、5年間で10冊分となります。なぜかチラシはB5に統一されていて保存がしやすいのです。ところが、パンフレットはサイズがまちまちで収納に苦労しています。チラシとリンクできればいいのですがね。ここは課題。いい方策がありませんかね? 最近は、パンフレのットはあまり購入しないようになりました。うまく収納ができないからです。

 とにかく、今年も1月2日に観た、日本映画『人魚の眠る家』に始まって、同じにキューバ映画『セルジオ&セルゲイ~宇宙からのハロー』の2本に始まり、年末は、12月30日に台湾映画『台湾~街角の人形劇』(これはいい映画だった)、そしてラストは12月31日の韓国映画『EXIT』で終わりました。

  面白いと思ったり、刺激をもらったものもあったが、なかなかここにアップできないでいる。法座関係のものが停滞した影響を受けているのだ。もう少し映画や本のことも発信していきたいと、ここ数年思っているが、なかなか実現できない。

 対照的に、相変わらず読書量は少ないな。今年も20冊に届かなかった。講演や講義を聞いた先生のものもが多かった。50歳を超えてから、仏教や心理学の勉強が面白くて、講義や講演には定期的に通っている。映画を抑えて、もう少し読書をしたほうがいいなーと思い続けて、5年になるが、。

来年もこんなペースで動く気はするが、自分から発信できる基盤を造る年にしたい。これも数年前から、同じこと言っているように思えるが、、。とにかく学びという意味では充実した1年でした。

|

『草間彌生 ∞ infinity』

 もしいま、日本人でほんとうの「天才」は問われれば、この人がその最右翼にあるでしょう。世界中で、もっとも高評価と、高値で取引される人気芸術家である。

  『草間彌生 ∞ infinity』は、彼女の波乱の半生を描いたドキュメンタリー映画。有り余る才能を持ちながら、日本では古い因習の中で抑圧され、単身渡った自由の国アメリカでも、女性であること、東洋人(日本人)であることで、差別や偏見、低評価を受ける。しかし死に物狂いで作品を造り、不公平と戦い、必死の売り込むの末に、高評価も受ける。しかし、その優秀なアイディアが白人の有名アーティストに盗まれ続けるという苦難も続く。とうとう精神を病み、自殺未遂もおこして、失意のまま日本に帰国。ところが日本では、スキャンダラスな目立ちたがり屋としてバッシックされ、卒業高校からも除名、実家からも勘当同然で、故郷にもどこにも居場所がなくなっている。

 しかし、精神を病み、誰からも見捨てられながらも、必死の創作活動は続けらていく。すると、正当に彼女の作品を評価する理解者、支援者が現われてくる。その高評価と、理解的な雰囲気の中で、作品自体も、彼女が本来もっていた温かさ、明るさが全面に押し出されて変化してく様子が、よく分かって面白かった。手法は変わらないのに、こんなにも精神の安定が、作風に現われるのかとびっくりした。これほどの天賦の才が埋もれたままに終わったならば、人類の損失であったかもしれない。

 タイトルどおり、無限(infinity、∞)の可能性に脱帽。でも、紙一重のところの差は、凡人に分からなかったけどなー。

|

『天才たちの頭の中』~世界を面白くする107のヒント~

『天才たちの頭の中』 ~世界を面白くする107のヒント~(英語題“Why Are We Creative?”)

“Why are you creative?”「あなたはなぜクリエイティブなのですか」という、シンプルな質問を30年以上問い続けてきたドイツ人監督。世界で活躍するクリエイティブな人物に、この疑問を問い続けた旅をまとめたドキュメンタリーだ。

 「天才」という日本語の響きと、「クリエイティブな人」というのでは少し違いを感じる。クリエイティブというと、個性的な創作者というイメージがあるからだ。質問を受けるのは映画監督、俳優、音楽家、作家、芸術家、写真家、デザイナー、建築家、科学者、発明家、宗教者、経営者、政治家など多岐にわたる。ほんとうの意味での天才だと思うが、ちょっと映画や映像に関係する人達に偏っているように思えた。初めて聞いた名もあったが、大半がぼくでも知っている世界的著名人ばかりだ。

 ほんの短い1分足らずの人も多いなかで、デヴィッド・ボウイの扱いがメーン。日本人では、写真家の荒木経惟、デザイナーの山本耀司、そしてオノ・ヨウコに、妙な扮装で、まともに答える北野武といった面々。この質問の無意味さを突きつけるスティーヴン・ホーキング博士、ダライ・ラマなども印象的だった。元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュも、違った意味で印象的だったけど、、。

 結局、"Why are you creative?"への答えは千万差別で、画一的な答えなどない。もしあれば、その時点で模倣者ということになってしまうものね。それでも、いろいろな答え、いろいろな人たちがいる中で、クリエイティブ、つまり個性的な創作者は、こだわり、信念が強く、社会の固定観念にとらわれない変わり者が多いという印象をもった。では、天才と、単なる変わり者との違いは……。楽しめました。 

|

『二人のローマ教皇』

 まず、タイトル『二人のローマ教皇』 に惹かれた。なぜ、二人なのか? ローマ教皇はひとりだけの存在であるからだ。

 今年11月、日本に初来日(教皇として)したローマ教皇フランシスコ。東京ドームでは、大規模なミサを行った。注目は、フクシマを抱えての原発への発言だったが、日本内では政権に配慮してか特に無く、離陸した飛行機の中で原発に反対する踏み込んだ発言があったという記事を読んだ。聖職でありながら、世俗との交わり世界の情勢についての発言力は、とてつもなく強大である。

