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2019年9月の30件の記事

最後の攻防戦

 明日から、消費税が10%になる。たった2%、されど2%だ。しかも、今回は単純ではない。軽減税率に、ポイント還元など、10月以降の購入がお得になるケースもあって、複雑怪奇。

 購入せねばならないものは、なるべく9月中に購入した。

 来月の新幹線のチケットもすべて取った。10月は、熊本、新潟、東京、広島、名古屋と、新幹線での出張が多くある。日程は分かっているが、途中下車の利用など組み合わせはややこしかった。でも基本ネットて押さえられるので楽だ。同じように近鉄の回数券も購入。こちらは、税率以上に値上げされる。

 だだ他に日常品は、特に買いだめはしなかった。もともと連れ合いの中に、何かを買いだめしておく習慣がないのも一因でもあるし、しばらくは還元セールもあるからだ。

 しかし何事にも例外がある。本は、ネットでまとめ買い。10冊以上だとさらに安い。

 そしてもうひとつは、アルコール類。ビールと焼酎だけは、少々買いだめをした。といっても、2ケ月分程度のこと。禁酒をするのが、いちばんの節約で、からだにもいいのだが、飲酒(おんじゅ)の誘惑は強敵である。

 ちなみに、華光会のものは、実費の送料以外は据え置き。華光誌代も、CDやDVD代も同じ。印刷代、仕入れ代、送料と値上がりするものばかりで苦しい。赤字続きで、正直、痛手。抜本的な対策が必要である。

 最後に、消費税とは関係ないが、当ブログ。9月は、30日分の記事を書いた。すごーく久しぶりの皆勤賞であることを記しておこう。

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久しぶりに燃えた「仏青大会」

 9月末の仏青大会。京都は、両日とも32度を超えて、暑かった。もう10月、この時期になれば大丈夫と思っていたが、エアコンがなくて少し堪えた。天候は思い通りにはならない。

 参加者は少なかった。お世話人は、悩んだことだろう。しかし、内容は、ご法を中心になった充実した集いになったのではないか。

 ここ数年、仏青大会や研修会の進行について、一言いってきた。しかし、なかなか理解いただけなかったのが現実だった。人が集まらない、座談がうまくいかないので、企画が中心になっていた。別に、一座ぐらい企画があることは賛成だ。しかし、フリーの信仰座談会を中心に、ひとりひとりが力をつけていく、ひとりひとりの信を問うことがなければ、仏青とはいえ華光の集いではなくなる。

 そのためには、場に慣れることも重要である。そんな慣れた人に近づく必要もある。確かに座談会やフリートークが苦手という方も多い。だからといって、法話を聞いてお終いではなく、そこを聞き会う。または法を喜んだ人に出会う。それでしか、ほんとうの聴聞にはならないのだ。今回は、参加者が少なくなったことで企画自体が難しくなったのが幸いした。

 法座は、カウンセリングクルーブのような単なる心情的な分かち合いではない。しかし、ラボート(親密性)がないと、なかなかお互いが自分を開いて、じっくりと喜びや不審を出し出すことは難しい。そのプロセスも必要で、そのために、長時間の構成をもたない座談会も大切になのだ。

 普通の集りなら、よどみなく、和やかに進行することが第一である。そのために気まずい沈黙を畏れる。しかし、ここでは反対だ。沈黙の中からしか生まれない言葉もある。逆に浮いた言葉がぶち壊すことも多い。沈黙にもいろいろな種類、意味があるのだ。

 詳しくは述べられないが、久しぶりに感情的に、エキサイトしてしまった。ぼくの中で何かが動いていた。それも、真剣な聞法者がいたからだ。

 厳しいことも言ったが、若い人たちも同じ聞法者、求道者であると実感した。ただ、小さな信仰に留まらず、大きく羽ばたいてほしい。仏法は、具体的に聞いていかねばならない。自分自身の問題、日常生活に関連した味わいがないと、観念的な独りよがりの喜びに留まってしまう。しかも仏法は、そんな今生事の悩みを超えた教えでもある。具体性をもちつつ、自分の悩みや心理的状況で、一喜一憂する小さなものではない。留まることなく、ご法にぶつかっていってもらいたいのだ。

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9月の華光誌輪読法座

 先の七百五十回大遠忌の企画で、「これからの求道と伝道を考える」の2回目(3回シリーズ)の後半。孤杉先生の体験談の核心のところ。平易な表現なので、読みやすい。
 また言葉は違うのだが、その構造というか、仕組みは、『歎異抄』の二章の後半と同じだなと感じさせられた。

 自分の値打ちのなさを知らされ(地獄一定)、
 阿弥陀様の直々の名乗りを聞く(弥陀の本願まこと)
 
 というところである。そして、親に会ったら、「愚身の信心はかくのごとし」と手放しになれる。南無阿弥陀仏

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78-4号の発送

「はちす」に引き続き、華光誌の発送を行う。大阪、京都の同人が助っ人に。ありかとう。おかげで、増税前の9月中に発送することができた。
 
 今号には、いくつかの目玉がある。
 まず、誌上「感話」であること。F氏が病気で倒れたお母様の姿と、看護・介護を通しての味わいが有り難い。
 もう一つは、「これからの求道と伝道を考える」の3回目で、質疑や感想の部分を掲載した。質疑が文章化されることは珍しい。
 そして、信仰体験記は、初めての女性が二人だが、二人とも今回限りので読み切りである。新年号から、新しい顔ぶりで連載となる。

 また本号には「年賀交換」の申込案内を同封している。11月末が締め切り、皆様、どうぞ奮って、ご投稿ください。

 

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はちすの発送

 名古屋の寺院であった「春休みの仏の子供大会」と、華光会館の「夏の仏の子供大会」の合併での感想集を発送した。子供たちや若い先生方、親の声が掲載されている。なるべくそのままの文章で、子供大会の勢い、エネルギーが伝わればうれしい。

 合せて、11月2日(土)~4日(祝)の華光大会のご案内。同人の皆様には、総会のご案内と、出欠葉書(委任状)を同封している。華光大会にも、奮って、ご参加ください。

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真宗カウンセリグ研究会~9月の月例会~

 7月は、仏教カウンセリングWSの分かち合い、8月は夏休みと、3ケ月ぶりに輪読会に戻る。

 「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」から、「カウンセリングの核心」の部分である。
 ビハーラや真宗カウンセリングの前提として、ロジャーズのカウンセリングの要点を、的確に、そして端的に述べられた箇所。要点の概観なのだが、単なる教科書的な筆記ではなく、西光生自身のカウンセリング観が滲み出る文章だ。

 それを、先生の薫陶を受けられたベテランカウンセラーの体験談を交えながら読んでいく。ますますその意味が深く感じられるようで、改めて勉強になった。

 特に、ロジャーズのカウンセリングの理論・そして実践は、「技術」よりも、カウンセラーの「態度」、そしてその態度は、「仮説」に支えられ、さらにその仮説は、深い「人間観」から導かれているのである。つまりは、小手先のテクニックや技法で接することよりも、人間性が伴う態度条件が重要になってくるのであるから、原点に戻り、基本に立ち返って、繰り返して確かめていくことの大切さを教えられた。

 

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漬物と創作料理と、ワインのコラボ

   ご案内をいただいて、初めてざっくばらん「エッフェ会」に夫婦で参加する。

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 高辻新町にある町家のクチーナ・ナチュラーレ・エッフェの藤松シャフと、松原通にある井上漬物店、新町通のカーブ田中屋のマキコレワインの競演。

