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2019年10月の24件の記事

第二期外壁工事完了!

  広島からM先生が来館くださり、最後の点検が行われる。

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 前回は、外壁と屋上の途中経過だったが、足場も外されて、今回が最終確認。屋上とベランダ、非常階段の塗替、そして看板の張り替えの最終確認である。点検も、室外機の裏とか、ドレンの端とか、見えない部分ほど丹念に調べてくださった。外壁の塗装も丁寧だというのである。

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 広島から一級建築士の先生も同席される。初めてお会いする方だったが、屋上から、3~2~1階と点検した最後に、「これで、築20年も経つのですか」といわれた。「もう23年になります」と応えた。平成8年11月竣工なのでまる23年になる。「とても状態がいいですよ」と驚いておられた。これも、2度に渡る、丁寧なメンテナンスのおかけである。

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 今回は、屋上の防水が大きく替わったが、外壁も輝いている。内部のタイルカーペットや壁紙も、腕のいい職人の仕事だと褒めておられた。LEDに替わったことで、会館の内部がずいぶん明るくなった。

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 それにしても長かった。通算4ケ月以上に渡る工事も、これで一先ず一段落。落ち着かない日々が続いたので、一安心である。

  ただし、追加の工事が少し待っている。華光大会が済んだ翌朝に、3階廊下のブライド交換がある。ほかにも、2階の女子トイレの不具合修理、、網戸の一部修復などの細かな作業が追加されている。ほんとうに完了するのは、11月半ばになるだろう。

 追加分は細々したものだが、それよりもいちばん恐ろしいものもやってくる。
 4回目の請求書である。最終支払いが待っているのだ。契約に基づいた作業は費用が決まっていた。第2期の最後なので、費用の1/4の支払いである。ただ最後の清掃、看板の修復は含まれていなかった。他にも作業過程の中で、追加工事が必要な箇所や器具の不具合の交換もある。予定外の支出では、台風接近の関係で足場の台風養生もあった。別途の作業費となる契約だった。概算では、ほぼほぼ予算案の範囲ではあるが、やはり心配ではある。

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 皆様のおかげで、無事に、工事が完了することができました。厚く御礼申し上げます。

 以下の写真は、工事過程の一例

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『サタンタンゴ』

 映画館に行くのに、久々に気合が入った。

 ハンガリーの巨匠、タル・ベラー監督の『サタンタンゴ』 を観る。

 気合が入ったのは、上映時間が7時間18分にも及ぶ作品だからだ。その合間に2度のインターミッション(休憩)を挟むので、8時間も要する長尺作品だ。12時30分に始まり、20時20分に終わるのである。

 1本の映画では、ぼくの中での最長記録更新した。これまでは、イタリア映画『輝ける青春』の6時間6分が最長。 1960年代から40年にわたるイタリアを舞台に、ある一家の40年間の年代記を描いた大河ドラマだった。前後半で、途中1度の休憩があったので、380分も時間がかかった。同じく、みなみ会館だった。

 この監督の作品は、これまで『倫敦からきた男』『ニーチェの馬』と3本目見た。『ニーチェの馬』は、なかなかすごい作品だったが、それを最後に56歳で引退した。本作は、39歳の時の旧作で、デジタル版での上映である。

 さて、本作、とんでもない映像の連続だ。モノクロの映像は、長回しのカットで、時に延々と同じ場面(牛の群れの歩み、大風の中をただ歩き続ける。狂ったように妙なダンスを踊り続けるなどなど)で、しかも同シーンが違う角度のカメラで収められて反復される。

 だだでさえ昼食直後の映画は、眠い。特にこの頃は、驚くほどよく寝る。歳である。ましてこの映像である。1部はかなり記憶を失っていた。おかげで2部からは起きていはいたが、少々寝ていても、問題がないと思った。同じ映像や、シ-ンが反復され繰り返されるからである。

  そして最後のモノローグ。冒頭にモノローグの繰り返しである。あ、あ、もう一度、リフレインされ、循環され続くのだ、と。

 7時間18分を終えても、特に感銘も、感動もない。退屈な映画だった。それが、直後の率直な感想である。
 ところがである。同時に、もう一度観てみたい、とも思ったのには、驚いた。
 彼の世界観の中に取り込まれてしまったようである。

 

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銭湯ショック

 華光会館のすぐ横に、故北口氏が経営されていた、銭湯と散髪屋があった。散髪屋は、そのお弟子が購入されて、今も続いている。銭湯も経営者が変わったが、ひろくきれいな銭湯として、人気があった。だいいち、会館の真横にあったのだから便利だった。

 十条温泉が無くなるときには、少なからずショックを受けた。単に近くの銭湯が無くなるだけはでない。この銭湯の2階が、華光会館が出来る前の法話会場になっていたからだ。父やT先生の法話会が開かれていたご旧跡だったのだ。
 その十条温泉が無くなっても、歩いて3分程のところに柳井湯が、5~6分歩けば弁慶湯があったので、困ることはなかった。

 ところが、弁慶湯も、外国人向けのゲストハウスに変わってしまって、今は、柳井湯だけとなっていた。それが9月29日の仏青大会の時、衝撃の事実を聞かされた。

 「9月30日をもって閉店します」。

 近所の銭湯がすべて廃業になった。営業が厳しいんだろうな~。

 この後は、北西に歩いて10分ほどの所にある寿湯昔ながらの風情ある作り。

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  または、東に10分(1キロはあるか)歩くとある、明田湯