 本作は、そのロックスター法王とも称される、ローマ教皇フランシスコ誕生秘話をとらえたフィクション作品だ。しかしある部分ではノン・フィクションでもあるのだが、前教皇との会話やディテールのほんとうのところは、フィクションであろう。

 物語は、前教皇選びのコンクラーベから始まる。聖職者のトップが集まる政治的な駆け引きの場だ。ほんとうは内部は非公開なのだが、これを取り上げた映画も最近はけっこうある。映画は、2005年、ドイツ出身の新教皇ベネディクト16世として選出されることろから始まる。その時、彼と争ったのがアルゼンチンの改革派、ベルゴリオ枢機卿(現教皇のフランシスコ)が、次点となる。当時のローマ教会の体制は、保守派の安定路線を選んだのである。世の流れに反し何も変わらない教会に対し、ベルゴリオは枢機卿職の辞任を申し出る。しかし認められず、教皇ベネディクト16世に招かれて、二人の対話が始まる。その合間も、バチカンは、数々のスキャンダル(聖職者の少年への性的暴行の処分に関するものだと、かなり意味深で提示された)に見舞われ、また保守派と革新派の対立もあって迷走していたのだ。

 それにしても、名優ふたりの静かな対話劇、前教皇のアンソニー・ホプキンス、新教皇のジョナサン・プライスの演技が素晴らしかった。しかも、単なる会話ではなく、神からの啓示をめぐる霊性的な会話の部分もあれば、人間臭い教皇の姿もみせていくのである。教皇は天皇と同じく終身制で、一度任命されると死ぬまで辞められない。しかし、何事も例外がある。保守派と革新派の対立関係にあった二人が、互いに理解を深めていく中で、ベネディクト16世は生前辞任という重大な決断を下していく。そして、2013年、改革派で、イエズス会、そして南米出身の初の教皇が誕生するのである。なるほど、それで二人のローマ教皇というタイトルだったのか。

 しかしながら、彼のこれまでの道のりは平坦ではなく、現在も大きな重荷を背負い、悩み、苦しんでいる姿が丹念に描かれている。これは、3年前に公開された『ローマ教皇になる日まで』と合せて観れば一層面白い。決して、教会の中に隠れるのではなく、現実の社会で、暴力で支配する恐怖政権との対峙する姿勢を貫くのか、妥協して生き残るのかという深い葛藤もみせていく。

 なお、劇場公開は限定的なのもで、Netflixで配信中。

 

|

お世話になりました

 華光誌発送作業が終わってから、メンバーを交代で大掃除をお願いする。新装なったので、掃除もし甲斐がある。地元の京都の方に、大阪の方も交えて、今年は新たな方にもお願いした。ぼくは、修正会に向けて看板などの準備も始めだした。

 今年は、修繕事業があったので、地元の皆さまには、よくお手伝いをしていただいた。秋は秋で、慌ただしい毎日だったが、やはり春は会館内の引っ越しでほんとうに大変だった。大阪や京都に引っ越してきてくださった方がおられたおかげで多い助かった。遥か昔のように思うが、引っ越しで右往左往したのは、今年の出来事である。結局、。引っ越し業者にお願いせずとも、同人の皆様にずいぶん助けてもらって、経費の削減になった。ほんとうにありがとうございました。

 慰労を込めて忘年会ももたせてもらった。昨年は、若い人達を中心にした女子会だったが、今年は、黒二点で、昔からの同人に加えて、ここ1、2年で出会ったり、お世話をくださっる方を中心に、ずいぶん新鮮な顔ぶれであった。

 昨年は、気持ちがいいほどの大食漢が揃って、母が丸くしていた。今年は、10名で一升の米を炊いて万全を記した上に、持ち寄りの品が充実して、皆さんも十分に堪能いただいたようだ。最後は、今年のまとめと来年の抱負を語り合った。

 こうしてメンバーが代わりながらも、皆さんに助けていただいて運営・維持が出来ている。どうぞ、皆様、来年もよろしくお願いいたします。

|

新年号発送!

