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業火に飛び込まれる

 高山~広島と5日間の法座とカウンセリング研修会を乗り切ったが、今日は午前中、お盆のかわりの年忌のお勤めがある。

 宇治の炭山まで、車を走らせる。例によって、六地蔵にある京都アニメーションのビルの横を通った。お盆の時は、たくさんの方が献花に訪れていた献花台は、事件の1ケ月を目処に撤去されていた。それでもこの地を訪れる方は多いようで、ビルに向かって手を合わせている人がいるのである。

 ご法話では、身近な話題なのでこの事件に触れた。先日、被害者の実名がすべて公表されたばかりで 改めて多くの若い才能が無残にも殺害されていることを、突き付けてられた。

 事件の数日後だったが、消火・救助活動にあたった京都市消防局の指揮隊長などの現場の責任者が、経験したことのない悲惨な状況であったこと、そしてあまりに火の勢いが強く、思うような消火活動、救助活動が出来なかった無念さ、無力さを、嗚咽しなから語っておられたことが、強く心に残っていた。火の中に飛び込み、一人でも助けたいという強い熱意と、しかし実際はあまりの火災にかなわなかった無念さからは、慈悲の尊さと同時に、人間の限界を教えられた気がした。

 そして、この世の火ではない。この火宅無常の世界で、しかも私の造った業火の中に、いのちを捨てて飛び込んでくださってる阿弥陀様の執念の深さ、恐ろしさも味わわせていただいた。南無阿弥陀仏

 

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