  すこし遠いがお勧めは、日の出湯 。映画『マザーウォーター』の舞台(小泉今日子が主演、風呂の店主が、光石研だった)になったところ。風情があるが、北(東寺駅を超えて、家庭法座のあったO家の近所)へ。歩くと15分はかかるかもである。

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 大会までに、実際に歩いて確認してみます。

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東京での支部法座

 新潟は東京経由だったが、一旦、京都に戻って、改めて東京に向かう。

 10月の法座は、1日目の昼法座の後、夕方から総会。そして夜座を、親睦会(食事会)にあてることにした。3年前から、宿泊や法座後の懇親会に参加されない方との交流のために始めたが、これがなかなか好評である。今年も20名を超える参加があって、貸し切りの中華店は満席となる。

 お参りの顔をぶれがずいぶん変わってきた。新しいご縁の方が増えている。今回は5名も新しい方がお参りされた。加えて、離れていた方が、2名も戻ってこられたのは、うれしかった。

 初参加者も、親睦会にも参加される。同じテーブルについたので、参加のきっかけや経緯をお聞きすることができた。20~40代のお若い方が中心で、すべてある会で浄土真宗にであったという方ばかりで緊張気味ではあったが、同じ境遇の方がおられて心強かったのではないか。ただ、同じ会の縁とはいえ、経緯や関心はそれぞれ異なている。聞法の姿勢にも濃淡があったし、華光への道もまたそれぞれである。

 それでも、後生の一大事の解決、信心獲得の身となりたいという願いでは共通してる。中には、20年近い聞法のブランクがあっても、そのことはどこか心の傷のように、ときどきうずいていたという。しかし、獲信の世界は、自分にははるかに遠い、別世界の眺めるものであったようだ。

 周りはみんな自力で法を求める方であっても、他力の身になってご法を喜ぶ人、つまり、得道の人が、身近におられなかったからである。それが、何故かわからないが、この度縁で、勇気を出して一歩を西に向かって踏み出されたのである。

 このご縁をきっかけに、さっさく同人会に入られた方、また来週の京都での華光大会に申し込まれた方と、何かが動きださしたようである。

 それは、ぼくも同じことで、真摯に求め、質問される姿に、ご法話にもずいぶん力が入って、どの回も時間オーバーしたのは、反省材料。こちらも刺激をもらいました。南無阿弥陀仏

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間に合った! が、、。

 新潟の燕三条駅まで、送ってもらう。新幹線の時間に間に合いそうもない。東海道新幹線とは違って、この駅の停車は1時間に1本しかない。東京駅での乗換の新幹線も変更しないといけない。

 発車の2分前に、駅に滑り込んだ。とにかくダメもとで、走ることにした。構内の階段を2階へ。改札口を抜けてもう一つ、新幹線ホームの階段を走る。これが長い。なかばで、新幹線が入ってくるのが見えた。間に合いそうだ。

 最近、事あるごとに「老いるショック」を受けている。階段の上り下りでもそう。特に降りるとき、若い頃のようにサササッとは、行かなくなった。

 が、今日はどうだ。登りとはいえ、重い荷物を抱えて、これだけ走れるのである。
 へえー、まだまだ若いじゃん、と思った。

 とにかく飛び乗って、指定席に落ち着いた。肩で息を、動悸もしている。食事直後だったので、お腹も痛い。が。諦めずに走ってよかったなという充実感。

 ところが、なかなか息も戻らず、動悸も納まらないのである。
 若い時とはちがうよな~、とつくづく実感。まだまだ大丈夫と思ったのも束の間。
 なんのことはない。またしても「老いるショック」。

 後日談・その後、「先生を走らせて、すみません」とのお詫びのお酒が届く。萬壽です!  逆に高くついてしまいましたね。ごちそうさまです。↓↓

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無為信寺

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  法座が終わるのが夜10時を回るので、もう1泊して、翌日の午後はプチ観光。昨年は、三条別院だったが、今年は、阿賀野市まで足を延ばして、無為信寺(むいしんじ)をご案内くださった。 

  8年前の越後のご旧跡巡拝の旅で訪れているので、2度目の参拝である。

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  無為信寺は、真宗大谷派で、二十四輩(親鸞聖人の二十四名の高弟)の一人である、無為信さまのゆかりのお寺だ。二十四輩は関東の高弟であるが、江戸期に本山預かりとなり、この地域の豪農・佐藤伊左衛門が、私財を投じて再興したものである。復興後の初代住職が、伊左衛門の娘と結婚するが、その次男が、香樹院徳龍師である。京都の高倉学寮で、香月院深励師に師事し、東本願寺学寮の最高学位である講師に就任するが、「学識は香月院(深励)、徳行は香樹院(徳龍)」と称されていることは有名である。その後、香涼院行忠師などの学寮講師や、著名な学僧を輩出している。立派な顕彰碑が建てられている。

