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2019年8月の21件の記事

映画『東京裁判』

 これはなかなかすごい映画だった。

http://www.tokyosaiban2019.com/

  10分の休憩を含めて、上映時間は4時間50分に及んだ。別に長さではない。その内容である。4時間40分ほどの映画は、古い記録映像を繋いだけの映画なのに、(特に後半は)あきることもなく観ることができた。2年6ケ月に及ぶ裁判の過程は、約170時間の記録映像と全10巻の速記録に収められいる。そこに近代の日本の影響のあった事件や戦争の映像と共に、たった4時間40分の時間に収めるという気の遠くなるような作業の末、とても濃厚なものとなっている。
 ただ歴史のお勉強的な映像が続いたり、色濃く映像作家の意見や解釈が映し出されてはいる。また個人的には、昔、好きだったNHKの大河ドラマ『山河燃ゆ』(原作 「二つの祖国」)での、日系二世のアメリカ人通訳からみた東京裁判の印象が思い出される場面が多く、面白かった。が、それ以上に、再現映像にはない、臨場感が伝わってきたのである。

  儀式である。政治ショーといってもいい。
 A級戦犯が決められたプロセス、人数から、すでにシナリオがある。また、国際法に照らしても、果たして罪に問えるのかというそもそも論でも不可解である。特に、平和に対する戦争犯罪という訴状なら、同じように戦勝国のアメリカの行った、多数の民間人を焼き殺した大空襲も、沖縄の地上戦も、そして2度に渡る原爆投下も、平和に対する残忍な戦争犯罪ではないかという、米国の弁護士の主張にもある。そして、天皇の戦争責任にしても、アメリカの政治的思惑と、その意向をうけた首席検事と、被告中、首謀者とされた東條秀樹とが、敵味方(検事と被告)であるのにも関わらず、天皇を訴追を回避する一点では協力し合うという奇妙な裁判でもある。

 ただ儀式的だとしても、また形式的で、結論ありきの裁判だとしても、ここまでしっかりした審査(2年6ケ月に及ぶ)がなされていたことには驚いた。
 特に、敵国である日本人を弁護するために本気になって闘ったアメリカ人の弁護士がおり、法の正義に則って公平な判決を行うとした判事の存在もあっことが分かる。11ケ国の判事にしても、天皇の訴追にこだわり続けたオーストラリアのウェブ裁判長(アメリカから政治的圧力も加わる)、極刑を主張するフィリピンの判事、全員無罪の少数意見で有名なインドのパル判事(しかも膨大な量の)などの少数意見のあったことも、あわせて記録されている。

 結局、十二年戦争に向かうまでのプロセスも、太平洋戦争の開戦も、ほとんどが十分なシナオリ(検察の訴状は、被告が共謀して行った戦争犯罪だと主張するが)も、しっかりしたビジョンや構想もないまま、ほとんどが行き当たりばったりの辻褄合わせので、ズルズルと進んでいたことがよく分かる。さらには、天皇、上官への忖度の賜物であったことが、その証言でも明らかになる。誰も責任をとらない、いや誰も責任とれない。それでいて、日本を滅亡へと道に邁進するという恐ろしさを感じた。
 ある意味、これは昭和から平成、そして令和になって、日本の現状そのものではないか。図らずも、近・現代の「日本人とはなにか」を教えられる気がしたのである。

 

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業火に飛び込まれる

 高山~広島と5日間の法座とカウンセリング研修会を乗り切ったが、今日は午前中、お盆のかわりの年忌のお勤めがある。

 宇治の炭山まで、車を走らせる。例によって、六地蔵にある京都アニメーションのビルの横を通った。お盆の時は、たくさんの方が献花に訪れていた献花台は、事件の1ケ月を目処に撤去されていた。それでもこの地を訪れる方は多いようで、ビルに向かって手を合わせている人がいるのである。

 ご法話では、身近な話題なのでこの事件に触れた。先日、被害者の実名がすべて公表されたばかりで 改めて多くの若い才能が無残にも殺害されていることを、突き付けてられた。

 事件の数日後だったが、消火・救助活動にあたった京都市消防局の指揮隊長などの現場の責任者が、経験したことのない悲惨な状況であったこと、そしてあまりに火の勢いが強く、思うような消火活動、救助活動が出来なかった無念さ、無力さを、嗚咽しなから語っておられたことが、強く心に残っていた。火の中に飛び込み、一人でも助けたいという強い熱意と、しかし実際はあまりの火災にかなわなかった無念さからは、慈悲の尊さと同時に、人間の限界を教えられた気がした。

 そして、この世の火ではない。この火宅無常の世界で、しかも私の造った業火の中に、いのちを捨てて飛び込んでくださってる阿弥陀様の執念の深さ、恐ろしさも味わわせていただいた。南無阿弥陀仏