 華光誌発送作業が終わる。

 今号は、華光誌の他に、同人会員には「年賀広告」と、全員に年間行事表(黄色)を同封している。華光誌の表紙の色は、珍しく渋めにした。どんなのでしょうかね? 写真は、ガンジス川の日の出である。

 誌上法話は、小生の永代経法座のご満座のものだ。法話は、力が入ってかなり長くなったので、いくつかの話題をまるまるカットしたりして、半分強程度に短くしたものである。演題も、もともと「逆謗の死骸」だったのを、「法地を耕す」と少し柔らかくした。力作(自分で言うのもおかしい)ですので、ぜひ味読ください。
 信仰体験記も、昨年の永代経法座のときに、信仰体験発表をされたお二人の男性のものが、新連載される。
 他に特集は、今年の華光大会感想集で、かなりの量がある。初参加の方の声も、3名あって新鮮だ。

 どうぞ、お楽しみに。

 なお、郵便局から発送しています。万が一、年内に届かないようなら、華光会館までご連絡ください。

 

|

インド仏跡巡拝の旅、締切

  11年ぶりのインド仏跡巡拝の旅。仏教徒にとって、インド仏跡は特別の地だ。4回目となるが、計画発表の直後から、皆さんの関心は高かった。しかし、10日間の海外の旅となると、お金に、時間に、体力と、さらに家族の同意もいる。華光大会の説明会までに有力だった参加希望者が、かなり脱落していった。一時は、最低実施人数(16名)が、ちょっとあやしくなってきたが、不参から一転復帰されたり、予期せぬ友人連れでの参加となったりと、最低人員はクリアーできた。すると、不思議もので、予想外の長らくご無沙汰の方が参加希望がある。また、介護中の父親のご逝去をきっかけに、締切り1週間前に参加希望を申し出た方もある。彼は、翌日、パスボート取得に向かわれたが、まだ会社に話していないという。いやな予感。残念ながらやはり、根回しのない強行突破は無理だったようで、会社の了解が得られず、結局、不参加に、、。一方で、締切日に「行きたいです」という、まったく予想外の方からの連絡や、締切後も「いつまででしたかね」という呑気な方も現れる。結局、20日の締切までに申込の手続きが完了していない方は、飛行機が個人扱いとなるが、幸い空席があってOKとなった。

 それで、22名(前回は24名もあった)の参加者となった。

 ここ最近の海外聖跡巡拝(インド~シルクロード(中国)~アンコールワット(カンボジア))をご一緒した常連たちとは、選手交代だ。この旅で初めてお会いする方が4名もある。サライさんとの海外の旅をご一緒するのが初めてという方が多いが、年齢的には、40、50、60代の壮年層の方が中心。新鮮で、なかなか楽しいそうな顔ぶれが揃った。後は、脱落者がでないことを願うばかりである。

 前回作成した「旅のしおり」(40ページ立ての大作だ)も、今回も作ろうと思っている。ひな型があるので助かるが、ずいぶん10年で、インドも事情が変わっていると思う。楽しみである。

|

現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし

 今回の「念仏と黙想と語らいの集い」の最後は、京都支部との合同法座となった。それで、法然聖人の文で締めくくった。一人で申すより、仲間と助け合って申す念仏であった。そして、結局、これが念仏者のこの世を生きる姿である。単なる生活の中での念仏は、その日暮らしは三悪道のたね作りにすぎない。それとも、念仏申すための人生なのかである。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(総説)「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげなりぬべくば、なになりともよろづをいとひすてて、これをとどむべし。
いはく、
(結婚)ひじりで申されずば、め(妻)をまうけて申すべし。
 妻(め)をまうけて申されずば、ひじりにて申すべし。
(在家・出家)住所にて申されずば、流行(るぎょう)して申すべし。
 流行して申されずば、家にいて申すべし。
(経済)自力の衣食(えじき)にて申されずば、他人にたすけられて申すべし。
 他人にたすけられて申されずば、自力の衣食にて申すべし。
(法縁)一人して申されずば、同朋とともに申すべし。
 共行(ぐぎょう)して申されずば、一人籠居(ろうこ)して申すべし。
(衣食住は念仏の助業) 衣食住の三は、念仏の助業(じょごう)也。これすなわち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事もみな念仏の助業也。三途へ返るべき事をする身をだにもすてがたければ、かへり見はぐくむぞかし。まして往生程の大事をはげみて、念仏申す身をば、いかにもいかにもはぐくみたすくべし。もし念仏の助業とおもはずして、身を貪求するは三悪道の業となる。往生極楽の念仏申さんがために、自身を貪求するは、往生の助業となるべきなり。万事かくのごとしと」 法然上人『和語燈録』巻五(真聖全四巻)

 

|

大声で「南無阿弥陀仏」

 念仏と黙想と語らいの集いも、懇親会は午前2時まで続いた。終了後、男性部屋は、さらに仏法讃嘆が続いたそうだから、皆さん、なかなかタフである。

 朝、新聞を広げる。

 大声で「南無阿弥陀仏」

 という大きな見出し文字が、飛び込んできた。本願寺新報や宗教系の新聞ではない。京都新聞である。
 え~ これ、昨晩、最後に皆さんに言った、僕のセリフそのままじゃないですか。

 A級戦犯 東條の最期 

とある。A級戦犯の絞首刑の場に唯一立ち会った日本人である、教誨師の花山信勝師の講演録をまとめたものである。

 仏説無量寿経について、真っ先に政治家が読んでおかなねならない。

という東條の述懐や、刑の執行直前の様子は、

 「東條大将が、一番大きな声で南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。他の皆も南無阿弥陀仏と称えた」

