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真宗者がカウンセリングを学ぶ意義

 輪読法座を終えたら、夜は、龍谷大学の共同研究室へ。真宗カウンセリング研究会の月例会である。

 第3節「カウンセリングと真宗カウンセリング」に入った。ここはさらに、「真宗者がカウンセリングを学ぶ意義について」と「真宗を通してカウンセリングを観る」の2段の小見出しが出される。

   真宗者がカウンセリングを学んだ最大の利点は、真宗の本来性から逸脱しがちな真宗者が、自らその逸脱に気づき、実感をもって真宗の原点に立ち向かう姿勢を取り戻すことである。

 たとえば、その逸脱は、信心領解が観念的な理解にとどまったり、自らの内面にある権威主義的な態度に気づけず、本来の同朋精神から外れた閉鎖的な人間関係を結ぶ。また教義理解でも、柔軟性を失って社会的な対応力を発揮できないという。逸脱とは、なかなか容易には気づきにくいものである。つまり、

 現代の真宗は、教団・教義・儀礼・習慣といった外形に生き、真宗本来の実存性、自覚性が希薄になっている。

というのだ。しかし、そんな真宗者でも、個人的なカウンセリグ体験を経ることで、容易にその本来性、実存性を取り戻せるという。そして、

 真宗者にとってカウンセリグは、常に真宗の原点にたち戻る聞法のひとつである。

とも結論付けられている。

    まさに僕が、40年近くもカウンセリグを学び続けている意味でもある。人のためではない。今もなお、自らの非真宗的態度に気づかかされるからでる。南無阿弥陀仏

 

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