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南無阿弥陀仏が響く東京法座

  お盆明けの週末の東京支部法座。

 お盆は終わったが、『仏説阿弥陀経』をお勤めして、初日は、講習会並に、そのお心をお取り次ぎした。

 前半は、序分のおこころ、極楽と阿弥陀様のありさま。そして、二〇願の念仏と他力念仏、さらに臨終来迎と平生業成の浄土真宗の真骨頂を、特に,悩出血で、高次機能性障害になられたFさんのお姿を通して、味わわせてもらった。

 後半のメーンは、六方段である。諸仏の護念と證誠の一段である。中でも、無数の諸仏方が大千世界を覆うほどの舌を出して、阿弥陀経とその念仏往生をほめる(延いては、阿弥陀様を褒めたたえられる)一段を、大智度論にある、釈尊が面を覆うほどの舌を出して證明さる逸話を合せて、お聞きいただいた。親鸞様は、この諸仏の證誠こそ真実と見ておられるのでに、私たちは、自分の小さな計らいや感覚、理解をたよにりに、お聖教や法話を聞いているのであるから、もう到底、物差しが違うのである。

 翌日の朝は、自己の機の真実を、「唯信抄文意」の「不得外現賢善精進之相」のご解釈のご文を、かなり丁寧に頂いた。本来なら、自己の不実、虚仮性を聞ければ聞くほど、落ちこんだり、嫌悪するとはずなのだか、法の真実の前では、それが懺悔と共に、喜びとなるから不思議を味わう。

 午後からは、六名グループに分かれて、朝のご文を、グループ毎に味わった。これがすこぶる活発で、かつ有意義だった。もしそのグループに先生がいると、どこかで頼っていく。その答えを聞いて「正解」として「よし」で終わってしまう。しかし、誰もが対等に、かつ率直に語り合ってこそ、うわべではない自己が顕れてくるチャンスでもある。他にも、「4つの深刻な悩みを提示して、どれがいちばん深刻化か」を議論しあい、最後は、「南無阿弥陀仏の讃嘆をしましょう。それも積極的に、たくさんしましょう」と結んだ。諸仏の讃嘆である。

 そして、最後は全体会で締めくくったが、この全体会が尊かった。法の真実と證誠の真実を聞き、機の真実を聞き、そして少人数で、自分を開いて心を述べた後だったでの、率直に、自分のところを述べてくださる方があったのだ。詳しくは述べられないが、ご法の勧めに、なぜかムカムカと反発する自分を通して、ほんとうの自分、さらにそこにかけられた阿弥陀様の願いに出会っていかれたのである。まったくこちらのお声がけも、その声に応え一歩でる姿も、自然そのもので、どこにも無理がなかった。そこまでにいたる法の流れが出来ていたのであろう。最後は、一同の高声念仏で締めくくることができた。どんな有り難い話でも、また機の深刻な話でも、もしお念仏に帰ることがないようなら、こんな空しいことはない。最後は、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の響きだけが轟いた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 尊いご法座でした。

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 ≪法座も篤かったが、東京も暑かった。その東京の空≫
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≪昼休みに付近を散策。緑がきれいです≫

 

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