とあった。死刑囚という意味では、僕たちも同じことですがね。まあ、詳しくは、新刊ですが『A級戦犯者の遺言』(青木馨著・法蔵館)を御覧ください。

 ところで、大声でというと、怒鳴ったり、喚いたりする人もいるが、それではちょっと荒れた感じがして勿体ないですね。この場合の大声は、力強く腹底から申すことのように思っている。朝一番のチェックインで、この話題を出したが、実際は、大きな声でお念仏するのはなかなか難しいとの声。特に、朝はまだ喉が温まってませんかね。徐々に、身についていけば尊いものですが、、。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

 

|

念仏と黙想と語らいの集い~楽にお念仏~

 今年も「念仏と黙想の集い」で、一年の法座を終えた。

 一言、とてもいい集りだった。同時に、不思議な集りだと思った。これまで6回行っている。一同で、称名念仏をし、静かな時間を持ち、そして自由に味わいを語り合う。それから、和讃を一首、声に出していただいて味わう、というそれだけの集いで、普段のような法話はない。ところが、毎回毎回のセッションごとに、違った感じや味わいをいただくのだ。同様に、全体の眺めても、第1~6回で感じる印象が、また異なるのである。

 一番大きな要員は、どんな顔ぶれが集まったかの違いにあると思った。今回は、初参加の方が多かった。華光にほぼ初めてという方もあった。それなのに、分かち合いの時間が積極的に動いていった。しかも、喜びを率直に表明することが多くなって、全体的にとてもイキイキした感じがしたのだ。すると、お念仏の声にも張りがあった。最初の5分間のお念仏からして、時間を長いと感じることがなかった。よく初参加の方は、「こんなに長い時間のお念仏は初めてで、長く感じた」というにうな声がでるが、今回は、「あっという間でした」という声が多かったと思う。それで、2回目からは長めにお念仏の時間をもち、最後は15分間の称名念仏で締めくくった。

 そして、今回ほど、法語が尊く、実感として迫ってきたことはなかった。そうだ、どのお聖教の言葉も、お祖師方は、お念仏の声の中で、書いておられるのである。決して、頭で考え、コネ繰り回すのではない。そのままいただけはいいのである。長い称名念仏のあとで頂く、「現世利益和讃」がここでま尊く感じられたことはなかった。「横川法語」もまたしかりである。それはぼくだけの感じはないようだった。

 2日目の昼座は、京都支部家庭法座との合同となったが、750回大遠忌で勤めた「正信偈和讃」の音楽法要を、一同で声に出していたいだたが、これもまた有り難かった。
   結局、ただ座って拝聴するのではなく、参加者全員が、平等に声に出した。車座になり、一同で力一杯お念仏を称え、味わいを語り合い、そして和讃や勤行で、また声を出しった。同じ念仏の同朋として、アクティブに参画しているという一体感が生まれてきたのではないだろうか。

 大きな声(といって怒鳴ったり、喚いたりではなく)で、力づらく、時には静かに称えさせてもらった。声がリズムとなり、また他者と音楽のように響きあって、とにかく心地よかった。「ああ、お念仏を申すことは楽しいな」、と率直に感じさせてもらう。そうだ、もっともっと気楽に、常もお念仏させてもらおう。仏法というと深刻に、また真面目になりがちだ。きちっとしないといけないという思い込みもある。でも、「胸の詰まるものかと思えば、御なぐせめられ候」である。その時その時、一声の念仏に集中して、楽に、楽しくお念仏をさせてもらえばいいのである。自力じゃ、他力じゃ、ご恩報謝だ、とこねくり回すから、声が詰まるのであす。ちょっこと目を開かせてもらった気がしました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 

 

|

廃仏毀釋は生きている

 『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~の記事ではないが、関連して、華光誌の巻頭言の言葉が、鋭く突き刺さってくるので、紹介する。

 いまから50年前の華光誌の巻頭言に、「廃仏毀釋は生きている」という西光義敞先生の記事がある。短い記事をさらに要約すると、

「明治維新100年を祝賀しようという中で、「けっこうじゃないか」という単純さでは困る。だれが、なんのために、そういう音頭をとっているのか、よくみきわめなぱならぬ。そして、明治以降、わずか百年で立派な近代国家になったという人は、国家原理を貫くために、個人の尊厳をじゅうりんしてきた日本の罪業百年史に目をつぶるものだ。その罪業の重大な第一ページが、廃仏毀釋だ。しかも、敗戦よって、明治国家が滅んだというのも幻想で、いまだに、廃仏毀釋の影響はさまざまに形をかえて、われわれ日本人の精神生活を蝕んでいる。 江戸時代以来、庶民の中にあった仏教大事の精神は、急速にうすらいだ。外道化した自分の変質に気づかずに、廃仏毀釈の間を生き残った数少ない念仏者をほのかに恋う。そんなことでよいのか。」

 昨年は明治維新150年だった。それだ、大河ドラマも「西郷どん」で、明治維新の功績が取り上げられていた。それほど明確な盛り上がりはなかったが、一部で祝賀ムードがあったのは、100年前と状況は同じことだろう。では、それに対して現代の、私たち仏教徒、念仏者の態度はどうであるのか。
 西光先生の文章は、このように結ばれている。