 

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広島真宗カウンセリングWS(3)「余韻」

 広島での3日間のワークショップが終わった。
 S先生と新幹線をご一緒して、京都に着いた。それから、京都に来ていた姉と一緒Img_3362に、東本願寺の前で食事を楽しんだ。あれだけ、からだを動かすことなく飲み食いをして、満腹感に浸りながらも、また御馳走を前に、しっかり食べ、しっかり飲んだ。浅ましいといしかいいようがない。

 結局、この3日間は、食べて、座って、心を動かし、食べて、座って、心を動かし、温泉入って、飲んで、そして寝る。また起きて、すぐまた食べて、座って、心を動かし、また食べて、座って、心を動かし、また食べて、座って、心を動かし、入浴して、飲んで、そして寝る。また起きたらすぐ食べて、座って、心動かし、また食べて、座って、心を動かして、あっという間に過ぎていったのである。

 いつもなら散歩したり、泳いだりすることもある。しかし、雨が降っていたので一度も散歩にもいかず、水着も忘れて泳ぐこともできなかった。だから、食べて、座って、飲んで、寝るを繰り返していた。

 でも、不思議と一人ではなかったという思いが強い。ご縁が整い、3日間、同じ空間に17名の老若男女と共に座らせてもらった。そんなご因縁のなかでのワークショップは、やはり尊かった。

 夜、一人になったら、余計に、心は激しく動いていた。布団に入っても、またあれこれと心は働き続け、いろいろな思いが去来してくる。疲れているはずなのに、興奮状態なのか、熟睡できないまま、何度も目が覚めては、なかなか寝つけかれない。この3日間で、明かに心が解き放たれているのが、よく味わえる。日頃、自由でありながら、いかに不自由に生きていたかが分かった。

 もう一度、基礎からカウンセリングを学びたいと思った。来年は、法座を一つ休んで、3泊4日カウンセリングワークショップに参加したい。

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広島真宗カウンセリングWS(2)「ワークショップ」

 M先生より、ワークショップ=WSとは、「仕事場・作業場」の意味だが、カウンセリグでのWSとは、心を働かせる場だという聞いたことがある。

 セッシッンの度に、「いまの時間は、Aさんのワークでしたね」というシーンがよくある。確かに、Aさんの独壇場で、Aさんを中心にみんなが関わり、Aさんのワークだったようには見える。しかし、その場に共に一緒をいるものも、その過程を共にすごし、沈黙している人も含めて、実は、心の中では、激しくワークをしていたのではないか。事実、ぼくの中では「あーでもない、こーでもない」と動き続きけていた。それは肯定的なものもあったし、否定的なものも動いた。感情にしても、喜怒哀楽さまざまになものが複雑に流れては動いていた。その証拠に、もうその場面が終わっているのに、その場にいた人の心の中では、その時のワークを引きずっている。そして、後々になっても、その場面をふり返って、「ああだ、こうだ」と口に出していたのである。Aさんのワークだったのではない。実は、Aさんを手がかりにしながら、その場にいたみんなが、その内部において激しくワークをさせてもらっていたのではないか。さらに、もしも、その自らの内部で、今、沸き起こっている体験過程に触れながら、よりそこに近いところを、各自が言葉にし合うことができるならば、ほんとうの意味でのワークショップになっていくのだろう。

 そこが、まさしくカウンセリグワークショップの醍醐味なのである。

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広島真宗カウンセリングWS(1)「起承転結」

 週末の2日間の高山法座を終えて、京都で途中下車して、広島に向かう。3日間の真宗カウンセリング主催の、第12回広島カウンセリングワークショップである。昨年は、広島も甚大な被害が出た西日本豪雨の直後で、中止となったので2年ぶりである。

 広島以外にも、大分、京都、奈良、三重、そして名古屋と、遠近各地からの老若男女が集った。初めての方もあれば、ここの常連も多い。華光の方に、信楽先生の門下組、浄土真宗の僧侶の方に、真宗は門外漢でカウンセリングの超ベテラン組など、多種多様の方が集った。

 今回のワークショップを、まるで「シナリオのないお芝居を見ているようだ」と評した人があった。しかし、単なる観客、傍観者では終わらない。観客からその舞台に上がる役者になり、時には、その主役となって活躍する人もあれば、一方で、主役だった人が、次の幕では観客的に関わる場面もあったようである。つまりは、世話人も含めた参加者全員での共同作業の賜物だといってもいい。

 しかも、そのシナオリは、初日には「起」、2日目は「承」、そして3日目の朝には「転」という流れになり、そして3日目の昼は「結」という、起承転結のシナリオが書かれていたかのようだった。

