臨地法座(2) 法住寺~養源院
荼毘所から法住寺までは、わずか3㎞足らず。法住寺は、三十三間堂と道を隔てた天台宗の寺で、後白河法皇の院の御所として創建された地である。御白河法皇の御陵が隣接するが、残念ながら土・日曜日は閉鎖(宮内庁管轄)されていた。法住寺殿といれば、後白河法皇のことを指す。このお寺には、後白河法皇像の他に、自刻「阿弥陀如来像」と「親鸞聖人身代わりソ
バ喰い像」がある。もともと渋谷(仏光寺にも関連。後で渋谷街道を通る)にあったという。比叡山の大乗院にも、身代わりソバ喰い像があるが、両者の関連をぼくは知らない。ただ、ソバアレルギーのぼくの身代わりで、外でソバが出たら、連れ合いが食べてくれることを、特記しておこう。残念なから、今日拝観中止。
代わって北隣の養源院を拝観。浄土真宗「遺迎院派」の寺(天台宗からの分派。本家浄土真宗とは関連はない)。今日のメンバーの半数は京都の人達だったが、全員が初訪問という、隠れた 名所だ。
ご住職が、軽快にご説明くださった。それほど広くない方丈だが、俵屋宗達作の重文指定の「襖絵」(松)と「杉戸絵」(象、唐獅子)などが拝観できる。特に、大胆な筆塚とタッチの象の絵は、現代にも通じるモダンな具象だった。ここは、秀吉の側室淀殿が父浅井長政の供養のため創建。その後、徳川秀忠の正室崇源院(江)により再興されたので、浅井家の女性たちのことを、特 に詳しく説明されていた。また、徳川家の菩提として、歴代将軍の位牌をまつられる。そして、、伏見城の遺構を移して再建されたもので、伏見城落城時の廊下を、天井に使用している。落城の際、自刃した徳川側の武将たちの血のりのしみた「血天井」でも有名。説明を聞くと、手の跡や切腹の時のうつ伏せの体の形にみえるのである。
ちなみに、ご本尊は、阿弥陀如来立像で、源信僧都の作だという。これが唯一、真宗との関連であった。
予定オーバーの丁寧な説明と、俵屋宗達の絵、そして方丈までの美しい緑に、皆さんも感銘をうけておられる様子。
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