 「明治以来百年、いったい仏教徒のだれが、いつ、どんな形で、廃仏毀釈にいのちがけで戦いをいどむのか」

 驚くほど厳しい文章に、身震いする。

 南無阿弥陀仏 

|

『仏教抹殺』~なぜ明治維新は寺院を破壊したのか~

 新年号の華光誌の中でも紹介しているが、『寺院消滅』が話題になった鵜飼秀徳さん(京都の浄土宗の僧侶)の『仏教抹殺』~。これまたセンセンショナルなタイトルだ。副題は「なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」。明治維新の直後から断続的に出された「神仏分離令」るより、各地で起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の歴史が紹介されている。

 たとえば、今年は天皇の代替りの儀式が続いたが、すべて神道方式で行われていた。しかし、明治以前は天皇家も仏教徒だった。京都の泉涌寺-長女は泉涌寺の塔頭の幼稚園に通っていた-は、「御寺」と言って天皇家の菩提寺。天皇家を檀家に、何十という歴代天皇の墓所があり、明治天皇のお父様、孝明天皇の墓所があって、先ほど、新天皇も参拝された。ところが明治維新で国家神道に生まれ変わると共に、仏教も切り捨てられていく。民衆も、権力への忖度から弾圧に加担する。興福寺の五重の塔が、今の価格で1万円ほどで売り飛ばされそうになり、京都では、木像は薪に、金仏は溶かされ四条大橋の欄干になったりする。神仏習合を否定して神仏を分離させていく中で、僧侶が神主に鞍替え(時には積極的)する例も紹介されていた。

 中でも一番の決定打は、明治5年の「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」という布告。それまで僧侶は浄土真宗以外、肉食妻帯が禁止されていた。実際は、形骸化していても、出家者は、頭を剃り、結婚もしない、肉食や飲酒禁止が建前だった。それが、明治政府が、僧侶も結婚や肉食を自由にしてよろしいと許可がでて、それに各宗派が飛び乗ってしまった。すると僧侶と俗人を分けるものがなくなり、世俗化が進んでいく。江戸時代に檀家制度が確立していたので、宗派に関わらず、寺院の世襲が当たり前。僧侶は代々の家業になりさがる。浄土真宗では、在家止住の道を、親鸞聖人が選ばれたが、本来の仏教は、家庭や世間的な幸せを捨てて出家を選ぶのに、明治以降、世俗権力に従ったがために、世俗化が進み、日本仏教は衰退していく。さらに致命的になるのが、上知(あげち)令で、広大な境内地が没収され、寺院は弱体化をしていくというのである。

 興味のある方は、ぜひともご一読ください。(補足で、次に続く)

 

|

仏書に親しむ会『仏敵』第4章(1)(2)

 『仏敵』を読んでいる。1ページごとを、順番に声に出して読んでいく。10名の参加者だったので、今日のところは2巡したので、20ページは読んだことになる。特に、この4章は、野口道場から一転、2月の仏教(龍谷)大学で起こった事件の回想シーンだ。二十歳前後の学生の時には、青臭い人生観がでる場面でもあって、ちょっと敬遠されがちだ。しかし、伊藤先生の求道の原点がどこにあるのか、またその後、野口道場での海千山千の同行とやりりとの伏線となっている部分なので、じっくり読むと、「なーるほど、ここに原点があったのね」と発見も多かった。また、夜泣きそば屋のオバサンの一言など、すっかり記憶になくて、こんな軽妙な、面白いやりたとだったのかなーと、新鮮に読ませていただいた。
 中でも、伊藤先生以上に、同室の北村君の鋭い言葉が光っている。もしかすると、この時点では求道の上で、伊藤先生よりも進んでいたのかもしれない。しかし、結局、彼はその一歩を踏み出し、翻ることはないまま、世俗の喧噪の中に戻っていくことになる。

 善き知識に出会えなかったのである。

「先生! 僕は生きた餓鬼です。何もかも受け入れることのできない呪われた餓鬼です。どんな美しい水でも、僕の前では炎となります」

「僕も、涙より涙への徹すべき念仏は知っています。が、僕は阿弥陀様のお姿を拝したときに、ハッと感じて、胸の中へ抱かれたいような気がするのです。けれども後念には、もはや雑念が浮かんできて、訳が分からなくなります。
 母に分かれてから両3年の間、すへてのものを犠牲にして真実の光を求めておりますが、まだ分かりません。偉大なる慈悲は僕の胸に徹しないのです。僕は、本願成就文にある「聞其名号」の「聞」の一字が分かりません。あの「聞」の一字がわからないために…」