 もちろん、最後の「結」は結末ではなく、次へを起こす「起」といっていい。それは次回への課題といってもいいだろう。

 真宗カウンセリングワークショップと題している割に、各自が、自らの領解や信仰の悩みや不審をを語り合い、聞き会うというところが出るのは、時間が足らなかった。もちろん、話題として「真宗」や「念仏」の事柄が出るから、真宗カウンセリングではないのである。さまざまな人達が集う場において、自らを開き、率直に、領解や信仰の悩みや不審をを語り合い、立場を超えて聞き会う。普段の法座とは違った、この場ならではの形ができたのかもしれない。関係性が生まれているからこそ、心開いて聞きあい、語り合う関係だけに満足せずに、もう一歩、踏み込んだご聴聞の場となっていくことを念願している。

 その意味では、毎回毎回が新たな出会いであり「起承転結」がおこるのだろうが、長い目でみるならば、グループ自体が継続されるプロセスにおいても「起承転結」があるのかもしれない。第12回は、どんな集りたったのだろうか。

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高山法座~お念仏の声は響いたか~

Img_3341  週末は高山支部法座である。今回は、F家での家庭法座である。

 高山線での落石事故の影響(途中、落石の岩が処理中だったのが見えた)で到着が遅れたが、『阿弥陀経』の勤行を頼んでいたので、勤行の最中に到着することができた。

Img_3342  『阿弥陀経』を3座でお取り次ぎした。初日の夜座は、「序分」(六事成就と有名な声聞方のエピソード)に、極楽や阿弥陀様の荘厳(ありさま)について。2日目の朝は、その極楽浄土に生まれるための念仏往生の道と、難信の法について、最後は、今回のメーンである六方段で、諸仏の證誠護念について、特に、「広長舌Img_3345 相」の種々のエピソードを中心にした。ただ、高山支部なので、あまり講義というか、勉強臭い話は控えめにして、身近な話題やエピソードを交えた。次号の華光誌の誌上感話にもあるが、高次機能性障害になられたFさんの姿を通して、人間の虚仮の姿、そして平成業成の素晴らしい教え、さらには、「今現在説法」の、今轟いている阿弥陀様の雄叫びと、十方に響く諸仏方の證誠の無量の声に触れさせてもらったら、自ずと最後には力が入った法話になったと思う。ただし、聴衆の反応とは、少し距離があったのは、残念ではあった。南無阿弥陀仏の声が響かなければ、どんないい話も、自己満足の空しいもので終わってしまうのである。

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大がかりな通路工事

Img_3329  今週は、工事続きでの週でもあった。
 
 月曜日にはエレベーターの工事があり、Img_3334 月~木曜日の4日間、外壁や看板の工事関係者が、入れ代わり下見をされて、落ち着かなかった。

 そして今日は、会館の横の通路の修復工事である。

 Img_3335  隣のビルの塀が工事された関係で、その部分のアスファルトが陥没するのてある。一度、応急処置で埋めてもらったが、別の箇所が陥没して、そImg_3338 の穴が拡がっていく。隣の会社は、本社が大阪にあり、その担当者と協議した結果、先方の費用で、抜本的な工事をしていただくことになった。すべてのアスファルトを剥がし、コンクリートで固め、そしてアスファルトで舗装するというものである。
 ここは華光会館の所有地であるのて、今後起こるトラベルは、会館の方で対処するという覚書をかわした。

 この通路にも足場が組まれることになる。それまでに工事をお願いしていたのだ。

 朝から、トラックが6台に、小型ユンボまで来て、思った以上に大がかりな工事であった。アスファルトを剥がすので、騒音も振動も激しかった。何よりも、ぼくの仕事部屋の前なので、耳栓をしながら華光誌の編集作業を行った。

 おかげて、きれいになりました。ありがとうございました。

 

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盛り上がった「華光誌輪読法座」

 先の大遠忌での「これからの求道と伝道を考える」と題した企画で、二人目の孤杉師のご講演部分である。

 その前半部分だっだが、文句なく、お育ての尊さを感じた。母親の常の念仏、そして母親の若い日の信仰体験談の強烈な記憶。強いお勧めがなくても、日頃の念仏と、体験談の尊さが薫習されて、若き日の悩みに直面した時、浄土真宗にその解決を求めていかれる。お東の僧侶もあるので、東の有名な先生の勉強会や研修会に何年も通い続けられるが、その中で、学問や理屈、個人の信念ではなく、母が称えていたお念仏に、どんどん傾斜していくさまが有り難かった。理屈を超えて、阿弥陀様に出会ったという母親の姿こそが、尊い仏縁へに繋がっていくのである。

