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2019年11月の17件の記事

東海支部法座~一歩の踏み出し~

 今回の東海支部法座は、岐阜県の初めての会場だった。

 詳細には触れることができないが、どうかこの地もお念仏の声が響く法地となることを願っている。

たとえそこに長き歴史があり、すばらしい宝物や寺宝があったとしても、今、そこに仏法がなければ意味はない。仏法は、ここに集う人達の念仏の声として立ち上がる。そしてそれが一時の狂騒ではなく、その地に根付いて相続されるには、この地に響いた念仏の声が、その畳に、柱に、そして仏壇にしみこむまでの時も必要である。それは途方もい遠いみちのりであるかもしれないが、どんなことで、小さな第一歩から始まるのである。逆にいうなら、どんなに素晴らしい理想も、現実にその一歩が踏み出されることがなければ、机上の空論に終わる。

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 その一歩が踏み出されたことが尊かった。南無阿弥陀仏

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最上山もみじ祭

ということで、最上山もみじ↓

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願寿寺も負けてません↓

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隣の神社の紅葉と十月桜↓

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四十八願を味わう(21)~第四十願~

「たとひわれ仏を得たらんに、国中の菩薩、意(こころ)に随ひて十方無量の厳浄(ごんじょう)の仏土を見んと欲(おも)はん。時に応じて願のごとく、宝樹のなかにして、みなことごとく照見せんこと、なほ明鏡にその面像(そんぞう)を覩るがごとくならん。もししからずは、正覚を取らじ。」(第四十願・見諸仏土の願)

 意訳「もし私、法蔵が仏になる時、私の国である浄土の菩薩が、思いのままに全宇宙の数限りない他の仏国土を見たいと思ったならば、いつでもその願いどおりに、曇りのない澄んだ鏡その姿を映すように、浄土の宝の樹々の中に、そのすべてを明かに照らし出し見ることができるでしょう。もしそうでなければ、私は決して仏にはなりません。」

 四十八願も、最後の一段になってまいりました。これ以降の第四十一~四十八願は、第四十六願を除いて、広く他の仏国土で自力修行中の菩薩方に誓われた願です。他国の菩薩方であっても、阿弥陀様のお名前を聞く、聞名で得られる大きなご利益を頂けることを誓う願が続くのです。
 その意味では、この第四十願はその前段階です。阿弥陀様のお浄土に生まれられた菩薩方にも、全宇宙の無数の仏国土の有り様が、澄んだ鏡に写るように、手にとるように見えるようにしようと誓われた願なのです。
 これは、極楽浄土という国土の建立を誓われた、第三十一願「国土清浄の願」の別のご利益のように見えます。しかし、単なる国土のことを誓われたものではありません。阿弥陀様のように、浄土に生まれた菩薩方にも、他の仏国土の様子をことごく知らしめようとされた願いです。
 つまりは、これまでは自分のことにしか興味がなかった者が、お浄土では、他国の者へも関心を深めていくということですね。そして、ここからは、他の仏国で自力修行に励む菩薩方をも見捨てずに、常に働きかけておられる阿弥陀様のすごさを感じさせられる願が続いてまいります。

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山崎町仏教会寺宝展

 秋の連休。晴天で、暖かくて絶好の行楽日。反対車線の上りは、京都を前に大行列。しかし、下りは新名神の高槻からのルートが開通してから、渋滞の名所だった宝塚トンネル付近もスムースに進む。予定通りに、出口の山崎IC。ここからは近い。ところが、出口前に本線から渋滞が伸びて、一向に動かない。「山崎で降りて、どこに行くのかな」「どこもないよね」「きっと事故か、ゲートのトラブルじゃないの」と。少し動いてはまた停まるを繰り返し、10分、15分と経過し時計が気になってきた。本線中の真下にお寺はあって、ICからも2㎞ほどだが、思わぬところで足止めだ。

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「もしかしてみんなお寺に向かってるんじゃないのか」「とうとうきいたか」などとバカ話をしてたいが、すぐに夢はくだける。出口ゲートまでたどり着くと、逆側方向の道が大渋滞。残念ながら、お寺のほうに向かう車はぼくたちだけだった。