 北村青年の悩みは深い。

 この「聞」の一字にこそ、真宗最難の無門関、一念帰命を他力回向信を開く肝要があるのだ。南無阿弥陀仏

 次回は、第4章(3)(4)を読んでいきます。

 ◎令和2年1月8日(日)夜6時50分~9時
 

 

|

「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」~真宗者であることの自覚~

  華光誌輪読法座を終えて、夜は、真宗カウンセリング研究会の月例会へ。『育ち合う人間関係』を読んでいる。第3章の「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」。ビハーラ活動と題されているが、主に「真宗カウンセリング」とは何かが語られている。今日は、その最後のまとめで、真宗カウンセリングの実践的諸問題についてである。
 今年に入って、新会員が積極的に参加くださている。おかげで今夜もずいぶん活気のある集りになった。
  担当者も、6月に新会員になった方だったが、西光先生の深い文章と、自らの法の喜びとが相まって、力強い発表となってずいぶん刺激を受けた。ありがとうございました。
 さまざまな刺激の中でも、冒頭の言葉は印象深い。

「真宗者であるということは、他者による判定をまつのではなく、自覚の問題でなくてはならない。
 具体的に言えば、受け難い人身を受け、弥陀の本願に遇った喜びのあるもの。あるついは、真宗の教えに惹かれ、真宗念仏の本質を知ろうとして、聞法の姿勢を失わない人である」

 この「自覚」という言葉が響いてきた。もちろん、真宗安心の上では、用法に注意が必要な言葉ではあるが、結局のところ、真宗者であるというとこは、先生や資格、組織といった権威から認定されるものではなくて、自らの自覚、つまり「名告り」の問題になってくる。名告る、看板をあげる以上、その責任が伴うのだ。つまり他者の責任に転嫁するのではなく、自らが一人立ちするという厳しい面である。しかも、その自覚とは、わが身は、「罪悪深重の凡夫」であり「愚者」であるという、深い自覚でなくてはならないという、奈倉先生のご指摘に、頷くばかりであった。南無阿弥陀仏

 

|

華光誌輪読法座「平生業成の人」

  今月は、誌上感話の「平生業成の人」~母の介護に思う~を、一気に読む進めた。筆者は、僧侶ではないので、法話ではなく感話とした。最初にご讃題がないし、まったく仏教用語も使われていない。しかしこれはもうご立派な法話としかいいようがない内容だ。

 70代の後半で脳出血で倒れて、一命は取り留めるも、高次脳機能障害で介護が必要な母親の姿を通してのお味わいである。筆者は、ぼくとまったく同世代(同級生)なので、年老いた母に対する思いなど、とても共感されるもがある。またきれいごとではなく、はっきりと自分を出して語っておられのが有り難い。たいへんな深刻な状況であるのに、華光大会の時も、軽妙に、かつ明るくお話くださったことが、印象的にあった。

 ところが、お参りの半数以上は、介護を受けているお母様(しかも1人を除いて女性だった)の世代なので、認知症とは異なるが、状態のありようには似ており、具体的な後遺症の有り様に、我が身の姿を見るようだという声が多かった。同じ文章でも、介護をする側、介護を受ける側で、関心や心が動く場所が違っているなだ。ここは自分ひとりでは味わえないところで、世代や性別も異なる方との輪読するメリットである。

 それにしても、本文には一文も、「平生業成」の言葉はないのに、鮮やかに平生業成の心をお話くださっている。

  ご法の上でも、世間的にも、立派なお母さんが、このような哀れな姿になったことを、「かわいそうだから、人前に連れてくるな」という同情(?)する人に対して、きっぱりと、母はまったくかわいそうな人ではない。後生の上では、はっきり行き先が決まっている幸せな人です。ただ、母は母の、ぼくはぼくの、それぞれの今生の業を果たしていかねばならないだけのこと。それそれでたいへんであっても、後生の定まったものは、それを受けていくだけのことである。大切なことは、いま、ここでお念仏に合せていただく以外にはないのだと。そして仏様からみれば、おかしいのは母ではなく、自分また同じものだ。迷っているとも、狂っているとも、哀れとも知らないで、もし仏法を聞くことがなければ、どこへ行くのか。だから、元気は、いま、ここでお念仏に会わせてもりましょうと。そんなお心が込められた文章だといただきました。南無阿弥陀仏。

|

念仏と黙想と語らいの集いのお誘い

 原始教団の法座の原点に帰り、念仏と、黙想(沈黙)、自由に法を語り合う時間を共に過ごしませんか。従来の分級座談会の枠を破るきっかけになればと願い始めました。この集いでは、一同で称名念仏と、静かな時間を繰り返し持ち、比較的少人数で、各自が自由に喜びや法味を分かち合う時間を持ちます。昨年から、セッションの合間に、法語(お聖教)を頂き味わう時間も持っています。念仏は、自己の殼を破る秤(はかり)です。これまでの集いでは、信、未信を問わず、各々が自分をうち出し、共に喜びや味わいを語り分かち合う貴重な集いとなりました。今回は、2日目の昼座を京都支部家庭法座と合同としました。まとめの意味でのご法話もいたします。皆さまとの新たな出会いになればと楽しみにしております。合掌