 今回の輪読法座は、ガンで苦しんでおられるMさん夫妻が揃って参加された。ほんとうに重病なのかというほど、元気に、饒舌に語ってくださった。Mさんの言葉が、とても痛快で面白く、かつ有り難かった。いくら無常と聞いていても、また分かっていたつもりで、また「いつ死んでもいい」と豪語していても、いざとなると、死にたくないの執着があらわれる。体調が不良の時には、お念仏も出て来ない。ほんとうに何ひとつ私にはあてになるものはない。見事に崩れさる中で、一方的に届けられる南無阿弥陀仏のまことが立ち上がってくるのである。南無阿弥陀仏

 個人的には、最後にMさんから出た「コウケントー」(K先生は「ケコウトウ」と呼んでいたそうだが)の話題がでたが、悟朗先生の薫陶を受けた人達の間で、盛り上がりに盛り上がったくだりが、いちばん面白がった。華光の20年以上のベテラン選手か、子供大会出身者しかしならい、秘密の法ですからね。このブログでも初登場の話題か。

 

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涙の中止決定

 聞法旅行の〆切日である。
 まだ定員を大幅に下回っている。最低企画人数の半分にも満たない。どうしようかと悩みに悩んだ一週間。
 結局、中止にすることにした。いい企画だったので、とても残念だか、お誘い不足を痛感した。

 聞法旅行は、仏の子供大会と共に、父が心血を濯いだ行事である。企画だけでなく、事前の下見の旅行まで行って、決めていた。役割も分担しあった。華光会館を離れて、先生と同行が一緒にお念仏の旅にでる。しかも単なる物見遊山ではなく、聖人や先達の御旧跡の地でご苦労を偲んだ。宿舎では法座だけでなく、宴会も盛り上がった。昔は、大盛況だった旅行も、近年は人集めが難しくなっているのである。

 それでも、1泊2日で行った一昨年の京都のご旧跡巡拝、昨年の「仏敵」は、40名以上の参加があった。それで、今年は2泊3日に戻した。しかし、惨敗である。3日間の貸し切りバス代、添乗員費用を考えて、多少の赤字開催も覚悟を決めていたが、この人数では難しい。

 敗因はいろいろある。2泊3日になり、連休中で、ホテルの費用がかさみ、料金が高かったこと。
 来年のインド旅行を考えている方もあること。
 そして、今は、需要が少なくなったことである。華光会館での宿泊も減少するように、一緒に寝食を共にするのが流行らなくなている。中には、法話だけ聞けたらそれでいいという、効率的な聞法を重視する人も増えている。これではつまならいなー。

 来年は、一泊二日でもいいので、ぜひ、来年は四国の法然聖人の流罪と、庄松同行の地に行きたいと思っている。早くから告知していきたい。

 ただ中止を決定を機に、その間の法座を構想も練っている。本当は、司会者研修会をやりたいのだが、ただ華光会館が工事中で、エアコンが使用できないので、会館使用が難しいだろう。
 それなら、昔からやってきた、臨地法座というかたちで、比叡山をゆっくり回るのはどうかとかも考えている。しかし、新企画をするにしても、今、ぼくに余裕がない。工事関係の打ち合わせ、華光誌の編集、そして、土曜日からは、高山法座(2日間)~広島カウンセリング(3日間)~法事法座と、6日連続で行事か詰まっている。でも開いた日程がでると勿体ないと思ってしまう。相変わらずの貧乏症が顔を出しているのである。

 

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エレベーター工事に、打ち合わせ

 朝から、エレベーター工事がある。エレベーターの状態、費用などを考慮して、当初の予定の新機種の導入ではなく、大幅な部品交換で対応することになる。それでも、新車が買えるほどの費用がかかる。3人がかりで、丸1日で工事は完了た。

 午後からは、9月から始まる外壁工事に向けて、業者と一緒に近隣挨拶に回る。内装の時は、特に挨拶はしなかった。ただ、今回は、会館の通路に足場を組むので、その間、通行止めになり、屋上工事では、騒音も発生するからだ。会館の通路に隣接する15軒と町内会長、そして両隣の会社を回るが、お留守のお宅もあって、夜に、もう一度、ひとりで回った。それでも留守のところは、明日に持ち越しとなる。

 他にも、看板業者、清掃業者、そしてエアコン関係と、業者が下見に来る。エアコンが、2、3階のみだが、9月二週目から使用ができない。まだ残暑が厳しいが、これからどうするのか。彼岸を過ぎれば大丈夫だと思うが、その間、扇風機で乗り切れるしかない。念のため、会館のご法座は、9月末まで避けておいた。

 今週は、この後も、連日、業者との打ち合わせが続く。第2期工事がいよいよ近づいている。

 