「みんなもみじ祭にむかうのですよ」とご住職。この2日間、さまざまなイベントが行われているという。「最近、盛んになって、報恩講と日程がかぶっているですよ。今日、法中で出勤されるお寺さん方もその地域にあって、移動もたいへんなんです」と。

 するとお仲間のご住職から「いま、うちの本堂でも、もみじ祭に協賛して、山崎町仏教会の寺宝展を開催中です。法座が終わったらお出でになりませんか?」とお誘いをうけた。法座の合間の休憩時間に、山崎町の旧城下町から「もみじ山」に向かう会場付近まで送迎くださる。

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古い酒蔵のある旧城下町。その一角に寺町のようにお寺が集中している。会場では、知り合いのご住職や坊守方が受付や場内整理をされていた。山崎町仏教会だが、浄土真宗が中心で浄土系統の寺宝ばかりが並ぶ。メーンは、浄土宗のお寺が殿様から下付された「涅槃図」と「観経曼陀羅」が大作だが、江戸時代のもので新しい。

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そして展示の半数以上は、来月報恩講でお世話になる西光寺の寺宝が占めていた。由緒あるお寺とは分かっていたが、いいものを持ってます。鎌倉時代や室町時代のものもたくさんある。撮影の許可をもらって一部をご紹介。いろいろものがあるといはいえ、余所様のお宝を預かるのである。心配でおちおち寝てはおられなと、「宝物の警備を手伝わー」と、法座懇親会は寂しくあったけれどね。
以下は、西光寺の宝物の一部。上から「美人画」「吉光女像」(親鸞様の御母堂・鎌倉期)「円空像」(蓮如師の讃・室町期)

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 お宝拝見のあとは、イベント会場になっている商店街を歩きながら最上山もみじ山にも紅葉狩へ。夜にはライトアップもあるという。とてもきれいでした。

「山崎で降りても、何もないよいねー」などと失礼な会話。すみませでした。

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願壽寺報恩講

「お前も早く信心をもらいや」

『仏敵』で、伊藤先生に初めて会ったおよしさんが仰ったお言葉を、4座ある法話のテーマにした。それぞれで、「二河白道のたとえ」「平生業成の人」「恩徳讃」そして「信心と念仏」というテーマでお取り次ぎして、最後は、法に出会うことは、死人(逆謗死骸)を報を奮い立たせる力があるのだと結んだ。 

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 このお寺は、毎月の定例も含めて皆勤賞の表彰式がある。1年間、休まなっかた皆勤、1度だけ欠席の精勤の方がかなりおられた。それだけ熱心にご聴聞されているのである。無仏・無仏法の世の中で、お寺のご縁をいただくことは尊い。仏法のお育てにおいては、お寺に親しんでもら、聴聞の場に座ってもらう、そして声に出してお念仏を申してもらう。それが家庭でも仏壇に手を合わせ、勤行するようになる。そんな積み重ねてのお育てを頂いたからこそである。その意味では、皆勤にお参りされるところまでのお育ては尊い。ならば、もう一歩踏み出してもらいたいと思う。

 まずは、ほんとうに真剣に、この法縁に臨んでおられるのかという態度である。
 そしてどんなに誠実に臨んでも、その聴聞の要をどこに置くているか。ただ、ただなんとなく漫然と聞くのでも、知識や修養のために聞くのでもない。我が身ひとりの信心というところに焦点が当たっているのか。または今生の生活ではなく、後生の一大事を心にかけているのか。なかなか自分事、ましてや自分の後生の一大事に心をかけ、信・未信を問うような法座にはお目にかかれない。

 寺院布教で、そんなところまで問うことは難しい。だからといって、お茶を濁したような話で終わるつもりもない。明かに、人生の後半期も残り時間の先は見えてきた。お伝えすることを躊躇しているようでは、何も伝わらないのである。今回も、そんな態度で臨ませていただいた。南無阿弥陀仏

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「真宗カウンセリングの特質」

 大阪法座を終え、参加の同人とご一緒に、19時からの真宗カウンセリング研究会の月例会へ。奈倉先生も出席くださると月例会も厚みが増している。

 『育ち合う人間関係』の第3章「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」の中から「真宗カウンセリングの特質」(219~224頁)を読む。

