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四十八願を味わう(21)~第四十願~

「たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、意(こころ)に随ひて十方無量の厳浄(ごんじょう)の仏土を見んと欲(おも)はん。時に応じて願のごとく、宝樹のなかにして、みなことごとく照見せんこと、なほ明鏡にその面像(そんぞう)を覩るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第四十願・見諸仏土の願)

 意訳「もし私、法蔵が仏になる時、私の国である浄土の菩薩が、思いのままに全宇宙の数限りない他の仏国土を見たいと思ったならば、いつでもその願いどおりに、曇りのない澄んだ鏡その姿を映すように、浄土の宝の樹々の中に、そのすべてを明かに照らし出し見ることができるでしょう。もしそうでなければ、私は決して仏にはなりません。」

 四十八願も、最後の一段になってまいりました。これ以降の第四十一~四十八願は、第四十六願を除いて、広く他の仏国土で自力修行中の菩薩方に誓われた願です。他国の菩薩方であっても、阿弥陀様のお名前を聞く、聞名で得られる大きなご利益を頂けることを誓う願が続くのです。
 その意味では、この第四十願はその前段階です。阿弥陀様のお浄土に生まれられた菩薩方にも、全宇宙の無数の仏国土の有り様が、澄んだ鏡に写るように、手にとるように見えるようにしようと誓われた願なのです。
 これは、極楽浄土という国土の建立を誓われた、第三十一願「国土清浄の願」の別のご利益のように見えます。しかし、単なる国土のことを誓われたものではありません。阿弥陀様のように、浄土に生まれた菩薩方にも、他の仏国土の様子をことごく知らしめようとされた願いです。
 つまりは、これまでは自分のことにしか興味がなかった者が、お浄土では、他国の者へも関心を深めていくということですね。そして、ここからは、他の仏国で自力修行に励む菩薩方をも見捨てずに、常に働きかけておられる阿弥陀様のすごさを感じさせられる願が続いてまいります。

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