泉佐野での報恩講法座
日、祝と、泉佐野での寺院の報恩講法座に出講する。
台風の心配があったのか、わざわざ前夜に「予定どおり行います」との連絡をいただく。昨年の台風で、大きな被害を受けた地域である。
初日は、昨日予定していた「二河白道の譬え」を話した。
会館から「二河譬」の掛け軸をもち出して、「子供の聖典」をコピーして、皆さんと一緒に、読みながらお話をした。ご承知のように、ここは「たとえ話」の部分と、それを合法(がっぼう)して、たんなるたとえ話ではなく法の上に返していくところが要である。
二尊が一致して、発遣し、招喚するお心をいただく。しかし、お話をするうちに、二尊の御心に突き動かされて、重い一歩を踏み出させていだたくことの、なんと難しく、また同時に尊いことだったかと感じさせられた。
私の一歩の前には、先達の、先手をかけた畏れることのない、一歩を踏み出してくださったおかげがあったのだ。ぼく自身も、善知識である父と向き合って、その姿勢を蒙ったからこそ、「南無阿弥陀仏に飛び込め」の勅命に、分けが分からないままでも飛び込んでいかせてもらえたのだと思った。たった一歩の踏み出しである。しかし、その一歩がでなかったために、長々と迷い続けてきたのである。あまりにも重く、また勿体ない一歩の踏み出しである。
そして、いま、改めて我が姿勢をふり返させられた。法話でも、法座の態度・姿勢においても、どこかで上手に、つつがなく、収めようとしてはいないか。「後生の一大事と踏み出せ」とは、決して求道者に向けの言葉ではない。自分自身が法に対して、また対峙する相手(結局は、その相手を通じた自分自身に向き合うことだろう)に対する姿勢を問われているのである。
そんなお育てをいただいこと、素晴らしいお手本に巡り会えたこと、そのおかげで、こうしてわが身の至らなさを振りかえかえさせられるのである。南無阿弥陀仏
≪↓今年も、りんくうタウンに沈む夕陽を眺めた≫
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