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 ご住職と談笑し、華光会のこともご説明する。

 野鳥の声が、静かな境内に響く。さわやかな風が吹き抜ける。

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  来年には本堂の令和の大修復を控えているという。野鳥の声に交じって、本堂を突くキツツキかなにかの作業。まるで、トンカチ、その後ドリルで、規則正しい作業が続いていて、ご住職も苦笑い。帰路、犯人の撮影に成功。

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新潟での寺院布教(2)

 このには、他にない3つの法座の側面がある。

 ひとつは、ご門徒さんとの交流。1日目の夜座は、法話に後で、座談会と称して、少しアルコールを飲みながらの懇親会がある。夜ということで、ほぼ年輩の男性だ。みなお寺のお世話役の皆様。短時間だったが、昨年より少し突っ込んだ、ご法の話題になったのではないか。

 もう一つが、お参りの若手、壮年層の僧侶との交流。僧侶の方だけでも。7~8名もお参り下さる。これもご住職が、率直に、自らの立場を明かし、ぼくを紹介してくださったからである。2日目の法座が終わってから、慰労会があった。ただ今回は、ご住職ご夫妻と、隣寺のご住職様お二人(出勤された法中)だけの参加。お酒もよく飲んで、ご法話を分かち合うところまではいたらなかった。ほんとうのところ、他の僧侶方が、どう聴いて下さったのかは分からなかったのが、残念。

 そしてもう一つが、新潟の華光同人との座談会である。2日間とも、お寺での法話、そした懇親会が終わってからで、ご門徒でもあり、同人でもある、Yさん宅での法座である。体内にアルコールが入った中での夜座で、なかなかハードではあった。高速道路をで3時間半かけて、富山からの参詣、他にも宿泊でのお参りもあって、10名のお参り。最後には、20歳前後の娘さんがお参りくださり、真剣な問いに応えさせてもらえたのが、とても有難かった。

  来年も、この日程でのご法縁となる。

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新潟での寺院布教

 昨年に続き、新潟市の大谷派のお寺の報恩講にお招きいただく。

 今年も東京経由で、新幹線を乗り継い旅となる。10月は、熊本、泉佐野と、本派の寺院布教があったので、これが3ケ所目。他にも、名古屋、広島、東京と、出張法座が続いている。 

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 2日間、1時間の法話が3回。今回は、3座に統一したテーマを出すことにした。それが

    お前も「早くご信心をもらいや!」

 これは、『仏敵』の中で、初めて伊藤青年が、およしさんに合った時、何度も投げかける言葉である。関西弁だが、このニアンスも含めたかった。単に「信心」というテ-マではない。「お前も、早く~」という言葉がけが、尊い。
 誰がといえば「私が」、
 何時かといえば「一刻も早く」、
 そして自ら信じる自力ではなく、他力回向の御信心ということになる。

 何ためにご聴聞するのか。

 一般のご門徒さんにとって、聞法の焦点が定まらないのは、そのお育てがないからだ。お育ては、一朝一夕にはいかない。幾たびものお手間がかかるのである。いくら働けかけても、その成長が感じらず、空しくなる時も多い。しかし、こちらがその一歩を踏み出さなければ。何も始まらない。真のお育ては、ご信心を本当によろこんでいる知識や同行に出会はなければ育まれない。それで、相手にばかりあわせないで、遠慮気兼ねなく、お伝えてしていこうと思っている。今回の法座もそんな態度で臨んだ。

 大きなテーマにもとに、それぞれでもテーマを出した。
 夜座、「一歩出る」~二河白道の譬え~
 朝座、「本願を信じ、念仏を申さば、仏に成る」
 ご満座、「平成業成の教え」

という題で、僕個人のお念仏との出会い、体験を交えたお話となった。ただ、2日目は、質疑も座談もないので、どの程度伝わったかは分からないが、反応は悪く無かった気がしている。

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広島での支部法座

  名古屋から京都で「途中下車」して広島の法座に臨む。

 ご法話は、「二河白道の譬え」を子供の聖典に沿いながら頂いた。これで、広島支部では、観経の三心(至誠心・深心・回向発願心)に関するご法話を、3回連続で終えたことになる。

 ところで、今回の広島支部法座だが、いつもと少し違ったところがあった。前日から連れ合いと事務所のⅠちゃんが、泊りがけで、法座に出席していたからだ。僕が名古屋の法座だったとき、安芸高田市のお寺での法座にでていた。ご講師が、同人N氏で、彼の感話があったからである。
 浄土真宗は、同朋集団であり、聞法集団であり、そして伝道集団である。そうであるなら、伝道は僧侶だけの専売特許ではないのだ。在家のかたも大いに語ればいい。華光のルーツが、一文不通の尼入道であったことを思うと、なおさらだ。Nさんに白羽の矢が立てられ、お寺で、この法座を開かれたM先生をの英断を、うれしく思った。今日、お参りの皆様の半数以上が、その法座に出席されたとも聞いた。
 ちなみに、次回の広島支部法座は、福岡のY先生がご講師だが、午前中はY先生の奥さまが、お話されるというお知らせもあった。テーマが、大無量寿経のお話というのだから、有り難い。僧俗の別なく、大いに皆さん、活躍してもらいたいものだ。

 法座終了後、Nさん夫婦のご案内で、連れ合い、Iちゃんと共に、お好み焼きをご馳走になった。Nさんの息子さんが店長を務めるお店。楽しいひと時を過ごされてもらった。大役をおえた、Nさんが晴れ晴れとしたお顔で上機嫌だったのが、印象的だった。ごちそうさまでした。