(1)真宗とカウンセリングの出会いによって生まれるカウンセリングある。
(2)「名号法」を基盤にしたカウンセリングである。
(3)構造的には二重の関係から成り立っている。
(4)実践的には二重の配慮の上で行われる。

 並べただけでは、特に(3)(4)の構造的、実践的に共にある二重性の「二重」とは何かが分からない。少しそこのみを補足すると、

(3)関係性=一般的なカウンセリングでみられる「人と人との関係」で成り立つ。
       上記に加えて、真宗カウンセリングでは「人と法(もしくは仏)との関係」

(4)配慮=カウンセリング一般に共通する「心理的配慮」で行われる。
      上記に加えて、真宗カウンセリングには「霊性的配慮」
  この場合の「霊性的」とは「スビリチュアル」のことである。一般のカウンセリングが「生」の次元や人間関係、もしくはその延長上の「死」の問題が主であるのに対して、真宗カウンセリングでは、より心理面よりも深層、高次元で、たとえば、死の問題にしても、いわば「生死」を超えるレベルでの問題で、その意味での「霊性的配慮」が必要になるといのうである。

 つまり、この二重の関係が成り立ち、この二重の配慮の上で行われているカウンセリングが、真宗カウンセリングの特質ということになる。

 皆さんで何度も読み、分からないところを確認しながら理解を深めていかなければ、なかなか理解しにいく箇所でした。勉強になりまし  

 

 

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大阪支部報恩講~親鸞様のご恩徳とは~

  日曜日予定だったのを、他の地方法座の関係で二転三転して、平日に変更してもらった。大阪支部の皆様、ありがとうございました。平日にもかかわらず、お仕事を休んで参詣される方もあり、珍しい参加者もありました。

 大阪支部の報恩講様なので、お正信偈から始まる。法話も、「報恩講の意義」について。報恩講とは、親鸞様のご命日を前に、「親鸞様のご恩徳を請(つまび)らかにする集い」という意味がある。では、その親鸞様のご恩徳はどこにあるのか。そのことを皆さんに問ながら聞かせていただく。今、これを読んでくださっている皆様も、ぜひ、自分のところで考えてください。


 その時は、「信心一つで」とか、「悪人正機の教え」「凡夫が救われていく」「他力回向の信心」などのお答えが返ってくる。さすがに皆さんよく聴いておられます。
 でも、聖人のご恩徳は、単なる教義の上にあるのではない。その意味では、もっと普通の言葉で考えてもらってもいい気がした。

 親の恩とか先生の恩なら、目の前にあって理解できるのだが、親鸞様となると、どうしても遠くなるのもも事実ではないか。ましてや、阿弥陀様のご恩徳はどうなのか。

 私なりに味わうに、親鸞様は、身をもって私のところにまで降りきり、肉食妻帯の煩悩生活を送り、そんな泥凡夫こそが阿弥陀様のお目当てなのだと教えてくださったことにある。罪悪深重と内省される祖師はおられても、自ら戒律を破り、凡夫として苦悩の生きざまを示しされたからこそ、「いし・かわら・つぶてのようなわれらなり」という温かいまなざしで私を御覧くださったのである。たからこそ、私にも阿弥陀様のご恩徳の深きことをお聞かせいただけるのである。親鸞様のご恩徳と阿弥陀様のご恩徳は、決して別々に味わうことはできないのである。

 つまりは、さまざまなの高僧・お祖師がご出世される中でも、親鸞様のご化導がなければ、この凡夫の私が救われていく真実の道は開かれなかたったのである。

 如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 

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日高支部報恩講法座

  この3年で、一番、変化し、活発になっているのが、日高支部法座であろう。

  壮年層の日高同人が中核となり、その働きで他地域の同人を巻き込んで、法座が活性化されているのである。

 かっては日高支部同人が、華光会の中心メンバーだった。法座も活発だったが、その先輩の同人たちが、老苦・病苦・死苦の人生の実相を順番に示して、ついに往生の素懐を遂げていかれている。今回も、今年の3月法座ではお会いできたのに、その後2ケ月足らずで無常の理を示された同人がおられる。南無阿弥陀仏 今回、ご子息のご好意で、その方のご自宅でも法座を持ちことができた。

