広島真宗カウンセリングWS(1)「起承転結」
週末の2日間の高山法座を終えて、京都で途中下車して、広島に向かう。3日間の真宗カウンセリング主催の、第12回広島カウンセリングワークショップである。昨年は、広島も甚大な被害が出た西日本豪雨の直後で、中止となったので2年ぶりである。
広島以外にも、大分、京都、奈良、三重、そして名古屋と、遠近各地からの老若男女が集った。初めての方もあれば、ここの常連も多い。華光の方に、信楽先生の門下組、浄土真宗の僧侶の方に、真宗は門外漢でカウンセリングの超ベテラン組など、多種多様の方が集った。
今回のワークショップを、まるで「シナリオのないお芝居を見ているようだ」と評した人があった。しかし、単なる観客、傍観者では終わらない。観客からその舞台に上がる役者になり、時には、その主役となって活躍する人もあれば、一方で、主役だった人が、次の幕では観客的に関わる場面もあったようである。つまりは、世話人も含めた参加者全員での共同作業の賜物だといってもいい。
しかも、そのシナオリは、初日には「起」、2日目は「承」、そして3日目の朝には「転」という流れになり、そして3日目の昼は「結」という、起承転結のシナリオが書かれていたかのようだった。
もちろん、最後の「結」は結末ではなく、次へを起こす「起」といっていい。それは次回への課題といってもいいだろう。
真宗カウンセリングワークショップと題している割に、各自が、自らの領解や信仰の悩みや不審をを語り合い、聞き会うというところが出るのは、時間が足らなかった。もちろん、話題として「真宗」や「念仏」の事柄が出るから、真宗カウンセリングではないのである。さまざまな人達が集う場において、自らを開き、率直に、領解や信仰の悩みや不審をを語り合い、立場を超えて聞き会う。普段の法座とは違った、この場ならではの形ができたのかもしれない。関係性が生まれているからこそ、心開いて聞きあい、語り合う関係だけに満足せずに、もう一歩、踏み込んだご聴聞の場となっていくことを念願している。
その意味では、毎回毎回が新たな出会いであり「起承転結」がおこるのだろうが、長い目でみるならば、グループ自体が継続されるプロセスにおいても「起承転結」があるのかもしれない。第12回は、どんな集りたったのだろうか。
| 固定リンク
「カウンセリング・DPA」カテゴリの記事
- 「必要・十分条件」省略されている重要なこと(3)(2022.05.31)
- 「必要・十分条件」省略されている重要なこと(2)(2022.05.31)
- 『必要・十分条件』省略されている重要なこと(1)(2022.05.31)
- 4月下旬の法座のまとめ(1)(2022.04.20)
- 2月の月利会~共感的理解~(2022.02.16)