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南無阿弥陀仏が響く東京法座

  お盆明けの週末の東京支部法座。

 お盆は終わったが、『仏説阿弥陀経』をお勤めして、初日は、講習会並に、そのお心をお取り次ぎした。

 前半は、序分のおこころ、極楽と阿弥陀様のありさま。そして、二〇願の念仏と他力念仏、さらに臨終来迎と平生業成の浄土真宗の真骨頂を、特に,悩出血で、高次機能性障害になられたFさんのお姿を通して、味わわせてもらった。

 後半のメーンは、六方段である。諸仏の護念と證誠の一段である。中でも、無数の諸仏方が大千世界を覆うほどの舌を出して、阿弥陀経とその念仏往生をほめる(延いては、阿弥陀様を褒めたたえられる)一段を、大智度論にある、釈尊が面を覆うほどの舌を出して證明さる逸話を合せて、お聞きいただいた。親鸞様は、この諸仏の證誠こそ真実と見ておられるのでに、私たちは、自分の小さな計らいや感覚、理解をたよにりに、お聖教や法話を聞いているのであるから、もう到底、物差しが違うのである。

 翌日の朝は、自己の機の真実を、「唯信抄文意」の「不得外現賢善精進之相」のご解釈のご文を、かなり丁寧に頂いた。本来なら、自己の不実、虚仮性を聞ければ聞くほど、落ちこんだり、嫌悪するとはずなのだか、法の真実の前では、それが懺悔と共に、喜びとなるから不思議を味わう。

 午後からは、六名グループに分かれて、朝のご文を、グループ毎に味わった。これがすこぶる活発で、かつ有意義だった。もしそのグループに先生がいると、どこかで頼っていく。その答えを聞いて「正解」として「よし」で終わってしまう。しかし、誰もが対等に、かつ率直に語り合ってこそ、うわべではない自己が顕れてくるチャンスでもある。他にも、「4つの深刻な悩みを提示して、どれがいちばん深刻化か」を議論しあい、最後は、「南無阿弥陀仏の讃嘆をしましょう。それも積極的に、たくさんしましょう」と結んだ。諸仏の讃嘆である。

 そして、最後は全体会で締めくくったが、この全体会が尊かった。法の真実と證誠の真実を聞き、機の真実を聞き、そして少人数で、自分を開いて心を述べた後だったでの、率直に、自分のところを述べてくださる方があったのだ。詳しくは述べられないが、ご法の勧めに、なぜかムカムカと反発する自分を通して、ほんとうの自分、さらにそこにかけられた阿弥陀様の願いに出会っていかれたのである。まったくこちらのお声がけも、その声に応え一歩でる姿も、自然そのもので、どこにも無理がなかった。そこまでにいたる法の流れが出来ていたのであろう。最後は、一同の高声念仏で締めくくることができた。どんな有り難い話でも、また機の深刻な話でも、もしお念仏に帰ることがないようなら、こんな空しいことはない。最後は、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の響きだけが轟いた。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 尊いご法座でした。

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 ≪法座も篤かったが、東京も暑かった。その東京の空≫
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≪昼休みに付近を散策。緑がきれいです≫

 

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大文字

 遅めの夕食の準備を手を留めて、屋上に大文字を見に行く。如意ヶ岳の大文字は見えなくなったので、8時20分ころに上がるとちっうどいい。会館から見えるのは、「左大文字」と「鳥居型」だけになってる。それもだんだんと一部がかけ無常を感じさせれらる。今年は、なんとか昨年並の見え方である。ボツンと小さく見えるだけだ。台風の心配はなかったが、時より強い夜風が吹いて、心地よい。雲間に見える濃い黄色味を帯びた月にも、なんなとく風情を感じた。

 屋上から、3階の母を覗く。母は、テレビでの大文字の中継を見ていた。

 テレビ画面いっぱいに、五山の送り火が映っている。こちらは、クッキリ、ハッキリ、大きく見える。思わず、顔を見合わせて笑ったが、ぼくもしばらくテレビ中継を見た。でも、やはり違いはある。いくらはっきり見えてもな~ この差は何のでしょうかね。

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ホワイトボード

    超大型台風が、お盆の帰省ラッシッを直撃した。幸い、被害は大きくならなったが、夕方の納入予定だった「ホワイトボード」が、繰り上がって届いた。夕方から風雨が強くなるという予報で、業者の方も急いでいた。20分ほどで組み立て設置が終わる。

 2階道場のホワイトボードが新しくなったのだ。かっこいい!