 法座の他に月忌参りも8軒以上はあって、法座の合間に忙しくお参りしていた。ところが少し前からは、法話は、初日の昼座と2日目の朝座の2座だけになり、お参り人数も一桁、座談会も雑談のまま流れていった。夜座のお参りはなくなり、Rさん、Nさん、ぼくら夫婦の4名だけので食事会という流れが定着しつつあった。

 それではせっかくの法座が勿体ない、なんとかしたいと、立ち上がってくださったのが、Nさんである。日高町から少し離れるが、豊岡でのご自宅で法座を持ってくださるようになった。先輩同人たちはお参りできないが、Nさんがそのご縁ある人に呼びかけ、お宿も提供してくださることになった。Nさん宅での家庭法座も、3年目になる。その呼びかけに応じて法友たちが集うようになり、Nさんの友達、Rさんのご家族、それに遠近各地(広島、鳥取、相生、大阪、京都、岐阜、名古屋から11名)からの法友が加わって、随分賑やかな集いになり、法座も充実していた。有り難いことである。

   法座も4回に、法話も4回。移動もある。初日の昼座はS家。法座の後で3軒になった月忌参り。そこから豊岡駅前のホテルでチャックインをすませて、また移動して夕食をとり、夜座。懇親会のあとはホテルに戻る。翌朝も豊岡で法座を持ち、そこから日高町にもどり、M家で法座。4座を、3ケ所の法座会場で行う。信仰座談会の時間は少なくなるが、深まるときは深まり、とても活性化かれた、いい法座ではなかったか。

 誰かの発願(自宅で法座を開きたい)が行動となり、法友の協力もあって、停滞気味の法座が活性化していく。停滞気味の支部には、とてもよくい手本ではないだろうか。減少を愚痴るだけでなく、なにかできることを決めて、覚悟(時間とお金、受容)の一歩が尊い。南無阿弥陀仏

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仏書に親しむ会~『仏敵』第3章~

『仏敵』の第三章(2)を読む。51~66頁である。第三章は「田園の念仏者」と題されている。

 「田園の念仏者」のタイトルから、のどかな念仏者の、ほのほのした味わいが語られるように思われるが、まったく違う。
   化け物屋敷のような風情に、伊藤先生は焦りまくるおよしさんの危篤の報を受けた伊藤先生が、野口道場に駆けつけた。その日の夜は、およしさんのご教化を受けた同人たちが駆けつけて、座談会が始まる。最初は、その個性的な面々に、「自雷也のガマ」「海ガメ」「おたふく」「タコ」「トランプの王様」などと名付けて面白かっている。しかし、植嶋雜、やえ様に、坊さんも加わって、丁々発する信仰放談が始まる。自らの体験談を語るもの、無信仰の僧侶を撃つもの、紙一重が破れないご示談の様子…とまさに「蛇の道は蛇」の、不可思議の世界である。

 結局、理屈や学問では分からない会話。すべてが、およしさんという得道の人に出会いから開かれた超越の世界に生きる人達の、法の言葉だといっていい。だから、どの言葉も、どの会話も、味わい深い名所ばかりなのである。ぜひ、何度も声に出して味わってみてください。

 次回は、12月4日(水)夜6時50分~9時

 第四章「学園を乱す者」の(1)にはいる。無碍の念仏者の、伊藤先生をひとり撃つために、搦手からの攻撃に怖じ気づいた伊藤先生が、裏口から逃げ出して、その2月に起こった龍谷大学での事件を回顧するシーンである。長くなるが(1)のところを一気に読んでいきたい。

 

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「日本の素朴絵」展

 混雑を避けて朝一番に、しかも準備も万全だったおかげで、パスボートの審査は10分ほどで終了した。
 早く終わったので、招待券を頂いた、龍谷大学ミュージアムに寄っていく。

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 あまり期待していなくて、行かない気持ちに傾いていた。が、これまでにないほど、ギャラリーが多くて驚いた。そしてその理由はすぐに分かった。国宝級の作品が並ぶと、確かに圧倒されるが、凡夫には難しいものも多い。
 ところが、これは「ゆるい」「かわいい」「たのしい」美術とある。いまの流行りのゆるキャラの原点といってもいい。思わず、微笑んでしまう作品ばかりだ。それで、みんな、「あれがかわいい」とか、「ここかいいね」と、お連れさんと自由に語り合っている。ある意味では、「ヘタ・ウマ」の元祖といってもいい。六道の地獄絵だって、閻魔さんも鬼も、亡者も、微笑ましく、分かってしまう。国宝の地獄や餓鬼草紙のような、深刻さが微塵もない。