 

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名古屋での支部法座

 今回の東海支部法座は、ビルの一角ながら、江戸期から続く立派な御仏壇のある仏間が会場だ。貸会場のような便利さはないが、畳と仏壇のある雰囲気は代えがたいものがある。座談会も、周りに遠慮気兼ねなく進めることができる。

 輪読法座に引き続き、78-4号の華光誌、巻頭言「金剛堅固の信とは」を題材にする。
 
  善鸞事件を通して、関東の門弟たちに信仰上の混乱が生じたことに対する、親鸞様の態度やお応えを聞く。紙面の都合で省略したが、「歎異抄」の第二章の関東門弟と聖人との命がけの問答(問は隠されているが、応えから察しがつく)や、その時「愚身の信心におきてはかくのごとし」と、自らを開いて吐露された体験告白のすごさを味わった。
 
 要は、念仏を喜ぶ先達、善知識を頼りにするのではなく、たったひとりで孤独なわが身に立ち返って、弥陀の本願にぶちあたっていく以外に、開ける道はない。同時に、それは、わが身ひとりでは超えらない道であって、握らせず、突き放しつつも、決して見捨てないという、真の知識のお導きがなければ開けてこない難所だ。真宗の信心は、決して自己完結ではなく、他者との出会いを通して、翻させてもらう世界だ。

 善鸞事件は、高齢の親が頼りともう息子を義絶するという悲劇を招くが、一方、関東の門弟にとっては、嘘の皮の有り難い法悦の仮面が剥がされて、ただ一人、虚空に放り出される貴重な機縁となっていくのである。

 座談会は、時間も少しあったが、発言にしても、関わりにしても、隔靴掻痒(かっかそうよう=痒かゆいところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。核心や急所に触れず、もどかしいことを、靴を隔てて痒いところをかくに譬えている)の感。それで、ある質問をきっかけに、篤く関わることなったが、、、。うーん。聞くことの難しさ、伝えることの難しさを、強く感じさせらることになった。せめてもう少しご法話が、生きるような座談になればと感じた次第。

 

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真宗者がカウンセリングを学ぶ意義

 輪読法座を終えたら、夜は、龍谷大学の共同研究室へ。真宗カウンセリング研究会の月例会である。

 第3節「カウンセリングと真宗カウンセリング」に入った。ここはさらに、「真宗者がカウンセリングを学ぶ意義について」と「真宗を通してカウンセリングを観る」の2段の小見出しが出される。

   真宗者がカウンセリングを学んだ最大の利点は、真宗の本来性から逸脱しがちな真宗者が、自らその逸脱に気づき、実感をもって真宗の原点に立ち向かう姿勢を取り戻すことである。

 たとえば、その逸脱は、信心領解が観念的な理解にとどまったり、自らの内面にある権威主義的な態度に気づけず、本来の同朋精神から外れた閉鎖的な人間関係を結ぶ。また教義理解でも、柔軟性を失って社会的な対応力を発揮できないという。逸脱とは、なかなか容易には気づきにくいものである。つまり、

 現代の真宗は、教団・教義・儀礼・習慣といった外形に生き、真宗本来の実存性、自覚性が希薄になっている。

というのだ。しかし、そんな真宗者でも、個人的なカウンセリグ体験を経ることで、容易にその本来性、実存性を取り戻せるという。そして、

 真宗者にとってカウンセリグは、常に真宗の原点にたち戻る聞法のひとつである。

とも結論付けられている。

    まさに僕が、40年近くもカウンセリグを学び続けている意味でもある。人のためではない。今もなお、自らの非真宗的態度に気づかかされるからでる。南無阿弥陀仏

 

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華光誌輪読法座~生ぬるいは誰か?~

 78-4号の華光誌、巻頭言「金剛堅固の信とは」と、聖教のこころ「無縁の大悲」を読む。
 
 一読目、「難しいな」、との声が出て、感想や質疑はなかった。それで、今度は、段落ずつ区切り、詳しい解説をいれながら読むことにした。

 初参加の高齢の男性が、積極的に、しかも大胆な発言をされる。「親鸞聖人の教えは、生ぬるい。歎異抄も、後半は、曖昧で、どうでもとれる(たとえば、1+1=2とも、1+1=2だけでもない)箇所がある。第一、私のこころでは、信じろと言われても、いろいろと疑いが出てくる。ほんとうにこの願船でいいのか。穴が空いていないのか」というのである。

 その方の言い分にも頷ける部分も多い。

 しかし、生ぬるいは、聖人の態度ではなく、いま、私達の多く真宗の教えが、曖昧で、生ぬるいのではないか。法然様にしても、親鸞様にしても、「念仏ひとつ」のまことを護るために、弾圧を受け、流罪になられた。それでも決して、その立場を貫かれとおしたのである。世俗ではく、仏法に背くからである。

