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臨地法座(3)三十三間堂~法然塔(名号石)

 道路を隔てた三十三間堂に向かう。本堂に入る前に、「法然塔(名号石)」の前で、説明と記念撮影。寺伝では、元久元年(1204)土御門天皇が、三十三間堂で後白河法皇の十三回忌を行った際、請いを受けた法然上人が、「六時礼讃」を修し、「南無阿弥陀仏」と書写して参集した人々に分け与えたという。この「六字の名号」が石に刻まれて、世に法然塔とも呼ばれている。国宝『法然上人行状絵図』の第十巻にも記述される法然聖人の霊場の一つである。

 さて、蓮華王院三十三間堂は、やはり後白河上皇が自身の離宮内に創建されたものである。さすがに、2/3程度が拝観されていたが、「修学旅行以来、五十年ぶりです」など、「覚えてないなー」という感想が多くて、ほぼ初めて感もあった。京都の方は逆にわざわざ来ない。ぼくは、お客様を連れてくることが多いので、ブログでも2~3度話題にしている。写真も、前のバージョンアップ前の方が断然きれいなので、以下をご覧ください。共に、アメリカからの同人をご案内した時の物です。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-d106.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 湛慶作の国宝の千手観音坐像を中尊に、左右に各500体の千手観音立像(十一面の四十手に略されている)が立ち並び、本尊の背後に、逆向きの1体があって、計1,001体が整然と並べられる姿は、まさに壮観だ。誰もがそのスケールに圧倒的されていたようだ。ちなみに観音様が1,001体なので、その冠には1,001体の阿弥陀様もおられるのだ。「観音さまは冠に、お阿弥陀さまをいただかれ」と十二礼の意訳もあるが、お寺の説明では、阿弥陀様とはなっていなかったのは、残念。

 千体仏の手前には「二十八部衆像」と「風神・雷神像」も、写実的でとても素晴らしい。観音様も含めて、すべてが国宝というのも、すごい。二十八部衆とは、千手観音の眷属の主にインドの神々である。東西南北と上下(六方)に各四部、各四部、北東・東南・北西・西南(十方)に各一部が配置され、合計で二十八部衆である。少しだけ真宗にもゆかりの方々を紹介したので、ここでもおすそ分け。

 ◆那羅延堅固(ならえんけんご)-いわゆる仁王様で、四十八願の中の「第二十六願」に、浄土に生まれた者は、金剛那羅延のような金剛の身を得るというのである。
 ◆難陀龍王(なんだりゅうおう)-八大龍王のひとりで、現世利益和讃に、「南無阿弥陀仏をとなふれば、難陀・跋難大龍等、無量の龍神尊敬し、よるひる常に護るなり」と親鸞さまは、和讃された。
 ◆帝釈天王(たいしゃくてん)-元インドラ神で、阿修羅と戦闘する武勇の神。仏教に取り込まれ、成道前から釈迦を助け、その説法を聴聞する。梵天と並ぶ仏教の二大護法善神で、四天王を配下におく。阿弥陀経には、「釋提桓因」(しゃくだいかんいん)とある。
 ◆大梵天王(だいぼんてんおう)帝釈天王とならぶ仏教の二大護法善神。成道後、説法をためらう釈尊に、三度の勧請するエピソードは有名。
 ◆毘沙門天(びしゃもんてん) 四天王のひとりで、北方の守護。多聞天ともいう。御文章には、「人間の五十年を考えへみるに、四王天といえる天の一日一夜にあひあたれり」とある。他の三名は探してみて下さい。
 ほかにも、阿修羅、乾闥婆(けんだつば)、吉祥天、鬼子母神(子供を食べる)、金比羅神(ほんとうなら、ちょうど金比羅宮にお参りしている頃)など、有名な方がおられるので、よく探してみたくださいと宿題をだした。

 1時間の予定だったが、時間が足りないほど見応えは十分。

 

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