 室町期から江戸期の作品が多いのも町衆の文化が生まれたからで、それ以前は、絵は、支配者階級(貴族や僧侶、武士など)のもので、庶民には縁遠いものだったのではないか。その分、構図もおかしなものがあるが、それがまた妙な味がでていた。

 たとえば、「勝絵絵巻」には、、陽物比べ(男性器の大きなを比較して勝負する)、放屁合戦(おならで勝負する)といったオバカな作品があった。結局、室町時代も、今も、人間のお笑いは変わっていない。等身大の庶民のバカさ加減が面白かった。

 江戸時代になると、有名な絵師や高僧のとぼけた作品が、目を引いた。禅僧なら、白隠禅師や仙崖和尚、高名な画家ら、尾形光琳に、池大雅、伊藤若冲、与謝蕪村などのビッグネームも、力の抜けた、ほほえましい小作品を書いているのである。彫刻なら、円空上人、木喰上人の作品は、あまりも有名だ。そんな中でも、一番気にいたのは、大正期の南天棒の「雲水托鉢図」。今回も、1、2を争う人気作だったようだ。

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 面白かったです。

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パスポート

 インド仏跡巡拝を前に、パスポートの更新をする。前回のインド旅行の前にも、パスポートの更新をしている。偶然にも、同じ日である。11年前の写真。うーん、やっぱりね。ある部位だけは、前回の写真でもすでに後退が始まっていたことにも驚いた。10年の歳月は誤魔化すことはできない。もう60に手が届くところに来ているのである。

 古いパスボートを片づける時に、初取得したパスボートが出てきた。こちらもインドの仏跡巡拝が最初である。パスボートのサイズは大きく、数次旅券でも5年間しかない。さすがに、こちらの写真は別人。19歳の学生時代で、まだ未成年。40年の歳月はずいぶん風貌を変えている。しかし、自分の中身は、ほんとうに成長したのだろうか。

 さて、改めてご案内です。まだまだ大丈夫です。ぜひこの機会にご一緒しましよう。

「インド・ネパールの釈尊七大聖跡巡拝」

 4度目の「インド仏跡巡拝の旅」は、11年ぶりです。明恵上人でなくても仏教徒にとって、釈尊のみ跡を慕うことは大きな夢です。しかも、お金(30万円)、休み(10日間)、体力、さらに家族の同意の四拍子が揃わないと実現しません。しかし、それ以上の価値があることは、これまでの経験が語っています。お釈迦様に会い行く旅を、一味のお念仏者と巡る醍醐味は、一生の思い出になることでしょう。
 添乗のトラベルサライの石田さんはインドのスペシャリスト。これまでも華光会の皆様のために、特別なツアーを組んで下さいました。今回も、初めての遺跡があり、大いに楽しみです。最低定員が16名。どうにか確保ができそうです。皆さん、ぜひ、勇気を出して一歩踏み出して下さい。仏跡の旅をご一緒しましょう。合掌

  日 時:2020年1月28日(火)~2月6日(木)の10日間
  代 金:298,000円(往復共、全日空(ANA)利用に変更)
  行 程:釈尊の七大聖地の巡拝(誕生の地ルンビニー、成道の地ブッダガヤ、初転法輪の地サルナート、『大経』『観経』会座の「王舎城・霊鷲山」、『阿弥陀経』会座の「舎衛城・祇園精舎』、猿侯奉密の地バイシャリ(初です)、涅槃の地クシナガラ、そしてガンジス川の朝日を拝み、世界遺産のタージ・マハールなどを訪ねます)
  詳細は、前号同封のカラーチラシをご覧下さい。お持ちでない方はご請求下さい。ご質問は、華光会までどうぞ!
  申込締切:2019年12月20日(金)ですが、インドのビザ取得などの手続きも必要です。早めの申込みをお勧めします。
  