 そして、いま、ここで輪読していた善鸞事件での親鸞様の態度にしてもそうだ。高齢の聖人は、親子の情や血を絶って、真実の法を護られていく。さらに「歎異抄」第2章にみる門弟との間で繰り広げられた態度。愚身を開いて自信のすべてを吐露されて、毅然として念仏者に向き合う姿勢である。そこには、法に対する真摯な厳しさしか顕れていない。
 そのおかげで、私のところにも真宗の教えが息づいてきたのである。その真宗の信心の肝要は、「捨てものと拾いもの」、つまり廃立の水際にある。決して曖昧な、漠然とした信心ではないのだ。ない。

 だが、今日、そこを厳しく問うことふ求めることは、異義、異端のように扱われるのである。曖昧な説教も多い。結局、ひとりひとりが、ほんとうに後生の一大事を、我が身に問うたならば、うやむやにしておける問題ではないではないか。

 失礼ながら、残された時間は少ない。外野の皆さんが何を言おとも、私の信心の一点に焦点をあてて、ハッキリするまで求められるこどうお勧めした。生ぬるいは、親鸞様でも、真宗でもない。私自身なのだからと。

 かなり力をいれてお話したが、どこまで伝わったかは分からない。こ因縁があるか、ないか。面々の御はからいである。

 

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危機感

 華光会は、九月末で決算期を迎える。
 
 今年は、総会が近い。今日は、福岡からY先生たちをお迎えして、今期の決算と、来期の予算を検討した。

 なんといっても、修繕事業が大きい。おかけでさまで、募金活動は順調で予定額に迫るが、工事費用も大きなものである。

 しかし、問題は通常の収益である。これには、暗澹たる思いがした。ここまで赤字状態がひどくなっているとは、ショックであった。いまは、皆様のご喜捨のおかけで保っていくことができるのだがら、募金が終了し、このままの状態で推移するなら、日常業務に差し障りが起こる事態にもなりかねない。危機感を懐かざるをおえない。

 もろちん、そのころには、抑えられる人件費のメドもあるので赤字幅は縮小はできることが、逆に予想される大きな支出もある。どこかで、組織の組替えや、抜本的な解決策が必要になっているるは、必至だ。

 一方で、すごく楽天的な自分もいる。仏法のことだからである。今生のことはなんとかなる。なんとかならないことは、どうしようもないという教えを受けているからだ。
 そうはいっても、今生も、なかなかたいへんである。皆さんとよくご相談していきたい。 
 

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一期一会

 ある方から、個人カウンセリグの申し込みがある。

 その人とは、不思議なご因縁である。

 6月のSDGsの研修会の冒頭、たまたまペアになった。自己紹介をして、一つの課題の意見を述べあった。たったそれだけだったが、持っていた真宗カウンセリグ研究会のパンフレットと、仏教カウンセリグのご案内をした。

 確かな手応えがあったわけではないのに、もうその二日後には、奈倉先生の「仏教カウンセリングを求めて」の講座を申込んでくださったのである。さらに研究会への参加と、ご縁はつながっていった。

 それだけでない。会館での法話会にもお参りくださったのである。カウンセリングで出会った人が、すぐにご法座につながるケースは稀なことだ。

 そして、今日は、個人的にお話を聞きたいということで、実現した。なるほど何かに悩んだり、疑問にもったりすることが、ここまでつながるご因縁があるのだと思った。

 何気ないお声かけから、ここまでつながることがあるのだと、こちらが驚かされている。

 ちなみに、今は、インド仏跡旅行に興味をもってくださっているようだが、。

 常套句のようになっている一期一会という言葉だが、何気ない出会いも大切にしていかせてもらいたいものだ。
 

 

 

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泉佐野での報恩講法座

 日、祝と、泉佐野での寺院の報恩講法座に出講する。

 台風の心配があったのか、わざわざ前夜に「予定どおり行います」との連絡をいただく。昨年の台風で、大きな被害を受けた地域である。

 初日は、昨日予定していた「二河白道の譬え」を話した。

 会館から「二河譬」の掛け軸をもち出して、「子供の聖典」をコピーして、皆さんと一緒に、読みながらお話をした。ご承知のように、ここは「たとえ話」の部分と、それを合法(がっぼう)して、たんなるたとえ話ではなく法の上に返していくところが要である。

 二尊が一致して、発遣し、招喚するお心をいただく。しかし、お話をするうちに、二尊の御心に突き動かされて、重い一歩を踏み出させていだたくことの、なんと難しく、また同時に尊いことだったかと感じさせられた。

 私の一歩の前には、先達の、先手をかけた畏れることのない、一歩を踏み出してくださったおかげがあったのだ。ぼく自身も、善知識である父と向き合って、その姿勢を蒙ったからこそ、「南無阿弥陀仏に飛び込め」の勅命に、分けが分からないままでも飛び込んでいかせてもらえたのだと思った。たった一歩の踏み出しである。しかし、その一歩がでなかったために、長々と迷い続けてきたのである。あまりにも重く、また勿体ない一歩の踏み出しである。

 そして、いま、改めて我が姿勢をふり返させられた。法話でも、法座の態度・姿勢においても、どこかで上手に、つつがなく、収めようとしてはいないか。「後生の一大事と踏み出せ」とは、決して求道者に向けの言葉ではない。自分自身が法に対して、また対峙する相手(結局は、その相手を通じた自分自身に向き合うことだろう)に対する姿勢を問われているのである。