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http://cave-tanakaya.com/2017/10/17/224/

 料理は、いつものイタリアンではなく、アジアンチックな創作料理で、漬け物との相性を考えて創られた。その食事に合せた用意された、フランスやイタリアのワイン(赤、白、ロゼに、泡)を組み合わせていただくという、贅沢な企画。

 ただワインに詳しいわけでも、料理に詳しいわけでもないので、出されるままに喜んでいただいた。何分、漬け物との相性なので、素直に漬け物として食べたほうがいいものああったし、ワインも8種類も頂くと、どんどん何が何やら分からなくなる。単なる酔っぱらいになっていく。

 皆さんとは初顔を合わせの人たちだったが、健康志向とか、スプリチュアル志向という意味では、それなりの方が集まってこられて楽しかった。

 最後は、尾籠な話で恐縮だが、家に帰ったら、二人ともしっかり下痢をした。発酵食品の漬け物と、ワインとを、飲み食いした結果である。からだは正直である。

 ご馳走様でした。

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≪漬物とタコ、ホタテなどのアヒ-ジョ・発酵ピクルスとキヌアサラダ・赤ワイン漬の野菜と、牛肉,人参のテリーヌ≫
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≪ビーツ、ナスの糠漬けと、ズッキーニのキッシュ≫
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≪コリンキ-の赤ワイン漬、昆布漬、糠漬けのニラ、海老のタイ風バッタイ≫
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≪タンドリーチキンとカレー、発酵ピクルス添え≫



 

 

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教行寺永代経

 奈良県生駒市の翌日は、同じ奈良県の河合町へ。

 お招きを頂き、何年目になるのだろか。どれだけお役に立っているのだろうか。と自問する。
 人の歩みは、畳の目ひとつひとつと進むものである。「薫習」(くんじゅう)という言葉があるが、少しずつ匂いづけされていくように、真宗は、「聞薫習」で、聞くことによって、ご法が匂いづけれていくのである。しかし、一方的に終わる法話だけでは、実際のところはどうかよく分からない。靴の上から痒いところを掻くような、もどかしさも感じてはいる。

 2席の法話は、朝座は、「平生業成の教え」。昼座の前席は、「南無阿弥陀仏をとなふれば、この世の利益きわもなし」。お寺の掲示板にあった現世利益の和讃で、意味の質問があったからだ。これは、即興での法話であったが、ぼくなりにはっきりしたことがあって、もう少し深めていきたい。後席は、京アニの消防士さんの言葉から、「後生こそ一大事」で結んだ。

 法話が終わって、30分ほどだが、簡単な分かち合い、座談会を行う。集まったのは、いつも華光の皆さんと、元同人の方のみだ。なかなか、もう半歩でも出てもらうことは難しい。しかし、諦めて意味はない。ご縁が続くかぎり、この姿勢を貫きたい。南無阿弥陀仏

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生駒での家庭法座~難信の法~

 3月と9月のお彼岸は、生駒での大阪支部の家庭法座である。施主の頑張りがあって、京都や大阪の同人を中心に、部屋が一杯になるほどのお参りがある。

 法座の前に、当家のおばあちゃんの17回忌を勤める。彼女とは、一緒にインドに行った仲間である。ぼくはまだ学生で、未成年の時。もう40年近い歳月が流れたが、あの時のことはよく覚えている。それだけ強烈な印象を受けた旅だったのだ。

 「阿弥陀経」を勤行の後、ご法話も『阿弥陀経』のお心をお取り次ぎ。限られた時間なので、最後に2度出でくる「難信の法」を中心に。釈尊の八十年は、五濁悪世で、今生事にどっぷりの迷いの衆生に、この難信の法(自力では信じられない他力本願の教え)を伝えるためにご苦労があり、それをなし遂げられたご生涯だと、ご自身でも、また諸仏方も褒めたたえておられるのである。しかし、それは釈尊だけではい。六方、つまり全宇宙に満ち満ちる無数の諸仏方も、また弥陀の本願を伝え、弘通するために、働き続けておられる。しかも、三千大千世界を覆うほどの長く広い舌(広長舌)を出して、弥陀の本願が真実であることを證明し、衆生に向かってご信心を勧めておられるというのである。そして、親鸞様は、その姿こそが、阿弥陀様の悲願(十七願)が成就の表れであり、真実なのだと喜ばれている。

 まったく私たちの基準にしている真実の證明とは、次元が違うのである。舌を出して證明する。小事の證明は、舌が鼻を覆い、大事の證明は、舌が面を覆う。ましてや大千世界を覆うほどの舌で證明されているのである。永観律師があらわされた『往生拾因』に引用された、「バラモンと釈尊、そして貧苦の老婆」とのエピソードを頂いて、いかに私たちが自分のはからい、自分の小さな想いにとらわれて、疑っているのかを頂いた。まさに「難信の法」である。

 しかしなかなか自己のこだわり、ちっぽけなはからいを捨てることが難しいかを、座談会では実地にお知らされた。

 「よくきくことも難ければ、伝えることもなお難し」である。

 

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生駒市竹林園

    午前中、伏見向島でのお彼岸のお参り。今年も、一層、厳しい無常の理を教えられるご縁であった。しかし、たとえどんなに厳しい愛別離苦に直面しても、それが必ずしも自身の聞法の縁になるとは限らないということも、痛切に感じられるご縁となる。だからこそ、目の前のご縁を大切にしたい。同時に、我が身を思う時、「遠く宿縁を慶べ」が響いてくる。

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 そのまま奈良県生駒市の家庭法座に移動。出発点が違うので、カーナビはいつもと違う道を示した。京田辺の山中を通って、生駒市に至る。ルートが違うと、途中の風景も違う。子供の時、交野の私市(きさいち)からハイキングで歩いた「くろんど池」(すごく懐かしい)を渡り、高山城という城跡を通ると、生駒市竹林園があった。少し時間があったので、ほんの少し寄り道をする。

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http://www.tikurinen.jp/history

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 日本唯一の茶筌の生産地として有名な高山とある。といっても飛騨高山ではない。生駒市に高山の地があることも、また茶筌作りが盛んであるのも、初めて知った。今から500年以上も昔、室町幕府八代将軍足利義政の時代に遡るという。この地は、鷹山氏の支配で、鷹山氏から、たかやまの地名をたまわり、それが高山と記述するようになったという。公園内に、鷹山氏の墓にお参り。南無阿弥陀仏の碑。別に縁もゆかりもないが、法衣姿でちょうどよかった。

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 竹林自体もいろいろな種類があるようだが、どれもしょぼしょぼ程度にあるだけで、正直、公園自体も、展示館も寂しいものだった。明日、訪れる河合町あたりも、かぐや姫伝説がある竹の産地。今年は、全国規模で、120年ぶりに竹の花が咲いているそうだが、、。

 別ルートを通ったでけで、知らないことに出会う。ちょっと触れることができた。たぶん二度目はないだろう。

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≪教行寺の竹林↑≫

 

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臨地法座(6・番外篇)将軍塚

 参加者からの要望で、希望者のオブションとして、「将軍塚」まで足を伸ばすことにした。
 夕陽を前に、逆光がまぶしくて、視界は悪い。

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 でも目的は、ただ京都市街を眺めることではない。ここが、『仏敵』の冒頭の舞台だからである。