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福井での法話会~得道の人~

 3月以来の福井での法話会。会場は、福井東別院で、主催は、福井のお東の組(そ)の同朋会(聞法会)である。

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 演題を「二河白道の譬え」と題しておいた。
 昨日の聖典講座は、「散善義」の文に直接あたったが、今回は『子供の聖典』を輪読しながら、お心を頂く。子供向けとはいえ、もともとの原文の内容に沿ったお話で、譬喩の部分と、合法の部分も別になっている。喩がそれで、座談会で、「何度も二河譬の法話を聞いてきたが、初めて全体を知りました」とか、「白道の真ん中で、三定死となると教えられてきました」などという声が多かった。二河譬のテーマだけでなく、遠慮なく、かなり突っ込んだお話を申した。

 ただ朝座、昼座と二座のご縁なので、朝座は「得道の人を信じる」というテーマにした。これは、白道の「道」に関連づけたものである。
つまり、親鸞様は、『涅槃経』の信不具足(不完全な信、すなわち自力の信心)について、いつくかの文を引用されているが、その中に、こんな箇所がある。

「また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名づけて信不具足とす」。

「道」とは、さとりへの道であり、さとりそのものといってもいい。「得者」は、「得道の人」、つまり悟りを得た人のことである。つまり、さとりへの道があることを信じても、その道を得たという人を信じていないというのである。つまりは、道があっても、その道を得た人には出会えていないということである。

 二河白道の譬えでも、行者は、なぜか「西」、つまりお浄土に向かって旅をしている。もうこの人は、聞法者なのである。その中で、忽然と、火の河、水の河、つまり、私の愼恚と貪欲の煩悩のすさまじさに出会っていく。その時、すでに「白道」が、火と水に苛まれつつ、微かであっても、その「道」のあることに出会っている。そして、ひとりぼっちである無常に気づき、後生の一大事と踏み出しても、その白道の手前で、行くも、停まるも、退くもすべて死しかない「三定死」のところにまで押し出されていくのである。

 この旅人とは、すぐに煩悩の渦巻く河の中に、「道」があることを見いだしているのだが、次の一歩が出ないでいたのだ。ところが、その「道」がある以上、必ず度すことができるのだと決して、前を向いた時に、この世の中にあっての善知識であるお釈迦様の「畏れずに行けよ!」の発遣の声が、背中を押してくださるのである。そして、阿弥陀様は、「いますぐこい。ただちに来い。必ず護ってみせるぞ」と、招喚の叫びをあげておられるのである。この「道は」は、自分の力でかけるものではない。すでに「道」がかけられているのである。そして、釈迦・弥陀二尊の発遣と招喚に、ただ信順していくだけである。そして、現実では、すでにその「道」を得た「得道」の人との出会いによって、その度るべき道があり、そしてお勧めがあってこそ、私は一歩を踏み出すことができたのである。ただ、「道」を信じるだけでなく、その道を渡った「得道」の人に出会ったことが、私の一番の幸せだったのである。南無阿弥陀仏

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10月の聖典講座~回向発願心~

 前回、台風のために中止になった聖典講座。2ケ月ぶりで、『観経』の三心のうち「回向発願心」で、主に「二河譬」「二河白道の譬」を頂く。

 冒頭は、回向発願心についての善導さま、親鸞さまの3つの解釈について触れた。簡単に言うと、『散善義』では、
(1)当面どおり、自らの善根を振り向け(回向)、自ら浄土往生願う(発願)、自力の心の立場。
(2)他力回向の立場。如来様からの回向される深心もちいて(他力回向)、必ず浄土の生まれさせていただくことを喜ぶ、他力回向の立場。
(3)最後は、回向に「還相回向」の意味があることにも触れておられるが、ここでの意味ではない。
の3つの立場である。いうまでもなく、浄土真宗は(2)の他力回向の立場で、親鸞様は善導様の原文を大胆に読み変えて、阿弥陀様からの回向を強調されている。

 そこを踏まえた上で、メーンである回向発願心の最後に示された「二河譬」を読む。『散善義』の文を、親鸞様の『信巻』の引用されているので、皆さんで読み込んでいった。二河譬は、「譬喩」の物語の部分と「合法」という解釈の部分とに分かれる。それで、上段に「譬え」、下段に「合法」で、上下が対応するレジュメを造った。「合法」の部分は、善導様の解釈だけではなく、『愚禿抄』や『信巻』にある親鸞様のご解釈も、別記して加えていった。我ながら労作であったが、以前、華光大会でのK先生の法話レジュメの様式を参照させてもらっただ。ありがとう。