◇日 時:12月21日(土)13:30(受付13:00) ~22日(日)16:30
◆会 場:華光会館(京都市南区西九条東柳ノ内町22)
◇参加費:同人= 8,000円 (1日のみ 同人= 4,000円)
 一般= 9,000円 (1日のみ 一般= 4,500円)
◆宿泊費:3,000円(食事は各自で)
◆申込先:華光会館まで。
 電話(075-691-5241)・FAX(075-661-6398番) 又は、
  Eメール(keko-kai@mbm.nifty.com)や華光会HPからどうぞ。

◎2日目昼座(1:30~4:3-)の「京都支部家庭法座」のみもご参加いただけます。

締め切り後ですが、まだ大丈夫です。奮ってご参加ください!

|

西光寺報恩講(3)~伝統の力~

報恩講様をこれだけ丁寧に勤められるお寺も貴重になってきている。伝統の力は強い。しかし型だけを継承するのではなく、そこにこられめた精神の継承こそが難しいのだ。

お斎きも4回も出される。これを守り、継承されている方々がおられる。道具も、きれいに漆で塗り直されている。伝統の力を感じる。もっとも、講師の夕食は、精進ではない。熱々のステーキがドカンと出てくる。このお構いなし感のギャップが、このお寺の魅力でもある。

Img_4585

 法要もとても丁寧だ。初日の昼座は、時間をかけ、丁寧に「大師影供作法」が勤まる。
夜座には、『御伝鈔』拝読もある。ダイジェスト版はなく、やはり時間をかけて拝読される。

Img_4616

2日目の昼座は、「報恩講式文」の勤行だ。本山や別院は別として、末寺ではなかなか聞かれない。雅楽も入って、お導師も、緋色の衣の地位のある方が勤められる。思わず「兄貴、覚悟はよいか」と衣の裾をひっぱりたくなるのだが、もちろんやらない。

Img_4623

夜座は、お内仏の仏間に移動して、お正信偈。事故で大怪我をされたご住職の弟君が、車椅子のままで、「御俗抄」をあげてくださった。そのまま、仏間で、見台の前に座ってのお説教。また雰囲気も替わる。

Img_4637

そして、最終日の朝は、勤行のあとに、仏婦のコーラスが恒例になっている。
宮沢賢治の「アメニモマケズ」をうたわれたが、これはかなりの難曲。真宗の見方では、これは阿弥陀様の歌だと思っている。
もう一曲は、がらっと雰囲気が変わって「パブリカ」だ。子供たちは大好きで、子供大会でも定番になっている。歌が流れると踊りだす子供もいるほどだ。今日も、3歳の子供が、コーラスにあわせて歌いだした。

Img_4643

その昔、「面白真面目」というキャッチが流行ったが、ぴったりである。キチットとする時はとてもきっちりと守り、くだけたところはくだける。それが一番端的にでるのが懇親会の場面。これがなかなかすごいがが、それは項目を改めて、、。

Img_4625

 

|

西光寺報恩講(2)~高座~

初日の夜座は、高座での説教だ。高座にあがると、法話といより、説教といいたくなる。いまは、節談説教のようなものを除くと、高座の説教を聞くことはなくなった。僕自身も、高座でお説教をさせていただくこともない。ほとんどが黒板を使用しながらのテープル講話の形式だ。高座には見台も置かれ雰囲気はいい。仏教説教から、落語などの語り物の芸が生まれてくるはご承知のとおりだ。その名残が「ウケル」という用語だ。いまも、お笑いで「うけた」というのは、大笑いをとったことだか、もともとの由来は「受け念仏」にある。冒頭や最後に、一斉に行う称名念仏ではなく、法話の合間の有り難いところで、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏が出で来ることである。これがなかなか難しい。お説教でも、笑いや涙をとろうとする方もあるようだが、お念仏の声が聞こえてことないようでは、寂しいかぎりである。高座が消えように、受け念仏の声も消えていくのだろう。

Img_0090 さて、高座にあがると皆さんがの姿がよく見える。そして、もう一つ、ここに登壇させてもらう以上は、絶対にやりたいことがあった。『仏敵』の一節の再現である。

若き日のおよし同行が、大病をして、もう助からないという声が聞こえてきた。その時、わが身に「後生は」と問うと、九分九厘までは助かると喜べるが、あとの1厘を叩くとあやしくなる。それで本山でも一番、「二種深信」のおいわれを分かり易く説いてくださるという大阪の善光寺様にご示談をお願いすると、「お前は私の説教をよく聞いておけ」とだけ言われた。耳を澄ませて聞いていたお説教は、常並の説教だったが、高檀を下りられる前にただ一言。

「当流には、捨てものと、拾いものとがある。これが分からねば、百座、千座の聴聞もなんの役にも立たぬ」

と言って、ポイと飛び下りられました。

 これはおかしいと思ったおよしさんは、客間に言ってすぐに伝えると、
「お前はえらいところに気がついた。これは大事の問題で、おいそれと言った軽い具合に話すのは勿体ない」と、口をすすぎ、顔を洗い、袈裟を掛けて、院元和態度で物語られました。

という一段である。今回は、この一段の物語り、覚如上人の「平生の時、善知識の言葉の下に、帰命の一念を発得せば、その時をもって娑婆のおわり、臨終と思うべし」という御文から、平生業成の人と題した説教だった。「当流の一義は廃立肝要なり」の要をお伝えした。