それは日和よい三月下旬の午後であった。私は、東山の将軍塚の上に立って、松林の間から隠見する京洛の風光を眺めていた。
ここから俯瞰する京都市街は、かわいらしい盆栽の街だった……

『仏敵』は、将軍塚から眺めれる京都市街の詳細な描写から始まるのである。そして、

私は塚の周囲にある広場を、ぶらぶら歩きながら、ものを考えた。
この将軍塚の松の大木で、私の学友が首をくくって自殺したのは、ちょうど昨年の今ごろであった……

と相撲部のエースが、柔道帯を松に括りつけての最期であった。 
 
 男たちは、「どの松なのかなー」と、あたりを探していた。それらしき一本松はなかったが、「この松がそうです」と、将来「伊藤先生の御旧跡」として、案内板が建つ日がくるかもしれない?
 一方、京都マダムたちは「甘い思い出があるんですわ」と、口々にロマンスの思い出を語っておられた。夜景が美しいデートスポットである。

 京都マダムの思い出は、かなり昔なのだろうが、伊藤先生がこの地を訪たのはもっと古い。もう100年も前のことだ。まだ東山ドライブウェーはなく(当たり前)、山道を徒歩で登り、早足でくだり降りて、円山公園から知恩院、そして岡崎の地まで足を伸ばしておられる。

 恐ろしいほどの健脚ぶりである。
 

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臨地法座(5)~佛光寺~

 お店から佛光寺までは1㎞あるかないかのご近所だ。

 真宗の本山で真宗十派の一つで、京都に四つある浄土真宗のご本山だが、ほとんどの方が「初めてです」と言われていた。今回の旅はある意味で、隠れた真宗のゆかりの地を巡ったことになる。

 さて佛光寺は、越後流罪に遭われた親鸞聖人が、ご赦免の翌年建暦二(1212)年に、京都に帰られ、山科の地に草庵を結ばたという。この草庵が佛光寺草創とか。でもこれは史実とは言い難いのだが……。

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 親鸞聖人ご在世の時、真宗の教えは関東を中心に広がっていた。第七世了源上人は、教化活動の拠点を旧仏教の盛んな京都に置き、光明本尊・絵系図・交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れる。人々は上人のお徳を慕って念仏申すようになり、元応二(1320)年には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都国立博物館あたり)に移されたという。了源上人は、わが国で初めて真宗教団を組織された仏光派の中興の祖。
 
 寺号の佛光寺は、佛光寺の繁盛を妬む者が、ご本尊や法宝物を盗み出して竹やぶに投げ捨てた。その夜、後醍醐天皇が夢枕に東南の方向から一筋の光が差し込むのをご覧になり、ただちに人を遣わせられたところ、阿弥陀如来のお木像が現れた。この仏像がご本山の阿弥陀如来像の台座と一致したので、勅願により「阿弥陀佛光寺」、略して佛光寺の寺号を賜ったと伝えられている。

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 もっとも、光明本尊・絵系図・交名帳は、蓮如上人よって、異端として排斥されるのはご承知のとおり。つまりは、難信に対する印可(保証)を与えるもので、その結果、いくら教線が拡大したとしても、明確に聖人の教えではない異義が、正統としてまかり通っていたことに恐ろしさを感じる。

 詳しくは、悟朗先生の『後生の一大事』~蓮如上人のご教化~をご一読ください。

  とにかく、今回のミニ旅は、「見真大師」で始まって「見真」で終わりました。

 

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臨地法座(4)~ランチ篇~

  さて、朝から効率よく3ケ寺を回れた。午後1時となり、少し歩いたこともあって、今度はお腹がすいた。ここでまで計画どおりに進行して、ぼくも満足である。

 高辻新町にある町家のイタリアン(クチーナ・ナチュラーレ・エッフェ)で、会食。すでに、母など合流組もいる。今回の目玉はここでのランチ。居酒屋などで、華光の皆さんと会食することは多いが、こんな形のランチ会は初めてかもしれない。

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 ご夫婦とも、自力整体の仲間で、火曜日はここが会場になる。自力整体をしていたら、突然、思いついた。「20名の集りなら大丈夫ですよ」とのお返事。ランチの時間を2時間延長してもらって、会食の後法話をする-そこを中心に前後の行程を考えたのである。

 小麦、乳製品、砂糖を使わず、飯は酵素玄米、パンも米粉、パスタもグリテーンフリー対応と、健康志向のお店。それ話をしたら、ベジタリアンのイメージをされたのか、「私は、体に悪くてもおいしいものが食べたい」と言われた方があった。が、決して、お肉も、魚もおいしく、量もたくさんあって、皆さん、ほんとうに満足のご様子。喜んでいただけてよかった。

   スムージーに始まって、酵素サラダと前菜盛り合わせ。 

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旬を感じる季節のパスタは、ホタテがやわらかった。

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 メーンは、野菜たっぷりのお肉は、牛ほほ肉のワイン煮。これが柔らかくし好評。8割以上が肉派だった。

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 最後は、乳製品や砂糖を使わないデザートと、ハーブティーという、充実のコースだった。

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 ということで、食事が充実していた分、どうもご法話は、料理の添え物に終わってしまったが、まあ、今回はそれはそれで致し方なしだろう。

 御馳走さまでした。

 

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臨地法座(3)三十三間堂~法然塔(名号石)

 道路を隔てた三十三間堂に向かう。本堂に入る前に、「法然塔(名号石)」の前で、説明と記念撮影。寺伝では、元久元年(1204)土御門天皇が、三十三間堂で後白河法皇の十三回忌を行った際、請いを受けた法然上人が、「六時礼讃」を修し、「南無阿弥陀仏」と書写して参集した人々に分け与えたという。この「六字の名号」が石に刻まれて、世に法然塔とも呼ばれている。国宝『法然上人行状絵図』の第十巻にも記述される法然聖人の霊場の一つである。

 さて、蓮華王院三十三間堂は、やはり後白河上皇が自身の離宮内に創建されたものである。さすがに、2/3程度が拝観されていたが、「修学旅行以来、五十年ぶりです」など、「覚えてないなー」という感想が多くて、ほぼ初めて感もあった。京都の方は逆にわざわざ来ない。ぼくは、お客様を連れてくることが多いので、ブログでも2~3度話題にしている。写真も、前のバージョンアップ前の方が断然きれいなので、以下をご覧ください。共に、アメリカからの同人をご案内した時の物です。

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-d106.html

http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-49aa.html

 湛慶作の国宝の千手観音坐像を中尊に、左右に各500体の千手観音立像(十一面の四十手に略されている)が立ち並び、本尊の背後に、逆向きの1体があって、計1,001体が整然と並べられる姿は、まさに壮観だ。誰もがそのスケールに圧倒的されていたようだ。ちなみに観音様が1,001体なので、その冠には1,001体の阿弥陀様もおられるのだ。「観音さまは冠に、お阿弥陀さまをいただかれ」と十二礼の意訳もあるが、お寺の説明では、阿弥陀様とはなっていなかったのは、残念。

 千体仏の手前には「二十八部衆像」と「風神・雷神像」も、写実的でとても素晴らしい。観音様も含めて、すべてが国宝というのも、すごい。二十八部衆とは、千手観音の眷属の主にインドの神々である。東西南北と上下(六方)に各四部、各四部、北東・東南・北西・西南(十方)に各一部が配置され、合計で二十八部衆である。少しだけ真宗にもゆかりの方々を紹介したので、ここでもおすそ分け。