 これは、信心を守護するたとえであるが、同時に、発遣と招喚に、信順する他力信の姿でもある。また、聞法や求道の姿としてもいただくことが出来て、尊かった。

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ゴミに想う

 3日間の大会を終えた早朝、連れ合いは公演のために福島に旅立った。今日は事務所の皆さんは休日。ぼくに課せられた使命は、ゴミ出しである。今日は生ゴミ。明日は、プラゴミ、明後日はカンビンである。仕分け直しや詰め替えなどをした。生ゴミは臭くなる。生きているものだからだ。今は外食の人も増え、また弁当箱の回収もあるので、この程度のゴミですんでいるが、これが3日間、人が集うということである。

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 でも、最初から「ゴミ」として生まれてきたものはない。すべて、私が利用して、私の役に立って、不要になたから「ゴミ」として捨てるだけのことである。役立つものは利用したい。不要になったら遠くにやりたい。私の貪欲のあらわれである。

 「ゴミ」もすべて「いのち」あるのもだった。いのちからゴミを生み出すのは私なのだ。私こそがゴミの張本人だ。この体は、外のいのちを取り込まなければ生きていけない。そしてそこから出すものをすべて「クソ」という名にしていく。そして最後、私のいのちを終えたなら、体も腐り、骨だけになってしまう。動物たちがそのいのちを私に施すのに、私は誰にも食べられることのないまま、そのいのちに執着しきって死んでいく。しかも、そんな身内の骨を「遺骨」と称して、大切に敬い、拝み、散財して墓を造る敬い奉る。もし、それを「ゴミ」扱いされたら、冒涜だと烈火のごとく怒るだろう。私のいのちとなるために食べてきた肉や魚の骨は、ゴミだと汚がって捨てているのにだ。
 
 役立ってくれたものをゴミだと嫌い捨て、ゴミ製造の張本人のものは尊いと拝み奉る。

 逆じゃないのか?

「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし」

とは親鸞様。それを伊勢の村田和上は、「三厳二十九種で清浄な荘厳された如来様にとって、こんなゴミのような私の身を粉にしても、骨を砕いてもご迷惑なだけだ。でも、それを喜んで受け取ってくださるのだ」と。
 如来様は、この轉倒して浄穢も分からない私を喜んで受け取ってくださるのである。

 伊藤先生は、「如来様を食らうことばかり考えないで、エンマや鬼でもい、如来様ならなおさらいい。この私をムシャムシャと食っていただけ」とお示しくださった。南無阿弥陀仏

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華光精神の宣布

 今年も3日間の華光大会が終わった。

 3年に渡る修繕事業を行っている。会館の内装、外壁の工事は、一部の追加部分を除いて終えることができた。募金活動は来春まで続くが,分割予定の方を含めると目標額に達することができた。リニューアルされた華光会館での華光大会、いつにもまして力が入った。

 これは一般の寺院でも同じことであるが、伽藍を維持し後世に相続することは、(外部からみると)当たり前のように見えるが、とてもたいへんな難事業である。殊に、今は、何のために伽藍維持のために喜捨するのかという意義が薄らいでいる。意味のないことに無駄をお金を使いたくない。お寺にお金や時間を使いたくないという世代が、急速に拡がっているのが現状だ。

 華光会館の場合、その存在意義は明確だ。ここには、先祖供養や骨のために集う人たちはない。生きたお念仏か息づいているからこそ集う人達である。純粋な念仏道場、聞法道場であるからこそ人が集い、修繕事業もなすことができたのだ。つまり、いくらきれいになっても、また沢山の人が集ったとしても、そこに仏法を喜び、自分事として聞法する人達たちがいなければ、そしてその人達の口から念仏の声が響き渡る、そんな場でなければ、何の意味もないのである。皆様のおかげで、20年に一度の事業をなし終えることができて、改めて、華光会館の存在意義、僕自身の使命を強く感じさせていただいた。

