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7月の聖典講座~深心(2)・四重の破人

 ところで、深信釋の最後、第七の「立信方法」には、有名な「就人立信」「就行立信」が説かれている。

 「就人立信」とは、人に就いて信を立てることだが、ここで「人」と言っても、満足大悲の覚者であられる釈尊(諸仏)のことであって、その仏語は、実語で嘘偽りがないと信じ、信を立てることである。そしてその深心は、いかなる謗難や誘惑に対しても、退失傾動したりせず、難を退治するという、四重の破人の譬えへが述べられる。
 1別解・別行・異学・異見・異執の行者
  つまり、意見の異なる凡夫
 2初地以前の菩薩・羅漢(声聞)・辟支仏(縁覚)等
 3初地已上、十地已来の菩薩
 4化仏・報仏
の四種類の論難批判者にから、念仏往生の道を非難されようとも、決して動揺退失することのない信を確立(当面の理解)していくのである。

 そこで思い出されるが、親鸞様が、ご子息善鸞様の異義に動揺する関東の門弟に向けたお手紙の一文である。これは、「義絶状」と同日のものだ。

「往生の信心と申すことは、一念も疑ふことの候はぬをこそ、往生一定とはおもひて候へ。
 光明寺の和尚(善導)の信のようを教えさせたまひ候ふには、『まことに信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、空にみちみちて、釈迦の教え、弥陀の本願はひがごとなりと仰せられるとも、一念も疑いあるべからず』とこそ、うけたままはりて候へば…。」

 では、わが身に引きよせて、信心が動じない、金剛堅固とはたどういうことか。次号の巻頭言のテーマなので、そちらをご参照いただき、各自が問うてほしい。

 

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