 ◆那羅延堅固(ならえんけんご)-いわゆる仁王様で、四十八願の中の「第二十六願」に、浄土に生まれた者は、金剛那羅延のような金剛の身を得るというのである。
 ◆難陀龍王(なんだりゅうおう)-八大龍王のひとりで、現世利益和讃に、「南無阿弥陀仏をとなふれば、難陀・跋難大龍等、無量の龍神尊敬し、よるひる常に護るなり」と親鸞さまは、和讃された。
 ◆帝釈天王(たいしゃくてん)-元インドラ神で、阿修羅と戦闘する武勇の神。仏教に取り込まれ、成道前から釈迦を助け、その説法を聴聞する。梵天と並ぶ仏教の二大護法善神で、四天王を配下におく。阿弥陀経には、「釋提桓因」(しゃくだいかんいん)とある。
 ◆大梵天王(だいぼんてんおう)帝釈天王とならぶ仏教の二大護法善神。成道後、説法をためらう釈尊に、三度の勧請するエピソードは有名。
 ◆毘沙門天(びしゃもんてん) 四天王のひとりで、北方の守護。多聞天ともいう。御文章には、「人間の五十年を考えへみるに、四王天といえる天の一日一夜にあひあたれり」とある。他の三名は探してみて下さい。
 ほかにも、阿修羅、乾闥婆(けんだつば)、吉祥天、鬼子母神(子供を食べる)、金比羅神(ほんとうなら、ちょうど金比羅宮にお参りしている頃)など、有名な方がおられるので、よく探してみたくださいと宿題をだした。

 1時間の予定だったが、時間が足りないほど見応えは十分。

 

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臨地法座(2) 法住寺~養源院

Img_3495    荼毘所から法住寺までは、わずか3㎞足らず。法住寺は、三十三間堂と道を隔てた天台宗の寺で、後白河法皇の院の御所として創建された地である。御白河法皇の御陵が隣接するが、残念ながら土・日曜日は閉鎖(宮内庁管轄)されていた。法住寺殿といれば、後白河法皇のことを指す。このお寺には、後白河法皇像の他に、自刻「阿弥陀如来像」と「親鸞聖人身代わりソImg_3499 バ喰い像」がある。もともと渋谷(仏光寺にも関連。後で渋谷街道を通る)にあったという。比叡山の大乗院にも、身代わりソバ喰い像があるが、両者の関連をぼくは知らない。ただ、ソバアレルギーのぼくの身代わりで、外でソバが出たら、連れ合いが食べてくれることを、特記しておこう。残念なから、今日拝観中止。

 代わって北隣の養源院を拝観。浄土真宗「遺迎院派」の寺(天台宗からの分派。本家浄土真宗とは関連はない)。今日のメンバーの半数は京都の人達だったが、全員が初訪問という、隠れたImg_3504 名所だ。

   ご住職が、軽快にご説明くださった。それほど広くない方丈だが、俵屋宗達作の重文指定の「襖絵」(松)と「杉戸絵」(象、唐獅子)などが拝観できる。特に、大胆な筆塚とタッチの象の絵は、現代にも通じるモダンな具象だった。ここは、秀吉の側室淀殿が父浅井長政の供養のため創建。その後、徳川秀忠の正室崇源院(江)により再興されたので、浅井家の女性たちのことを、特Img_3506 に詳しく説明されていた。また、徳川家の菩提として、歴代将軍の位牌をまつられる。そして、、伏見城の遺構を移して再建されたもので、伏見城落城時の廊下を、天井に使用している。落城の際、自刃した徳川側の武将たちの血のりのしみた「血天井」でも有名。説明を聞くと、手の跡や切腹の時のうつ伏せの体の形にみえるのである。
 ちなみに、ご本尊は、阿弥陀如来立像で、源信僧都の作だという。これが唯一、真宗との関連であった。
 予定オーバーの丁寧な説明と、俵屋宗達の絵、そして方丈までの美しい緑に、皆さんも感銘をうけておられる様子。 

 

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臨地法座(1)~親鸞聖人荼毘所~

Img_3478   四国への聞法旅行が中止になって、急遽、臨地法座を企画した。

 1日だけの縮小版だったが、拝観、ラント共に、充実の内容で、皆さん、満足していただけたのではないか。ただ宿Img_3481 泊でない分は、物足りなさは感じてはいるが、ちょっとした京都へのてミニ修学旅行みたいな雰囲気で、皆さん、喜んでおられた。少し順を追って、紹介しておこう。

 Img_3482  遠近各地からそれなりに参加者も集まり、車に分乗して会館Img_3473 を出発。~運転手の皆様、ありがとうございました~。

 今熊野から滑石道を上がって「延仁寺」へ。ぐるぐる細い道を登っていくが、15分ほどで、親鸞聖人の荼毘された場所に到着する。ここは、全員、初めての場所である。京都にか なり詳しい 人でも、なかなか知らない場所だろう。

 ここから、少し急な坂道を歩かねばならない。あまり訪れるひImg_3472 とがないのか、蜘蛛の巣を払いながら、荼毘所に着く。今度は、 藪蚊に要注意である。

 『御伝鈔』下巻第六段には、

 「はるかに河東の路を経て、洛陽東山の西の麓、鳥部野の南の辺(ほとり)、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾ひて、おなじくき山の麓、鳥部野の北の辺、大谷にこれをあさめをはり ぬ」

Img_3487  とある。古来より、このあたり鳥部野と呼ばれていて、今も、近くには京都市の中央斎場(火葬場)や、霊園も多い地域だ。

 親鸞聖人は、弘長二年、十一月二十八日に、九十歳でご往生される。その翌日二十九日に、この地で荼毘にふImg_3490 され、翌三十日に拾骨され、その後、大谷に埋葬されたということである。
 ここは、明治期に廟所が建てられたので、親鸞聖人ではなく「見真大師御荼毘所」という碑文になっている。

 聖人のご往生を偲び、皆さんで称名念仏をさせていただいた。距離が短いが、降りる方も、滑らないように慎重に進む。

  大谷の 流れも清し 汲み得ては
   味わい深き 法の水かな (含弘)

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残暑

Img_3461   外壁工事か始まったと同時に、暑さが戻ってきた。8月下旬は、かなり暑さも一服で、一安心と思ったいたら、9月に入ってからの残暑が厳しい。京都は、30度の真夏日は当たり前で、今週は、3日連続での猛暑日で、37度まで気温が上がった日もあった。9月に3日連続の猛暑日は、9年ぶりだそうで、つまりは10年に一度の残暑の厳しい9月ということになImg_3460 る。

 2階、3階はエアコンが使えないので、心配している。会館での法座は、9月下旬に集中させたが、文化教室やカウンセリングなどの会場提供は変わらずにある。母も、寝室は大丈夫だが、ダイニImg_3463 ングが扇風機のみになる。幸い1階は影響がないので、少人数の会合は、1階を使ったり、2階の道場がましなので、自力整体を行ったりと、やりくりをして過ごしている。エアコン以上に、窓が、外部からビニールで覆われていて開けられず、息苦しい感はある。