Img_3312  いまあるものは、M先生のご結婚を記念してご喜捨いただいたものである。おかげでたいへん重宝してきたが、かなり年月も過ぎて、足元のコロコロが回らなくなり、回転させるストッバーも壊れて、いまでは新聞紙で留めている。一人では、黒板の回転も、移動(畳を気付けるので、二人で運ぶ)もできないありさまで、主たる場所にしては、ちょっと哀れになっている。

 壮年の集いの時、そんな事情を説明して、「どなたか、新しい黒板をご喜捨くださいませんか」とお願いした。

 何事もお願いをしてみるのもである。 

 すぐに、Kさんが手を挙げてくださった。理由は、「壮年」卒業記念というのである。ありがとうございます。
 その時、「他にも申し出があったでしょう」と言われた。が、残念ながらそんな奇特な方は、Kさん以外にはおられない。Kさんにすれば、同じように名乗りを上げた方が、複数あると思っておられたようだ。しかし、そんなお願いがあったことすら、大半の方は覚えておられないようだ。皆さん、都合の悪そうなことは、人事とするとか、聞き流すという、すばしらい能力を身についておられるのである。

 おかげで、よいものが入りました。真ん中で、ワンタッチで回転もできる。移動も軽々で、これなら畳も傷つけないのである。

 法座での初お目見えは、9月1日の聖典講座の時ですね。お楽しみに!

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M家お盆法座

  M家のお盆を兼ねた京都支部法座。今年は、都合で華光会館を会場に開かれ、M夫妻も元気にお参りくださった。京都や大阪に加えて、広島、日高からの参詣者、初めての方、久しぶりの方と、賑やかな顔ぶれだ。

 勤行は、表白、『仏説阿弥陀経』、和讃2首と、最後の回向文は「其仏本願力 聞名欲往生」の東方偈のご文。これは、法然聖人の『和語燈』(三部経釋)にもある、別名「破地獄の文」と言われる。もちろん、浄土真宗においても、十八願文そのものであり、また17・18・11願のお心としもいただける重要なご文である。

 ご法話は、二席で二つのテーマを考えていたが、都合で前席に予定した「お盆」についてのみで終わった。案外、皆さん、お盆のことについてご存じなかったからである。

 盂蘭盆の語源や目連尊者とお母様のお盆のエピソード、そして、一般の先祖供養としてのお盆のあり方と、浄土真宗の立場などを皆さんと考え、最後に、一般的な三世、仏教の三世観の違いについてで結んだ。(参照『子供の聖典』57頁)つまり゛

 一般的な三世では、過去「先祖」→現在「自分」→未来「自分」
 仏教では、過去世の「自分」→現世の「自分」→未来世の「自分」
 として、あくまで自分の問題として、三世因果を捉えていく。もちろん、親がいなければ、今の自分がないように、先祖もまた親の延長として、なくてはならない存在だが、決して、先祖が仏でも、また前世の姿でもない。あくまでも、自己一人のところで、後生の一大事を心にかけて聴聞する。後生の解決をさせてもらうのが、浄土真宗の要であることをお話しして、締めくくりとした。

 ぼくたちば、当たり前だが、なかなか世間一般には、ご理解いただけないところでもある。

 

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今日のお盆参り

Img_3304  去年の夏も猛烈に暑かったが、今年もまた猛烈に暑い。京都は、4日連続で38度を超えで、今日は39度の予報。夏は,暑いのが当たり前だが、最近は、体温越え(37度以上)が常態化している。このままでは40度超えが、当たり前の夏もImg_3306 近いのはないか。
 それでも、お参りの時は、気分は違うのが不思議だ。仏間にクーラーのないお家もあるが、勤行中、背筋を伸ばし声を出していると、不思議と暑さより、身が引き締まってくる。

 昨日は京都南部だが、今日の午前中は、北部へ。鴨川を上がり、鞍馬街道を市原まで進む。山や川Img_3301 を囲まれているので、 ここまでくると、若干涼しい。

 ここのお家は熱心だ。小学生のお子さんに赤ちゃんまで、一緒に、勤行から法話までしっかり聞い てくれた。その後も、仏法の質問がされて、時間が許せまでいろいろと話せて楽しかった。今年の福島の子供たちへの支援活動の様子も、興味深い。何よりも、大きな声で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏してくださることが、有り難い。調声のぼくが合掌礼拝を終えても、まだお念仏されている。それを見習って、子供たちも称名念仏をされる。同人の方はともりく、普通は、勤行で声を出してくださっても、称名念仏になると声が小さくなるものだ。なんとか次のご縁に繋げたい。

 午後はF家へ。こちらは華光同人のご家庭なので、気分は楽である。ご法話は、阿弥陀経の六方段の諸仏方の広く長い舌を出して三千世界を覆って、念仏往生を證明する段を頂いた。法話の後に、子供大会のことなどの話題がでたが、中でも、子供時代のF君の父子の貴重なエピソードをたっぷりと聞かせていただいた。て、なかなか面白かった。