 そんなお育てをいただいこと、素晴らしいお手本に巡り会えたこと、そのおかげで、こうしてわが身の至らなさを振りかえかえさせられるのである。南無阿弥陀仏
 ≪↓今年も、りんくうタウンに沈む夕陽を眺めた≫

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「聖典講座」を中止するまで

  大型で、非常に強い台風がやってきた。台風接近の前から、「まず命を守る行動をしてください」との連呼である。雨、風ともに「いままで経験したことのない」規模だという。昨年の西日本豪雨や大阪を直撃した台風の被害が、まだ生々しい。昔は「天災は忘れたころにやってくる」だったが、今は、次々と襲ってきて、「天災は覚えられないほどやってくる」だ。

 進路は、東海や関東方面。それでも、大型で、暴風圏が広く、近畿も、昨年の台風並の風雨になる恐れがあると報道される。

 会館は、いまは足場が組まれている。台風の直撃はなくても、念のために、前日に回りを囲むネットは外すことになった。まだ締めの作業があるので、足場は組まれたままなでで、「もしも…」を、現場監督は心配されていた。

 金曜日の仏教大の四条センターで講義の最後に、「明日の講義すべて休講にします」とのインフォメーション。京阪神の私鉄は計画運休の予定はないが、JRは、新幹線以外にも、運休が決まっている路線もある。

 土曜日の「聖典講座」はどうするのか。

 京都は、大丈夫だととは思うが、当日の様子を見て、午前9時30分に決めることにした。それだけでも落ち着かず、ソワソワとレジュメ作りにも身がはいらない。会館での行事なので、僕自身には影響はないが、参詣の皆さんの交通、特に帰路のことが心配だった。

 朝、事務所で相談。中止を考えているというと、「えー、近鉄動いていますよ。JRはダメでも、阪急もある。大阪の人も大丈夫です」との強気な発言を聞く。ウーン、また迷う。ところが、少し遅れきたもう一人が、近鉄の駅員から「午後から止まるかもしれませんが、いいですか」と、乗車の時、言われたとの報告。

 車の方は問題なさそうだ。また岐阜や名古屋の方から、参加できないとの連絡がある。心配な方は自分で判断されて、参加する人はする、しない人はしない(当たり前)だろう。

 それでも、今回は中止することに決めた。ここは責任者としての判断である。帰路の予想ができないこと。そして、今回は、二河白道だったので、皆さん、楽しみにしている方が多かったが、参加者は少ないだろうと思ったからだ。

 すで出発し引き返したという方も、2組あった。それでも、中止を知らずに、会館までお出でになった方はなかった。

 二河白道だったのに、今生の行事は、水の河に阻まれることになった。ちょっと複雑。

 

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熊本の旅(4)~阿蘇の雄大な眺め~

 白川水源から、阿蘇の山並みをぬけて、中岳に向かう。

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 ススキの草原や、放牧地の景色は美しい。

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   ただ熊本地震の影響なのか、地滑り箇所も多く見られた。中には、急斜面での砂防ダムを建設中のところもある。

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 噴煙の上がる中岳は、現在は立ち入り禁止。それでも、ロープウェー駅までは入れた。ちょうど熊本での開催されているラクビーW杯の直後とあって、外国(たぶんフランスからの観光客が多かった。 

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 そのまま、草千里ケ浜に向かう。烏帽子岳の直下に拡がる草原である。懐かしい思い出の風景だ。展望台に登ったり、草原を散策したりする。しかし、子供の時のようには、馬には乗らなかった。草千里には、牛や馬の放牧はなく、観光客が沢山歩いていた。

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 ここまでかなり満足したが、まだ時間があったので、大観峰まで進むことにした。

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 米塚を横目に進む。かわいい形だが、これも噴火の名残である火山。

 阿蘇の道の駅に立ち寄ったついでに、復旧中の阿蘇神社を見学。ただし、日本三大楼門も地震で倒壊して、現在は修復中だったので、外から眺めただけである。地震では、多くの文化財が被害を受けているのである。

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 その後、山道を走って、大観峰へ。阿蘇の外輪山のひとつで、朝眺めた南阿蘇からは、ちょうど反対の場所から阿蘇五山が眺めることができる。ただ、晴天だった空も、小となって、阿蘇五山が、お釈迦様の涅槃像のように見える様子は、モヤの中。肉眼ではなんとなく分かったが、うまくカメラには納まらなかった。

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  まる1日だったが、主な阿蘇の名所を回ることができだ。世界最大級のカルデラの雄大な自然を満喫して、満足の旅となった。

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熊本の旅(3)~白川水源~

 お宿の近くだったので、白川水源を訪ねる。

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  なんの予備知識もなかったが、コンコンと細かな砂地から沸き上がる水は、とても澄み渡り、神秘的だった。川底まで透き通って見えている。この透明感は写真に収められず、残念。もちろん、冷たく澄んだ水はおいしかった。南阿蘇の天然水である。この阿蘇の湧き水が、熊本市内を流れる一級河川白川の源泉である。

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   まさに水は命の根源である。 毎分60トンもの水が湧き出ているという姿は、まるでお浄土の「八功徳水」のようである。

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 感銘をうけて、もう1ケ所、寄り道をした。明神池水源である。

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  このあたりは、こんな水源がたくさんある。ここは公園に整備されている。