 それでも、ここにきて秋の気配を感じている。気温は高めであっても、空には、秋の雲がたなびいている。

 散髪の帰り、梅小路公園を通ったら、秋の草花もチラホラ見かけられた。暑くても、季節は動きだしていることが感じられると、ホッとさせられる。なんとか工夫して乗り切っていこう。

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ビハーラ研究会~SDGs、感想篇

 まずは進行の仕方。ファシリーテーターはお二人で、リーダーの風かおるさんが、リーダーショップをとってすすめられる。それを、ペアの男性が、ファシリテーターとなって、エンウカンター風に自由な議論をすすめられる。それを受けて、またかおるさんの話題提供があり、また話し合うというパターンですすめられる。この二人の組み合わせが面白いと思った。これを、いつもぼくは一人でやっている作業。しかし、分業するほうが声をだし易く、また冷静に声が聞けると思った。司会役に求めたい役割で、司会者がもう一段と力をつけてもらえれば、実現する。これは進行の上で、いちばん勉強になったところだ。

 内容についても、ぼくの言葉を交えた感想であるを一、二述べておく。

 いま社会は、大量生産、大量消費、大量廃棄の上で成り立っているが、その中での私たちの役割は、消費者であり、廃棄者であることに、何の疑問ももたない。しかし、その前にすべての人々が、「生活者」であるという事実が忘れられている。
 たとえば、きれいにバーケージされた商品には、表の顔と裏の顔があること。たとえば、表に、「おいしそうなチョコレート」の写真。しかしそのカードの裏には、児童強制就労の闇がある。そのほとんどが劣悪な環境での、ただ働きに近い。フェアートレイドよりも、安い商品を欲しいという消費者心理による搾取がある。また、表側がおいしそうなボテトチップでも、そのの裏には、バーム油のための、無秩序の森林破壊の闇がある。そんなことを具体的な例で示された。つまりは、きれいに商品化された背後にある闇には気付くことなく、踊らされているのである。要は、おかげや感謝のきれいごとの裏側に、自分の欲望(得したい、かしこくいたい、便利でありたいなど)があり、見えないところで、遠い国で搾取や破壊が行われている。つまり気づき難い罪業が隠されているのである。

 私たちは、世界とも、またた自然とも、有機的につながっていて、その中で複雑なループを形成している一員なのである。しかし、今日の風潮は、分断と対立を煽り、また大企業の画一化されたグローバルゼーションに呑み込まれている。個々のローカルゼーションの良さも保ちつつ、孤立することなく、乗り越えていく道はないのか。それは、世界のつながりの中で、その一員である私が起点、もしくは私が源泉(自らの内部から沸き上がってくるもの)となって、社会を持続可能なよりよき方向に変えていく可能性があるのではないか、という感想をもった。

 また、「仏教との接点を探ってみる」という課題で、前回も感じたことをここに触れたが、今回も同じことを感じようなことを考えた。
 阿弥陀様の本願は、苦悩する一人一人にほんとうの幸せを与えたいというものであるけれども、同時にそれは、平和で差別も、貧困もない、安らぎの国(極楽浄土)を建立することから始まっている。社会(国土)と、衆生(ひとりひとり)は、切っても切り離せない関係であるのだ。信心の問題は、もすれば個人(自己)の安心の問題、心の問題として矮小化してしまいがちである。しかし、弥陀の本願に立ち返ったなら、安心は、単なる利己主義に止まることなく、どこかで社会にも開かれていくものであることを改めて考えなおされた。

 いろいろと刺激をもらいました。

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ビハーラ研究会~SDGs、復習篇

 9月の仏教大学のビハーラ研究会のテーマは、6月の「カードゲームでを体感する」の後半で、分かち合い篇。

 前回の案内文に、「国連で2015年に採択された「SDGs」(持続可能開発目標)達成のために、私たちには何ができるのかを、カードゲーム体験を通して皆様と共に考え、さらに「SDGs」と仏教との接点を探ってみたいと思います。」とうたわれていた。まったく「?」のまま躊躇しながらも 、しかし知らないからこその出会いや学びがあるだろうと、恐る恐る参加した。

 おかげで、その時にペアを組んで話した男性が、京都支部のお盆法座にお参りにされ、カウンセリングの集いにも参加、ご縁が繋がったのは思わぬ収穫だった。彼はインド旅行にも、興味をもっていた。これも一方的な座学ではなく、ワーク形式だということで交流がうまれたのだ。

 ところで改めて、「SDGs」についてのおさらい。「SDGs」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称で、「エス・ディー・ジーズ」と発音する。
 個人の願い(欲望というより、もっと深いところでの欲求)と、社会との関わりの中で、2030年に向けた社会全体で説く組む17の大きな目標(貧困や飢餓をなくすとか、教育の機会や差別の解消、女性の権利、環境問題など)を、達成するための具体的な169のターゲットで構成され、さらにより具体化するための252項目のインジケーターの3階建ての造りの構造をもっている。世界の人々が、国際的な共通の課題として、社会全体で取り組み、「誰ひとりとして取り残さない」という宣言をなされている。
 前回は、経済と環境と社会の3項目に分けて、個人の活動が社会に与える影響、個人の夢とよりよい社会(地球環境であり、公共の福祉であり、経済発展でもある)を実現させていくために、いかに活動するのか。どうすればいいのかを、カードゲーム形式で体験的に学んでいった。
らたな提言である。印象的なことはあったが、一つ、二つ心に残ったことだけを記す。

 今回は3ケ月以上の期間があいて、その時の思いは薄れてはいるが、前回の「カードゲームでSDGsを体感」体験について、車座になっての分かち合い。新たな提言である。印象的なことはあったが、一つ、二つ心に残ったことだけを記す。

 

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華光誌、印刷所渡し

   78巻4号の華光誌編集作業を終えて、印刷所に渡した。予定より3日も早い。発送の日程が会えば、9月中の発送がしたい。

 お盆を過ぎた8月下旬から早めに取りかかったので、〆切に追われることなく作業が進んだ。その分、聖教のこころ、特に「巻頭言」に時間を割いたが、少し煮詰まったりもした。巻頭言は、「金剛堅固の信とは?」がテーマである。

 本号は、いつもと少し違った点が2つある。

 一つは、誌上法話ならぬ、誌上「感話」。F氏が病気で倒れたお母様の姿と、看護・介護を通しての味わいで、これがなかなか有り難い。ただ有り難いのではなく、平生業成の人と題されたテーマが尊い。結局、「有り難い、有り難い」と喜んでいたも、何を喜んでいるのかである。元気なうちに、業魂の葬式をすんだものは強い。あとはこの世の業を果たすだけである。

 もう一つは、「これからの求道と伝道を考える」の3回目で、二人の先生の体験談をうけた、質疑や感想の部分のみを掲載した。座談や質疑が文章化されることは珍しい。

 体験記も、初めての女性が二人。しかも、今回限りので読み切りである。

 10月の初めには発送される。どうぞお楽しみ。

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下見

Img_3433   臨地法座に向けて、拝観のお寺などの下見を行う。だいたいの時間を合せて、行程通りに車を走らせる。
 
 会館から5~6㎞圏内にあるところばかりだが、僕自身、初めて訪れる場所がある。

Img_3434
 まずは、今熊野から滑石道を上がって「延仁寺」へ。ぐるぐると細い道を登っていく。この坂道を山科に向けて、自転車で走ったことがある。教習所に通っていた時だ。ここは、親鸞聖人の荼毘所。初めての巡拝。お寺様に駐車場の使用をお願いして、親鸞様の荼毘所まで歩く。少し坂道をのぼると、ひっそりとその跡はあった。回りは、紅葉が多く秋にはきれいだろ。
Img_3449
 次の法住寺は、荼毘所から3㎞足らず。ところが、帰路も道が入り組み細い。ナビは、山科経由で10㎞以上を示したが、細い道を行く。「法住寺」は、「三十三間堂」と道を隔ててある。親鸞聖人の身代わりのソバ喰Img_3450 像で有名だ。ここも中に入るのは、初めてのところだ。団体拝観をお願いすると、その日は、写経会の行事あって、本堂以外の拝観は終日中止とのこと。とても迷惑そうに愛想なく断られた。残念である。
 親鸞聖人とはまったく関係ないが、お隣の「養源院」を訪ねたら、ここは説明もしてくださることで話がついた。ただ、駐車場がない。近くにImg_3453 は、コインパーキングがたくさんあるが、連休中の有名拝観寺院の抱えて、心配なことろ。門構えに比べて、中が広くてびっくりした。ここも秋には紅葉が美しいだろう。バスガイドさんに先導された修学旅行生が入ってきた。穴場の観光地でもある。

 その後、「三十三間堂」から「大谷本廟」を五条に進んで、ランチと法話会場に移動。ここのパーキングはお店の目の前にある。このあたりは室町のビジネス街なので、日曜日は逆に空いている。

 途中、雷雨となった。雨は強くなってくる。洗濯物を干してきた連れ合いは、こころはここにない。すぐ近くの仏光寺の駐車場を確認して、@急いで家路に。

 後は、連休中の交通集中だけが心配なところ。

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7月の聖典講座~深心(4)・まとめ

 以上の「深信釋」の顕すところは何かを、大原博士のご指南によって窺った。箇条書きにすると、

 一、決定堅固の信心であること。
 二、随順を相状する信心であること。
 三、正行を基礎とする信心であること。
 四、聖者の信心ではなく、罪悪の凡夫に相応する信心であること。
 五、要するに、これは他力回向の信心であること。

である。そこを抑えた上で、「二種深信」を各二九文字を詳細に窺っていった。いまは、文をあげるのに留める。

(機の深信・信機)
「一には、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。」

(法の深信・信法)
「二には、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得と信ず。」

 伝統的には、機法二種一具と呼ばれるものである。浄土真宗の他力の回向信の信相を端的に顕した、最重要の御文の一つだある。詳しく頂いて、有り難かったです。

 詳しくは、通信CDでをお聞きください。10月は、回向発願心に入り二河譬をたっぷりと。

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広島支部法座前後の出来事

 今朝は、南区一斉清掃の日で、町内会ごとに清掃が行われる。今年は、隣組の当番なので、夫婦で参加した。十条駅前から会館前までの清掃を担当。タバコのボイ捨てが多い。夫婦で雜草を抜く作業を行った。おかげで会館の前もすっきりと、きれいになった。

 それにしても残暑が厳しく、汗だくになる。広島法座を前に、シャワーをして支度。出発の直前、ネット予約を確認したら、関東への台風接近で、計画運休のお知らせが来ている。夕方には東海道新幹線が止まる。行き先も、すべて新大阪止まりになり、運休のものもある。大急ぎで、帰路の乗車変更。もう、指定席は数席になっていたが、なんとか新大阪に行くものが取れた。
 行きの車中、タイガースのユニフォームを来た人達が多い。マツダスタジアムでデーゲームがあるようだ。法座会場は、スタジアムの歓声が聞こえるほどの、目と鼻の先の距離だ。

 法座を15分早く終わってもらい、帰路を急ぐ。ちょうどカープの試合が終わったところ。真っ赤なカープのユニフォーム姿のフアンで、道路も、駅も大渋滞。赤い人込みに押されながら、ホームにたどり着く。ホームは、赤色と黄色で大混雑している。

 それでも乗車はスムーズに。でも、新幹線は新大阪止まりとなる。京都までは在来線でも25分程度なので、在来線の予定でいると、10分後に名古屋行きの「こだま」が出るという情報が、、。新幹線なら京都まで14分だ。少々混んでいてもいいと思ったが、甘かった。こだま号は、次々と乗客か押し寄せてきてすし詰め状態になる。定刻になっても発車できない。大きな荷物がなくて助かったが、ラッシュ・アワー並の混雑だ。やっと京都駅に降り立ったら、京都駅のホームもそれ以上の長蛇の列。名古屋行の「こだま号」は、1時間1本だけの定刻運転。混雑が分かっているのなら、もっと臨時便を出せなかったのかな。

 最後に疲労して、法味も飛んでしまった。

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点検作業

Img_3393  昨日、足場が組み上がった。
 合せて、2階、3階のエアコンが外されて、各部屋に積まれている。ベランダの塗装作業のためである。

 Img_3408 今日は、広島から修繕工事の監理のM先生が来館された。現場責任者と共に、外部の点検作業である。

 外壁やベランダの色は、ほぼ従来どおりの、落ち着いた色に決まっている。今日は、玄関の表札部Img_3418 分も代えるので、その書体や位置の相談。また、屋上の建屋の塗装や看板の色も決めた。しかし内装に比べると決め事がとても少なくて、この点では楽である。

Img_3412  屋上から足場を伝って、会館の回りを点検していく。補修するヒビはないか、水盛の兆候はないか、目視で確認していく作業である。ぼくもヘルメットを被り、一緒に回った。足場の狭い箇所は結構揺れるし、ちょっと恐かった。丁寧に見ていくと、あっちこっちにヒビや亀裂が入っている。ただ12年前にしっかり補修工事を行っているので、補修の必要な箇所は、思った以上に少なめだったそうである。

 いよいよ月曜日から、高圧洗浄、窓の養生(ここからは窓も開けられなImg_3419 い)、そして、外壁の修繕と塗装作業に入る。 

 ここまでは準備段階。工事はこれからである。

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7月の聖典講座~深心(3)・順彼仏願故

 また「就行立信」とは、行に就いて信を立つことである。
 それは、釈尊の説かれた行は、すべて悟りに向かう善行ではあるが、阿弥陀仏の浄土に向かう往生浄土の因行は、第十八願に誓われた称名念仏が、正しく往生の決定する行業(正定業)であると信じることをいう。

 そこには、「正行」と「雑行」の別がある。『観経』にも、「正行」と「雑行」の別がある。正行とは、純正で、正当な浄土往生の行。一方、雑行とは、この世界での悟りを完成するために説かれた修行で、いわゆる聖道門の行。諸善万行ともいわれるように雑多で、種類は多く、純粋な往生行に対しては、雑行である。たとえば、三福とは、世間(親孝行や年長者敬うなど)・出世間(戒律を保つなど)の一切の善行であり、聖道門では正当な行ではあろうが、本来の浄土往生の行ではない。それを根機に合せてお説きくださったので、雑行と見られた。それに対して、専らに浄土往生のための正行がある。それが五種正行である。

「五種正行」とは、
1読誦正行(専らに浄土三部経などの浄土経典の読誦)
2観察正行(専らに阿弥陀仏とその浄土を観想)
3礼拝正行(専らに阿弥陀仏を礼拝する)
4称名正行(専らに阿弥陀仏の名号を称える)
5讃嘆・供養正行(専らに阿弥陀仏を讃嘆し供養する)

