« ビハーラ研究会~SDGs、復習篇 | トップページ | 残暑 »

ビハーラ研究会~SDGs、感想篇

 まずは進行の仕方。ファシリーテーターはお二人で、リーダーの風かおるさんが、リーダーショップをとってすすめられる。それを、ペアの男性が、ファシリテーターとなって、エンウカンター風に自由な議論をすすめられる。それを受けて、またかおるさんの話題提供があり、また話し合うというパターンですすめられる。この二人の組み合わせが面白いと思った。これを、いつもぼくは一人でやっている作業。しかし、分業するほうが声をだし易く、また冷静に声が聞けると思った。司会役に求めたい役割で、司会者がもう一段と力をつけてもらえれば、実現する。これは進行の上で、いちばん勉強になったところだ。

 内容についても、ぼくの言葉を交えた感想であるを一、二述べておく。

 いま社会は、大量生産、大量消費、大量廃棄の上で成り立っているが、その中での私たちの役割は、消費者であり、廃棄者であることに、何の疑問ももたない。しかし、その前にすべての人々が、「生活者」であるという事実が忘れられている。
 たとえば、きれいにバーケージされた商品には、表の顔と裏の顔があること。たとえば、表に、「おいしそうなチョコレート」の写真。しかしそのカードの裏には、児童強制就労の闇がある。そのほとんどが劣悪な環境での、ただ働きに近い。フェアートレイドよりも、安い商品を欲しいという消費者心理による搾取がある。また、表側がおいしそうなボテトチップでも、そのの裏には、バーム油のための、無秩序の森林破壊の闇がある。そんなことを具体的な例で示された。つまりは、きれいに商品化された背後にある闇には気付くことなく、踊らされているのである。要は、おかげや感謝のきれいごとの裏側に、自分の欲望(得したい、かしこくいたい、便利でありたいなど)があり、見えないところで、遠い国で搾取や破壊が行われている。つまり気づき難い罪業が隠されているのである。

 私たちは、世界とも、またた自然とも、有機的につながっていて、その中で複雑なループを形成している一員なのである。しかし、今日の風潮は、分断と対立を煽り、また大企業の画一化されたグローバルゼーションに呑み込まれている。個々のローカルゼーションの良さも保ちつつ、孤立することなく、乗り越えていく道はないのか。それは、世界のつながりの中で、その一員である私が起点、もしくは私が源泉(自らの内部から沸き上がってくるもの)となって、社会を持続可能なよりよき方向に変えていく可能性があるのではないか、という感想をもった。

 また、「仏教との接点を探ってみる」という課題で、前回も感じたことをここに触れたが、今回も同じことを感じようなことを考えた。
 阿弥陀様の本願は、苦悩する一人一人にほんとうの幸せを与えたいというものであるけれども、同時にそれは、平和で差別も、貧困もない、安らぎの国(極楽浄土)を建立することから始まっている。社会(国土)と、衆生(ひとりひとり)は、切っても切り離せない関係であるのだ。信心の問題は、もすれば個人(自己)の安心の問題、心の問題として矮小化してしまいがちである。しかし、弥陀の本願に立ち返ったなら、安心は、単なる利己主義に止まることなく、どこかで社会にも開かれていくものであることを改めて考えなおされた。

 いろいろと刺激をもらいました。

|

« ビハーラ研究会~SDGs、復習篇 | トップページ | 残暑 »

カウンセリング・DPA」カテゴリの記事