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 水源の池には、コイが泳いでいた。透明な水は、すぐ目の前を泳いでいるような錯覚を覚えた。

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  ただ隣の池には、河童像が置かれたり、個性的な展示館があったりと、違った意味で不思議なワールドだった。

 

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熊本の旅(2)~阿蘇の思い出~

 久しぶりの熊本で、もう1泊して観光を楽しむことした。法座終了後、熊本駅前までレンタカーを借り、南阿蘇に移動。かなり距離はあるが、地道でも山沿いの道は、渋滞もなく、信号もほとんどなく、快適にドライブがすすむ。熊本の中心から阿蘇までが、案外と近くて驚いた。

 途中、雄大な風景を何度かカメラに収めた。

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 阿蘇は2度目である。小学校4年の時だから、47年前と、かなり大昔のことである。

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 しかし、この時の九州(福岡、熊本、大分)の家族旅行のことは、鮮明に記憶が残っている。法座も兼ねた、11日間の旅だったが、最後、帰路のフエリーの中で、初めて喘息になって迷惑をかけたのことは、ずっと忘れないことだろう。

 阿蘇は、中岳の火口が恐ろしかったこと、草千里で馬に乗ったことなどを覚えている。

 そのころから比べると、回りの環境はずいぶん変わっただろう。しかし、雄大な風景は変わっていないのだろう。

 帰宅後、47年前の写真を見た。カラー写真が、ずいぶん色あせていた。

 いちばん、変わっていたのは、映っている自分自身なのかもしれない。

 

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九州法座 in 熊本~赤ちゃんに教えられる~

 今回の法座は、ひとつ楽しみがあった。お世話のSさんの赤ちゃんに初めて会わせてもらえるのだ。法話の途中で、パパに抱かれて赤ちゃんが入ってきた。法話そっちのけで、みんなの視線が移る。可愛いのだから、仕方ない。

 7ケ月になった赤ちゃんが、ハイハイをしながら、低いイスに手を着けて、つかまり立ちしようとする。なかなかうまくいかなかたっが、ついに立つことができた。それを見守る誰もが笑顔で、そして成功するとと一斉に歓声と拍手が起こった。
 
 しかし、今、ぼくが立ち上がって、誰も拍手なしない。いや、注目するものものいない。当たり前だ。だか最初は違ったのだ。こうして、ひとつひとつ見守られ、お育てをいただきながら、成長してきたのである。

 赤ちゃんが、意味もわからず合掌する。大人たちは、「マンマンちゃんやな」とういって、大喜びである。

 しかし、今、ぼくが合掌しても、誰も喜ばない。注目しない。当たり前だと思っているからだ。

 いや、喜んでくださる方がある。

 それが阿弥陀様であり、諸仏方である。

 ぼくたちは、自分の気持ちに左右されながら、行ったり来たり定まらない。頑張って自分で参った、自分の力だと自惚れている。
 そんなものがお参りするようになり、聴聞するようになり、お念仏をするようになり、ましてやご信心を喜ぶようになる。そのひとつひとつを、阿弥陀様はわが子の成長を身まるように、拍手喝采で喜んでくださっているのである。

 もし私に喜ぶ心があるのなら、それは阿弥陀様の大歓喜のこころであろう。

 ちなみに法話は、「阿弥陀経」のお心から、諸仏證誠のおこころを、3座でいただいた。つづめると次の御和讃に尽きる。

     諸仏の護念証誠は  悲願成就のゆゑなれば
   金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし

 

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九州法座 in 熊本の旅(1)

 5年ぶりに熊本に向かう。お寺を会所にした九州法座だ。

 初めて九州新幹線に乗る。最初は、リレーつばめ号(つまり博多から特急列車)、その後は、飛行機だった。今回は、連れ合いも一緒の旅で、新装なった熊本駅に降り立つと、お出迎えは事務所のTさんたち。車中は会館と同じ顔ぶれである。

 先の熊本地震では、大きな被害を受けた地域だ。このお寺も、本堂も、内陣も被害があったが、こうして会場で開いてくださるのは有り難い。さらに、乳飲み子を抱えたお母さんのSさんが、会計に、送迎に、懇親会の会場探しにと、献身的にお世話をくださった。ありがとう。

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 熊本城は、天守閣は修復中だが、ちょうど熊本城の園内への入場が始まった特別な日でもあった。熊本の復興のシンボルとして、復旧が進んでいる様子がわかる。(下は6年前の熊本城)

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 一方で、懇親会の会場の途中に、ジェーンズ邸を通った。熊本の重要文化財だったが、先の地震で倒壊して、復旧のメドがたたずに取り壊され、今は台座だけが残っていた。これもまた無常の姿。(下の写真は、5年前のありし日のジェーンズ鄭)

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2度目の点検作業

      外壁工事か始まって、1ケ月以上が経過した。

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 その間、日曜日と朝から大雨だった日を除き(土曜日や祝日も)工事が続いた。その間、窓は当然、玄関の度入りも制限される日もあって、なかなかたいへんだった。しかし、早朝、職人さんたちが頑張られたおかけで、予定より早く外壁や手すりなどの塗装工事が終わった。

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 広島から監理のM先生が来館されて、今後の打ち合わせと、2度目の点検作業である。