 お世話になり、ありがとうございました。

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お盆参り

   週末から、お盆まいりが始まる。

 初日は、伏見や宇治の方面に向かう。午前中の涼しいうちにと思っていたが、朝から猛烈な日差し。今日も猛暑日である。

 24号線を明治天皇御陵の道を抜けて、京阪六地蔵駅の前を通るいつものルートだ。

 しかし、今年は様子が違った。タクシー会社の駐車場の奥に、京都アニメーションの第一スタジオの黄色のビルが、真っ黒に焦げた姿で立っていた。いつも通るこの道で、このビルも見ていたはずだが、アニメスタジオとは知らなかった。それが、多くの犠牲者を生んだ悲惨で、理不尽な事件現場となったのだ。道路を挟んだ献花台のテントでは、猛暑の中、お参りの列が続いている。3週間以上たっても事件の爪痕は生々しく残り、前を通るだけでも胸が痛んだ。

 お参り先でもこの話題が出た。自宅から火災の様子を見ていた方もあり、その時の様子や、「一週間たってもまだ焦げ臭かったです」とか生々しな話とともに、「前を通る度に、思わず手を会わせます」など、皆さん、犠牲になった方を悼んでおられた。

 しかしである。あくまでも今生の話題であって、何も仏法のことで問われることもなく、こちらも「娑婆は無常の世界。私の身にもほんとうは何が起こるかわかりませんね」と話すぐらいで、ご法縁に結びつくことはなかった。

 身近な場所で起こった悲惨な事件でも、自分事にはならない。南無阿弥陀仏

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海水浴

Img_3290  2年ぶりに海に泳ぎにいく。福井県敦賀市の気比の松原の海水浴場。京都からわりと近くて、日本海なので水もきれいだ。

Img_3283  海水浴日和である。でも日差しは強い。痛くなったら困るので、日焼けには気をつけながら泳Img_3297 いだ。海は好きだが、それでいて海の恐さもどこかで感じている。足がつかないところでは、どことなく怖い。連れ合いは、泳ぐのが苦手なのImg_3285 か、浮輪が手放せない。平日、しかも午後からで、海は空いていてゆったりすることができた。

  ただ帰路は、琵琶湖の花火大会の影響で渋滞に巻き込まれた。しかし、花火は見ずに帰った。立ち寄った大型の海鮮市場で、サザエやカキ、ウニを買ったのだ。頂きものの日本酒で、いっぱいやろうという算段である。「いのち」をあるものを食らう殺生を、いちばんの楽しみにしている。真実の仏さまから見れば、まさに狂っている姿。南無阿弥陀仏 

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レトロ

Img_3234  勤行の後、家族と事務のIさんとで、会食をする。四条大橋のたもとに立つレトロな建物は、中華料理「東華菜館」。夏には、鴨川に納涼床でのビアガーディンもあるが、夕方でもまだ暑さが厳しいので、店内を選んだ。

Img_3238  老舗の北京料理を久しぶりに堪能する。あっさとした上品な味付けで、みんな満足した。

 ここのエレベーターは、会館と同じ、otisの製品。しかし、アメリカから直輸入されたもので、Img_3247 今なお現役はここだけだそうだで、現存する日本最古のエレベーター。

 初めてこのお店に入ったのは、大学院の時だった。学会の名簿作りを担当した慰労で、普賢晃寿先生に連れいてきてもらった。4~5名の少人数Img_3255 だったこと、そしてお酒の飲んでいた勢いもあっ て、  「華光についてどう思われますか?」と、単刀直入にお尋ねした。その時の好意的なお言葉は、Img_3257 いまもよく覚えている。いや、テープを回しておいたらよかったなー。

Img_3261  今日は、まだ時間が早かったので、近くでお茶を飲んでいくことにした。木屋町を下った喫茶フランソワ である。こちらも、京都を代表する老舗のカフェで、 このレトロの雰囲気はいまだに人気で、平日の夜なの に、客足が絶えることはなかった。

 このお店も、別の機会に普賢先生に連れてきてもらった。今日は、偶然、レトロな雰囲気のお店を利用したが、なぜか、2軒とも父ではなく、別の先生の思い出だったが、、。


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命日法要

 連日の猛暑。京都は38度を超える日も珍しくない。
 父が亡くなって丸4年。4年前も暑い夏だった。
「まだ4年か」なのか、「もう4年か」なのか。どちらかというと「まだ4年か」という思いが強い。もうかなり前のようにも思えてくるのだ。
 節目の年忌法要ではないので、特別なことはしなかった。夕方から、家族と事務所の皆さんで、命日の勤行をつとめた。
 夕方、陽がおちかけた時に、「ちょうどこのぐらいの時間だったなー」と母が言って、臨終の様子が話題になった。夕焼けが紫雲となってたなびいていた空が、忘れならない。
 しかし、命日だからといって、特別、改めて父のことを思い出ことはない。むしろ、日常や法座などのざまざまな場面や機会を通じて、ふっと思い出が甦り、懐かしく思うことが多いからだ。結局、ぼくにとって父は、特別な存在でありながら、むろし日常の身近な存在だということなのだろう。南無阿弥陀仏