ご住職は、「初めて高座ご法話をしてもらった甲斐があった」と言ってくださった。有り難いことに、この法話に引っかかったご門徒さんがあった。「『百座、千座の聴聞もなんの役にも立たぬ』という聴聞をしていますと」。
彼は、1月の報恩講にフル参加されることになった。皆様、厳しくお育てをお願いします。

 

|

西光寺報恩講(1)~本当のことを聞く~

朝一番で、華光誌同封の「年間行事表」の手直しをする。印刷所への渡しは託して、バタバタと西光寺の報恩講様に向かう。

昨年、一昨年は、4月の永代経にお招き頂いていたが、今年は、報恩講様である。報恩講は5年ぶりだ。3日間で、7座も法席がある。華光誌編集に追われて、法話の準備は十分にはできなかった。それでもこの1年の集大成だと位置づけ、最近の課題やテーマを中心にメモなしに臨んだ。それだけの経験は積ませてもらっている。

Img_4592

教案はだいたい考えていた。だいたいというのは、参詣の雰囲気や顔ぶれによって、一部は代える可能性があるからだ。今回は、聖典講座の関係もあって、観経の「三心」(至誠心、深心、回向発願心)を一座(2席)ずつお取次ぎ。至誠心は親鸞様の「唯信抄文意」を、深心は「二種深信」、回向発願心を「二河白道の譬え」を取り上げた。これをひとつの流れの中でお取次ぎするのが、今回の要である。
至誠心は、真実心であるが、真実心であろうとすればするほど、虚仮不実の自己と出会わざるおえない。そこを善導ざまは、懺悔しつづけられるのであるが、その自覚が「機の深信」へとつながり、さらには、二河譬の「火の河、水の河」へとつながっていく。そこでは「火の河、水の河を消してこい」とは言われていない。むしろ、そこにかまわず、畏れず、一歩を踏み出せていう思し召しだ。「衆生の煩愼煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむる」のである。

それには、ほんとうの自分を知らせてもらうしかない。自分のことは自分でわからない。それは、法の働きによる以外にはない。そこでお教えいただく自分とは、自分では目を背けたい事実である。ところが、不都合の真実を聞くことが、苦なのかというと、楽になれる道である、大逆転するのだ。迷いの人生とは、無人空迥の澤-たったひとりで、しかも真実を教えてくださる方に出会うことなく、死んでいくのである。どれだけ馬鹿騒ぎをしようとも、これほど虚しいことはない。ところが、仏法に出会って、自分に不都合なことでも、初めてほんとうのことを教えてもらえるのである。それは、「仏様が御覧になっている」ほんとうの私といってもいい。虚仮不実の迷いの中で、これまで誰も教えてくださらなかった真実に出会うのだ。これ以上の喜びはないではないか。同時に、それが聞けるとき、これほど楽になれる世界もない。バカをバカと聞ける、地獄行きを地獄行きと聞けるのである。もう代える必要も、飾る必要もない。そのまま願力に乗託するだけである。法の深信で「彼の願力に乗ず」とお示しされ、二河譬でも、二尊の意(おこころ)に信順して、水火二河を顧みないで、「彼の願力の道に乗ず」と示されている。白道とは「本願力の道」なのである。

Img_4619

|

華光誌と年賀交換

 12月に入って、ブログが滞っている。今、書いておこないと月曜日までお休みが続く。

 さすがに師走。慌ただしい日々を送っている。法座もあるが、華光誌の編集作業である。年内発行のための期日が迫っているのだ。加えて、「年賀交換」と「年間行事表」の2種類がある。これは、まだぼくが版下から作っている。例年は、華光誌本体を渡してたから、年賀の渡しには2~3日の猶予があるか、今年は、寺院の報恩講布教が重なったてしまったので、同時の作業だ。
 事務所の皆さんも、12月に入ってからずっとたいへんで、今週は深夜まで作業が続いている。昨夜もIさんは、深夜0時回った最終列車で帰り、朝は大学という日々である。早く作業を始めたいのだが、なかなか原稿が入ってこず、ギリギリになってしまった。昨日、最後のTさんの営業努力で、ほぼ(1枠のみ)年賀の原稿は埋まった。これも華光会のささやかな収益事業である。

 いま、やっと行事予定の第3校があがり、明朝一番で校正したもらい、手直し。すぐに印刷所に渡しとなる。綱渡りである。しかも、ぼくは印刷所が来る前に布教に出発せねばならない。報恩講は3日間、7座も法話がある。夜座は「高座」という経験もさせてもらう。

 高山法座からの4日間は、ずっと華光誌に専念していたので、教案は用意できなかった。それでも、今年の法話の集大成なので、今年の法話のテーマがいくつか頭にある。バラバラのようで、大きな底に流れるテーマを設ければ、ある程度、まとまったものになるだろう。華光誌が終わったら、ほっと一息となるのだが、布教が終わりるまでは、もうひと頑張りだ。

|

« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »