映画『東京裁判』
これはなかなかすごい映画だった。
http://www.tokyosaiban2019.com/
10分の休憩を含めて、上映時間は4時間50分に及んだ。別に長さではない。その内容である。4時間40分ほどの映画は、古い記録映像を繋いだけの映画なのに、(特に後半は)あきることもなく観ることができた。2年6ケ月に及ぶ裁判の過程は、約170時間の記録映像と全10巻の速記録に収められいる。そこに近代の日本の影響のあった事件や戦争の映像と共に、たった4時間40分の時間に収めるという気の遠くなるような作業の末、とても濃厚なものとなっている。
ただ歴史のお勉強的な映像が続いたり、色濃く映像作家の意見や解釈が映し出されてはいる。また個人的には、昔、好きだったNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』(原作 「二つの祖国」)での、日系二世のアメリカ人通訳からみた東京裁判の印象が思い出される場面が多く、面白かった。が、それ以上に、再現映像にはない、臨場感が伝わってきたのである。
儀式である。政治ショーといってもいい。
A級戦犯が決められたプロセス、人数から、すでにシナリオがある。また、国際法に照らしても、果たして罪に問えるのかというそもそも論でも不可解である。特に、平和に対する戦争犯罪という訴状なら、同じように戦勝国のアメリカの行った、多数の民間人を焼き殺した大空襲も、沖縄の地上戦も、そして2度に渡る原爆投下も、平和に対する残忍な戦争犯罪ではないかという、米国の弁護士の主張にもある。そして、天皇の戦争責任にしても、アメリカの政治的思惑と、その意向をうけた首席検事と、被告中、首謀者とされた東條秀樹とが、敵味方(検事と被告)であるのにも関わらず、天皇を訴追を回避する一点では協力し合うという奇妙な裁判でもある。
ただ儀式的だとしても、また形式的で、結論ありきの裁判だとしても、ここまでしっかりした審査(2年6ケ月に及ぶ)がなされていたことには驚いた。
特に、敵国である日本人を弁護するために本気になって闘ったアメリカ人の弁護士がおり、法の正義に則って公平な判決を行うとした判事の存在もあっことが分かる。11ケ国の判事にしても、天皇の訴追にこだわり続けたオーストラリアのウェブ裁判長(アメリカから政治的圧力も加わる)、極刑を主張するフィリピンの判事、全員無罪の少数意見で有名なインドのパル判事(しかも膨大な量の)などの少数意見のあったことも、あわせて記録されている。
結局、十二年戦争に向かうまでのプロセスも、太平洋戦争の開戦も、ほとんどが十分なシナオリ(検察の訴状は、被告が共謀して行った戦争犯罪だと主張するが)も、しっかりしたビジョンや構想もないまま、ほとんどが行き当たりばったりの辻褄合わせので、ズルズルと進んでいたことがよく分かる。さらには、天皇、上官への忖度の賜物であったことが、その証言でも明らかになる。誰も責任をとらない、いや誰も責任とれない。それでいて、日本を滅亡へと道に邁進するという恐ろしさを感じた。
ある意味、これは昭和から平成、そして令和になって、日本の現状そのものではないか。図らずも、近・現代の「日本人とはなにか」を教えられる気がしたのである。
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