九州法座 in 熊本~赤ちゃんに教えられる~
今回の法座は、ひとつ楽しみがあった。お世話のSさんの赤ちゃんに初めて会わせてもらえるのだ。法話の途中で、パパに抱かれて赤ちゃんが入ってきた。法話そっちのけで、みんなの視線が移る。可愛いのだから、仕方ない。
7ケ月になった赤ちゃんが、ハイハイをしながら、低いイスに手を着けて、つかまり立ちしようとする。なかなかうまくいかなかたっが、ついに立つことができた。それを見守る誰もが笑顔で、そして成功するとと一斉に歓声と拍手が起こった。
しかし、今、ぼくが立ち上がって、誰も拍手なしない。いや、注目するものものいない。当たり前だ。だか最初は違ったのだ。こうして、ひとつひとつ見守られ、お育てをいただきながら、成長してきたのである。
赤ちゃんが、意味もわからず合掌する。大人たちは、「マンマンちゃんやな」とういって、大喜びである。
しかし、今、ぼくが合掌しても、誰も喜ばない。注目しない。当たり前だと思っているからだ。
いや、喜んでくださる方がある。
それが阿弥陀様であり、諸仏方である。
ぼくたちは、自分の気持ちに左右されながら、行ったり来たり定まらない。頑張って自分で参った、自分の力だと自惚れている。
そんなものがお参りするようになり、聴聞するようになり、お念仏をするようになり、ましてやご信心を喜ぶようになる。そのひとつひとつを、阿弥陀様はわが子の成長を身まるように、拍手喝采で喜んでくださっているのである。
もし私に喜ぶ心があるのなら、それは阿弥陀様の大歓喜のこころであろう。
ちなみに法話は、「阿弥陀経」のお心から、諸仏證誠のおこころを、3座でいただいた。つづめると次の御和讃に尽きる。
諸仏の護念証誠は 悲願成就のゆゑなれば
金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし
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