 今回も、足場を屋上まで登り会館の廻りを1周し、同じ3階部分、2階部分と点検をして回った。ヒビの補修や塗装の具合をこまかく見てくださる。手すりかあるところはいいが、シートのない箇所や、屈みながら歩く場所もある。壁をヘルメットぶつけながら、ぼくはついていくのが精一杯。

 最後は、屋上に登って、作業の様子を確認。これからの予定を話し合った。M先生からも、丁寧な作業であることを説明をいただいた。

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 ここで外壁工事は折り返し地点を過ぎたところ。ここからまた1ケ月間近く、屋上の防水工事と、ベランダの防水工事、さらには看板の塗替えと、窓の清掃、そして、足場の解体と工事は続く。屋上工事は、天気の影響が大きい。長雨や台風などの天候の心配が続くが、なんとか華光大会に向けて、無事に終わることを願っている。

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「仏書に親しむ会」『仏敵』を読む

 第4回目は、第2章の終わりと、第3章(1)である。
 
 順番に、1~1.5頁程度を、声に出して読んでいく。これが思いの外有り難い。読むのに自信のない方の声は、小さい。逆に、高齢の方が情感たっぷりに読んでくださる。夜は、およしさんと同じく、癌におかされている方が、「早くご信心をもらいや、早くご信心をもらい」を、連呼される。冒頭で、彼女は、「腫瘍マーカーがとんでもない値になって、新しい治療が始まります」と告白されたばかり。まるでおよしさんの言葉そのものた。

 しかし、そんな情感のところだけで喜んでいるのではない。何気ない文章にも、金言が目白押しである。また読み逃していた文章や、「こんなのあった?」の発見も多くて、まったくもっ新鮮である。
 
 まるで、いま、ここが野口道場の仏間で、個性的な念仏者に囲まれているかのような想いになる。

 しかもある方の何気ない発言から、「信心」の内実についてのかなり突っ込んだ話になった。皆さんには、難しくなっかたもしれないが、他力の教えでの「信じる」という表現が、いかに難しいかである。このことは大切なので、またどこかで考えたい。

 とにかく、『仏敵』を皆さんで読みましょう。

 11月13日(水)18時50分~21時

 第3章(2)の「法喜に輝く人々」の名所である。お化け屋敷のような自由奔放な仏徳讃嘆が続くところ。とく

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復活! 京都みなみ会館

 8月下旬に、京都みなみ会館が復活した。おめでとう。

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 8月は、ほとんどが旧作だったので、9月3日、会員デーに初めて訪れた。

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 近鉄東寺駅に少しだけ近くなった。ただ、ぼくのところからだと九条通を横断せねばならない。それでも、距離的には10数メートル程度近くなったか。
 京都シネマと同じように、3スクリーンだ。旧作や二番館が多くなったが、それでも京都ではここだけ上映のものもある。みなみ会館らしくなく、ネットで座席予約ができるようにもなっている。

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 何よりもお洒落になった。どうした、あの雰囲気がなくなったのが、残念だ。何もかもがお洒落すぎて文字が小さく、分かりづらい。入り口も、シアター2、3への行きかたも分からない。いちばんは困ったのが、1階のトイレ。まるで壁のようになっていて、目の前にあるのにみんな尋ねている。、最新なのに、バリーアフリーでもない。
 いま、ミニシアターで映画をみる客層は、中高年、いや断然、高齢者が多い。ぼくのようなリピーターも、中高年だ。それは京都シネマでも同じことで、いつも顔を合せる人は、同じ人たち。それなり、高齢者向けにした方がいいのにな。

 もちろん、変わっていないこともあった。

 スタッフに愛想がなく、新しくなったに案内がとても不親切なこと。正直、初回から腹が立った。前のスタッフと同じ人なので、これは仕方なしか。旧館の扉が飾られてるのは、懐かしい。

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 いろいろある中で、いちばんの不満は、座席の前後も、幅も小さいことだ。ぼくは、映画は靴を脱いで、胡座をかいてみる。でも、ここで胡座をかけない。もうひとつは、冷房がは冷やすぎている。

 要は、見た目だけはお洒落になったが、随分、不満だらけの劇場になってようだが、それでも、週一回は通っている。近いのはいい。

 9月3日、ここでの初映画。見逃した『『ビ-ル・ストリートの恋人たち』 を見た。タイトルのような甘さでなく、黒人差別の実態に沿って描いた佳作。でもね、客は、ぼくと、もう一人、高齢の男性の2人だけ。 

 オダギリジョー監督、柄本明主演の『ある船頭の話』 ある船頭の話』は、静謐で美しい作品だった。

  大好きな中国のジャ・ジュンクーの『帰れない二人』 は、壮大な抒情詩。

 冷房が寒すぎたすだき左府すぎて、~米軍がもっとも恐れた男『カメジロー 不屈の精神』、前作同様、震えた。おススメのドキュメンタリー。

 今日の映画は、イタリア映画『『ドッグマン』 。不条理の世界、登場人物の誰にも共感や投影できない、いわばスッキリしない、人間の愚かさ描かれていた。夕方の回だったが、ぼくも含めて観客は、4名。全員、中年の男性。

 ということで、作品はよかった。それに、5本観たら、1本ご招待は有り難い。文句をいいながら、通うことになるのだろう。

 

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