 さらに、ここには、「正定業」と「助業」(正助二業)の別がある。
「正定業」とは、正しく往生が決定する行業のこと。五種正行のうち、本願に選び定められた正定業は、「称名念仏」である。その他の「読誦」「観察」「礼拝」「讃嘆供養」の四正行は、あくまでも念仏生活を荘厳し、自行・化他のための宗教儀礼の実践行を顕している。つまり、助業の「助」には、随伴や輔佐の意味があるが、あくまでも、称名念仏を相続していく上で、自然と付き従う宗教的な行いといえるのである。それで「助業」と呼ばれ、その位置から「前三後一」ともいいならわされている。つまり、
 読誦正行-助業
 観察正行-助業 
 礼拝正行-助業   (前三)
 称名正行 正定業
 讃嘆・供養正行-助業(後一)
                         
 ところで、ここには、法然聖人が、比叡山黒谷の報恩蔵にて「一切経」五度読破した時に、自らの後生の夜明けをされた最重要の御文がある。

「一心専念弥陀名号、行住座臥、不問時節久近、念念不捨者、是名正定之業 順彼仏願故」                
「一心にもっばら弥陀の名号を念じて、行住座臥に時節の久近を問はず、念念に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。」

 結局、称名念仏だけが本願の行なのである。この御文のなかでも、「彼の仏願に順ずる」。すなわち「本願に順ずる」、つまりその行が、本願にかなうのかどうか。この「本願」に順ずる一点こそが、法然様を貫き、さらに親鸞様へと受け継がれていく要だ。どんなに素晴らしく見えても、本願に順じないもの、かなわないものは、すべて捨てものなのである。

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7月の聖典講座~深心(2)・四重の破人

 ところで、深信釋の最後、第七の「立信方法」には、有名な「就人立信」「就行立信」が説かれている。

 「就人立信」とは、人に就いて信を立てることだが、ここで「人」と言っても、満足大悲の覚者であられる釈尊(諸仏)のことであって、その仏語は、実語で嘘偽りがないと信じ、信を立てることである。そしてその深心は、いかなる謗難や誘惑に対しても、退失傾動したりせず、難を退治するという、四重の破人の譬えへが述べられる。
 1別解・別行・異学・異見・異執の行者
  つまり、意見の異なる凡夫
 2初地以前の菩薩・羅漢(声聞)・辟支仏(縁覚)等
 3初地已上、十地已来の菩薩
 4化仏・報仏
の四種類の論難批判者にから、念仏往生の道を非難されようとも、決して動揺退失することのない信を確立(当面の理解)していくのである。

 そこで思い出されるが、親鸞様が、ご子息善鸞様の異義に動揺する関東の門弟に向けたお手紙の一文である。これは、「義絶状」と同日のものだ。

「往生の信心と申すことは、一念も疑ふことの候はぬをこそ、往生一定とはおもひて候へ。
 光明寺の和尚(善導)の信のようを教えさせたまひ候ふには、『まことに信を定められてのちには、弥陀のごとくの仏、釈迦のごとくの仏、空にみちみちて、釈迦の教え、弥陀の本願はひがごとなりと仰せられるとも、一念も疑いあるべからず』とこそ、うけたままはりて候へば…。」

 では、わが身に引きよせて、信心が動じない、金剛堅固とはたどういうことか。次号の巻頭言のテーマなので、そちらをご参照いただき、各自が問うてほしい。

 

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「仏書に親しむ会」~『仏敵』第二章~

 『仏敵』に入ってから、全員で声に出して読む形式から、一~二頁ずつ、順番に朗読してもらう形式に代えた。

 これがなかなかいい。黙読でも、自分で声を出すのでもない、他人の声をとおしながら、目で追っていく方法は、新鮮だ。お芳さんのセリフを、同じ年代の方が、感情を込めて読まれると、グーッと迫ってくる。今回は、深刻なガンを治療中の方が、乳ガンで苦しむお芳さんのところのセリフを読まれた。「一大事やぜ!一大事やぜ!」という叫びは、まるでお芳さんの直説法のような響きがした。

 そしてなによりも、この濃厚な内容である。伊藤先生とお芳さんが初めて出会う、この短いやりとりの中に、今、私たちが相続させてもらっている、華光の聴聞の原点が詰まっているのだ。ここにも、あちらにも、明言だらけ。「神様と、諸仏と阿弥陀様」の話題、火に触れたようにはっきりする一念のするどさ。さらに「捨てものと拾いもの」という廃立と、「三つの心」のご教示。「ここが分からぬと、百座、千座の聴聞も何の役にもたたぬ」との頂門の一針。すべての華光でご聴聞し、喜んでいると自称している人に向けた、するどい金言である。

 改めて輪読し、これまで気付かず見過ごしていた金言が、この短い箇所に散りばめられていることに震えた。皆さんも、ぜひ、この機会にご再読ください。

 なお、次回の「仏書に親しむ会」は、

 10月2日(水)夜18時50~21時
 第二章の残り(36~41頁)と、第三章にはいります。

 

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臨地法座の御案内

 9月の連休に予定していた四国への聞法旅行が中止になった。定員を大幅に下回ってしまい、最低実施人数の半分にも満たなかった。がっかりである。同時に、もう2泊3日での、バス旅行の形式は今後は難しくなるのかもしれない。来年は、なんとか同コースを、1泊2日間の日程でも巡拝したい。それ以降は、形態の変更も必要だろう。

 さて、おかげて連休3日間が開いてきた。せっかくの臨時休業なのだが、ここは根っこからの貧乏性で、何かやっていなければ落ち着かない。「司会者研修会」とか「念仏の集い」とかの声もあったが、今は工事中で、エアコンも使えず、宿泊や大きな行事を開くは無理だ。会館が使えなければ、外に出るしかない。といでも、連休中に、急遽、団体予約をするのもまた難しい。ということで熟慮の結果、昔の婦人講座(聖典講座の前身)年に一度実施されていた、日帰りでの臨地法座(お寺などの拝観、会食、そしてその場で法話会)形式を考えてた。

 比叡山に行くことも一案だったが、3年前の京都聖跡巡拝で訪ねたばかり。それなら、あの時に漏れた、京都親鸞聖人の聖跡、それも隠れた小さな聖跡を巡拝することにした。時間のない中で一から計画を練る。食事場所、法話会場、そして巡拝先に、移動の手段等々、あれこれと考えた。詳細は、以下のご案内で。

 聞法旅行は、残念ながら中止になりました。代わって、昔、婦人講座で恒例だった、「臨地法座兼聖跡巡拝」を企画しました。京都東山の親鸞聖人や法然聖人の隠れたご旧跡を巡ります。午前中の拝観後、京町家のローフード系のイタリアンレストランで、美味しいランチを頂きます。ランチの後、ここで法話をいたします。最後に、近くの仏光寺に参拝して、京都駅で解散予定です。移動は、会館の車の他に、同人の方が配車(計3台)下さいます。定員がありますので、すぐにお申込みください。
 
 ■日 時=9月15日(日)9時30分(華光会館集合)~16時

 □参加費=6500円(ランチ代、拝観料、駐車場代、移動費、傷害保険代を含む)

