臨地法座(5)~佛光寺~
お店から佛光寺までは1㎞あるかないかのご近所だ。
真宗の本山で真宗十派の一つで、京都に四つある浄土真宗のご本山だが、ほとんどの方が「初めてです」と言われていた。今回の旅はある意味で、隠れた真宗のゆかりの地を巡ったことになる。
さて佛光寺は、越後流罪に遭われた親鸞聖人が、ご赦免の翌年建暦二(1212)年に、京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばたという。この草庵が佛光寺草創とか。でもこれは史実とは言い難いのだが……。
親鸞聖人ご在世の時、真宗の教えは関東を中心に広がっていた。第七世了源上人は、教化活動の拠点を旧仏教の盛んな京都に置き、光明本尊・絵系図・交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れる。人々は上人のお徳を慕って念仏申すようになり、元応二(1320)年には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都国立博物館あたり)に移されたという。了源上人は、わが国で初めて真宗教団を組織された仏光派の中興の祖。
寺号の佛光寺は、佛光寺の繁盛を妬む者が、ご本尊や法宝物を盗み出して竹やぶに投げ捨てた。その夜、後醍醐天皇が夢枕に東南の方向から一筋の光が差し込むのをご覧になり、ただちに人を遣わせられたところ、阿弥陀如来のお木像が現れた。この仏像がご本山の阿弥陀如来像の台座と一致したので、勅願により「阿弥陀佛光寺」、略して佛光寺の寺号を賜ったと伝えられている。
もっとも、光明本尊・絵系図・交名帳は、蓮如上人よって、異端として排斥されるのはご承知のとおり。つまりは、難信に対する印可(保証)を与えるもので、その結果、いくら教線が拡大したとしても、明確に聖人の教えではない異義が、正統としてまかり通っていたことに恐ろしさを感じる。
詳しくは、悟朗先生の『後生の一大事』~蓮如上人のご教化~をご一読ください。
とにかく、今回のミニ旅は、「見真大師」で始まって「見真」で終わりました。
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