 そのこともあって、冒頭のご法話は「華光精神の宣布」と題した。いま、ここに連綿として流れる仏法の精神が息づいているのは、私達の前を歩まれた先達方の確かな歩みに触れたからである。それは教えが、単なる文字や儀礼、型の中にあるのではなく、生きた人格を通した念仏となって、お出会いさせもらったのである。
 ならば、それを次にまた相続していかねばならない。私の仏法を喜ぶ姿に触れて、また仏法を喜ぶ人が生まれてくるのである。幸いなことに、今回の華光大会でも、福岡や東京や神奈川などから初参加者が多くあった。老若男女、智愚、聞法の長短を超えて、真摯に、私の後生の一大事の解決を求め、廃立の一念を誤魔化さず、仏法を喜ぶ身と成らせて頂ける、そんな念仏道場がここにあるのだ。

 

 

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連続無窮のお導き

  華光会館の修繕工事で、道場の壁も新しくなった。以前より、つやがでてきれいなのだが、基調は同じ抹茶色の聚落なので、意識していないと見分けはつかない。

 その間、伊藤先生、悟朗先生の遺影を外していた。

 両先生の写真のトーン(白黒とカラー)の違いは仕方ないが、額縁の色(白と、黒と茶色の縞)も、サイズもバラバラなのが気なっていた。それで、リニューアルに合せ額縁を新調することにした。お店を回ったり、ネットで調べたりしたが、イメージがあわない。華光大会の4日前に専門店の額縁店にいった。現物をもって合せてみることにした。

 東寺の北側、東寺道にある額縁屋さん。既製品を考えていたが、そこは工房で、額縁・マットを選び、写真に合せて造ってくださるという。通常は1週間かかるが、3日間で大急ぎで仕上げてくださるという。おそろしいほど雄弁な店主で、次々と広がる話題の中で、生地になるマットを赤や金にする案もでたが、無難な形になった。額縁は、金とアンテーク風の古びた仕様を選んだ。時間経過と共に味が出てくるという。ほんとうにそれでいいのかどうかは分からないが、写真を合せるところまでお願いした。(これが正解だった。古い写真もきれいにしてもらえた)

 仕事を急ぎ。大会前日に完成してきた。おかげで、いいものが出来てけ、満足である。価格も、案外お値打ちで、安心した。

 楽しみにしていた母に一番に見てもらう。開口一番、「あれ、カラーになるんじゃないの?」。モノクロの伊藤先生の写真が、カラーになって揃うと思っていたしらい。残念ながら、それは無理で、変わったのは額縁である。

 運営委員会の皆さんにお願いして、大会当日に掲げてもらった。位置を揃え、左右の順番も入れ換えた。なかなか映えている。

 ところが、皆さんが気付いたわけではない。いつもお出でになっている方でも、まったく意識なく過ごされているようで、「ああ、そうですか」という、詮ない返事が返ってくることばかりで、ちょっとがっかりだ。不揃いが気になっていたのは、ぼくや役員さんたちだけだったようだ。

 ということで、ここにも写真を掲載する。お参り皆さん、今度は、意識して眺めてください。ここにも連続無窮お御導きがあるのですからね。

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掲示伝道

 午前中、佛教大学の四条センターの講義を受ける。

 帰路、会館に近くのお寺(大谷派)の前を通ったら、掲示伝道の文字が目に入ってきた。通りすぎた自転車をもう一度引き返して、写真を撮った。掲示伝道で、わざわざ引き返したのは、なかなか骨のある文章だったからだ。

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「名号を以って たすけるは 仏の仕事
 信心を以って たすかるのは 我々の仕事」

 特別な文章ではない。むしろ当たり前のことが書かれている。しかし、今日の浄土真宗では、信心(獲信)までも、棚上げして、すべて如来様の仕事に押しつけている風潮の中では、少し珍しい。他力回向、「たまわりたる信心」の曲解されているのである。

 藤代聰麿(ふじしろとしまろ)師は、曽我量深師のお弟子さんにあたる方のようだ。ネットで検索したら、この言葉はなく、別の言葉ばかりがヒットした。ついてここに引用する。

「これまでが、これからを決める」 のではない
「これからが、これまでを決める」 のだ

 ところで、このお寺、ぼくが小学校1年生の時の担任先生(お寺の娘さんたったのかな)のお寺。もう50年も前の話だ。

 

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