 ■内 容=「延仁寺」(聖人荼毘地)~「法住寺」(そば喰い像)~「三十三間堂」(法然塔) 移動してランチ。その後、京町家の一室で、ご法話を拝聴~「仏光寺」~京都駅解散

 □ランチ・法話場所「クチーナ ナトュラーレ エッフェ」(高辻通新町通上ル・地下鉄四条駅7~8分)~フェリーチェランチコース~
 
 ■定 員=16名(残り1名です。お急ぎ下さい)
  「ランチ・法話」からの参加も可能。その場合「クチーナ」にお出で下さい。参加費は4000円
 
 □巡拝寺院の説明
 ◆「延仁寺」(親鸞聖人荼毘地跡) 親鸞聖人はお亡くなりになった翌日に鳥辺野の南、延仁寺で荼毘にふされられました。『御伝鈔』に「洛陽東山の西の麓、鳥辺野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」とある。いまは、荼毘地を示す碑がひっそり立つのみ。

 ◇「三十三間堂」 あまりにも有名かつ荘厳なお寺。湛慶作の国宝本尊千手観音坐像と、本尊の左右に各500体の千手観音立像が立ち並ぶ。本尊の背後にもう1体あり、計1,001体。また、千体仏の手前には「二十八部衆像」と「風神・雷神像」も、写実的で素晴らしい。すべて国宝です。アメリカからのお客様を案内しても、必ず感銘されます。混雑がなければ、二十八部衆像と仏教の関係など解説予定。観音様が、1001体ということは、冠の阿弥陀様も1001体おられのですね。

 ◆「法然塔(名号石)」(三十三間堂)
 三十三間堂の境内のすみに、ひっそりあります。寺伝では、元久元年(1204)土、御門天皇が三十三間堂で後白河法皇の十三回忌を行った際、請いを受けた法然上人は「六時礼讃」を修し、「南無阿弥陀仏」と書写し参集した人々に分け与えたという。この「六字の名号」が石に刻まれて、世に法然塔と呼ばれる。

 ◇「法住寺」
 道路を挟んで三十三間堂の東側にある、天台宗の寺。本尊不動明王。後白河法皇の院の御所として創建した法住寺跡に建つ。後白河法皇の像、また「親鸞聖人身代わりのそば食い像」が、浄土真宗にゆかりだが、拝観料のわりには微妙か。

 又は◆「養源院」
 法住寺の北隣にある、浄土真宗遺迎院派の寺。本尊阿弥陀如来像。伏見城の遺構を移して再建され、血天井が有名。徳川家の菩提所。俵屋宗達筆と伝わる松図襖絵十二面・杉戸絵八面(いずれも重文)。庭は小堀遠州の作。見どころはあるものも、特に浄土真宗との関係はなし。

◎希望者は、すぐにご連絡ください。

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第2期の外壁工事が始まる

Img_3377   いよいよ第2期の華光会館外壁工事が始まった。内装と違って、外部の仕事なので、こちらへの影響は少ないと思っていた。第一、これは13年前の経験がある。しかし、。誓って思っていた以上に、これがなかなかたいへんだ。

 朝は7時40分から準備に入って、8時からスタート。会館の車も、駐車場に入れられず、コインパーキングに預けることも。この後、二階、三階は、エアコンが使えなくなる。しかも、来週からは窓も養生されて、開けられなくなる。Img_3376 道場や教室、三階の研修場、講師室には、外したエアコンの室外機が置かれている状態になる。

 ここで不思議に思うのは、前回の外壁工事のこと。うーん、こんな状態だっかなー。駐車の出入りが少したいへんだったこと。法座中に、窓の外を作業の方が歩いていたこと、そんなことは思い出すが、暑かったことやエアコンが邪魔だったことは思い出せないな。
 ちなみに、工期はまったく今回と同じ。9月1日から10月30日なので、始まりは残暑が厳しかったはずなのだが、、。

 始まった以上は、仕方がない。とにかく2カ月の間、無事に工事が終わることを願っている。

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7月の聖典講座~深心(1)

 前回から、『観経』三心に入った。
 釈尊は、散善九品を説く冒頭で、三種の心(至誠心・深心・回向発願心)をあげて、この三種の心を発こせば往生できる説かれた。行や善をなすにしても、どのような心持ちで行うのかを、三心という形で述べらているのである。
 しかし、この三種の心がいかなるものかは、『観経』では一切触れておられない。その三心を詳細にご教示くださったのが、善導様である。簡単に述べておくと、
 一、至誠心(「至」は最高、真。「誠」は、嘘、ごまかしのない心)、つまり真実心
 二、深 心(深く信じる心。深いとは浅薄ではなく、決定的である)つまり決定心
 三、回向発願心(「回向」の「回」とはめぐらすこと、「向」はさし向けること。
 自らの善根を振り向けること。「発願」とは、浄土往生を願う心を起こすこと。
 当面の意味=自らの成した善をふりむけて、浄土への往生したいと願うこと。
 他力のお心=阿弥陀様より回向(ふりむけてくださった)された功徳を頂き、必ず浄土往生できることを喜ぶ心、
ということなる。
 その中で、今回は「深心」についてである。主に、深心釋に沿いながら、その概観をいただいた。

 善導様は、「『深心』といふは、すなはちこれ深く信ずる心なり」(『散善義』)
「『深心』、すなはちこれ真実の信心なり」 (『往生礼讃』)
と示されているとおり、単なる浅い、深いではなく、本願を信じる信心のことを指している。

 さて『散善義』の「深心釋」の概要を、『浄土宗辞典』引用しながら、一部加筆して窺っていった。かなり煩雑になるで、ここでは略するので、関心のある方は、通信CDをお聞きください。

 だいたい以上を要約すると下記のように図式(ここでは並列にしかかけない)されると思われる。これは、父の恩師でもあって大原性実先生の、『善導教学の研究』を参照にした。

 第一=信機
 第二=信法 弥陀本願(『無量寿経』説示)
 第三=   釈迦勧説(『観無量寿経』説示)
 第四=   諸仏證勧(『阿弥陀経』説示)
            二~四「信法の相」   
 第五=   仏教仏意仏願           
 第六=   観経教旨 五~六「随順信相」             
 第七=        七  「立信方法」

 もちろん、これだけ見ても分かるものではない。「深心釋」を七深信として詳しくお説きくださったのは、親鸞様である。

 つまり、親鸞様は、深心釋を「七深信」「六決定」と示してくださった。七深信といっても、あくまでも一者「機の深信」と、二者「法の深信」の二種深信である。以下は、「法の深信」をさらに五つに分解・詳説されたと見られた。ただし、『観経』に穩彰顕密(十九願と十八願)があるように、ここでも真仮が交錯すると捉えられている。聖人、独自の発揮である。ただし、今は、煩雑になるので詳細には触れない。『二巻鈔』(『愚禿鈔』)の文をあげるに留めておく。

「「文の意を案ずるに、深信について七深信あり、六決定あり。七深信とは、
 第一の深信は「決定して自身を深信する」と、すなはちこれ自利の信心なり。
 第二の深信は「決定して乗彼願力を深信する」と、すなはちこれ利他の信海なり。
 第三には「決定して『観経』を深信す」と。
 第四には「決定して『弥陀経』を深信す」と。
 第五には「唯仏語を信じ決定して行による」と。
 第六には「この『経』(観経)によりて深信す」と。     
 第七には「また深心の深信は決定して自心を建立せよ」となり。」

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