 

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二重、三重の成長とお護り

 今年は、子供の参加者の割には、先生も少なめだった。
 ぼくも法話も担当し、初日の「室内オリンピック」もメーンで関わった。最終日は、スライドに、班活動と忙しかった。最後の班活動は、オリジナルで、自己紹介ならぬ、他己紹介。班ごとで、全員のインタピューをし、各自がレポーターになって、誰かを紹介するという内容。みんな楽しんで関わってくれた。小学生の低学年でも十分できたし、大人の皆さんは、いつも見ない顔を垣間見ることができて、なかなか面白かった。これはまた機会あれば、ぜひやってとみたい。

 先生方も、大活躍だった。先生方も女性が中心である。主に進行と活動は、大学生の二人と高校生の3名。彼女たちは、低学年から参加して班長を経験している「仏の子供大会」のベテラン組だ。

 進行や班活動もそうだが、室内ファイヤーは3名が中心である。
 それぞれの得意なことを事前にお願いしおいた。吹奏楽部の先生には、 ユーフォニウムの演奏をしてもらった。ダンスが得意な先生には、ダンス披露し、みんなで「パプリカ」を踊った。その前ふりで、「炭坑節」を教えてもらって、みんなで踊ったが、楽しかった。

 スタンツ(班対抗の寸劇)もよかった。短い時間で、テーマの感謝や、子供大会に関連するものを創ってくれた。大人は、仏典劇で、お釈迦様の「お涅槃」のところである。荒いシナリオだけをぼくが提供したが、M先生が深夜までかかって、オリジナル溢れる脚本を創ってくれた。M先生の釈尊は、晩年の老体を鞭打った進む姿は迫真の演技だった。その釈尊に、キノコ料理をだすチャンダもびったりの配役。最後にお釈迦様の言葉を聞く、阿難尊者を連れ合いが演じた。彼女の場合は、劇団員なので、これが本業。いつもはギャグに走りがちな大人のスタンツだが、今年は、至って真剣な仏典劇。見ていて込み上げてくるものがあった。しかも、仏典どおりではなく、浄土真宗の立場にたった釈尊の最後のお言葉は、まさに仏説そのもの。

 仏の子供大会の素晴らしさは、参加の子供たちにご法を伝えるだけでなく、それを育てる若い先生方の成長の場であり、同時に見守る親や祖父母世代の学びの場でもあることだ。つまり、参加の立場に応じて三重の成長があるように、三重の安心・安全の場が創られていく。まずは、先生方の指導があり、親世代の身もまりがあり、その外側にドーンと仏様の十重廿重のお護りがあるのだ。子供たちのエネルギーと可能性と共に、その不思議な力を実感させられるのが、この大会の醍醐味である。

 

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十人十色の仏の子供大会

 今年も、無事に仏の子供大会を終えることができた。

 昨年は、参加者が少なく班対抗ができなかったが、今年は、活発な班活動を行うことができた。
 参加者もバラエティーに富んでいた。小学校2年生から中学2年生までの各学年がそろった。地域も、近畿圏が中心だが、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山、滋賀と各県が揃い、加えて、九州(福岡)、中国(広島)、中部は、岐阜・愛知と、遠近各地からの参加者があった。男女比は2対8、これは圧倒的に女性が多い。そして、ベテラン組と、初参加組の比率は、見事に5対5で、かなり新鮮な顔ぶれとなった。

  そして、何よりも個性溢れる面々である。もしかすると、日頃の学校や家庭では生きづらかったり、支援が必要な子供たちも、ここではみんないきいきしていた。それぞれ問題を抱えながらも、「それがどうしたの」という雰囲気になるのが、場の力であり、法の力なのだろう。

 そんな十人十色の面々を前に、冒頭に法話をした。
 そこで、この仏の子供大会は、単なる子供会ではない。仏に子供に成るところ。といっても、決して、いい子になることではなくて、仏様に会わせてもらうこと。そのために、一つ目は「こころの勉強をする大会」であり、二つめ、班活動を通じて、「さまざまなお友達と仲良くなる」大会であり、そして、三つ目に、3日間を、元気で、楽しく過ごしてほしいという話から始めた。
 一番目の、ほんとうに仏の子供になるというところでは、まだまだ課題も多かったが、2番目、3番目は十分目的を果たした。初めての参加者が仲良くなるスピードは、大人には真似できない。最後には、まるで家族のような雰囲気になっていた。

 大人も容赦なくゲームでは子供と張り合った。水泳でも、ファイヤーでも、楽しむ時は、手抜きせずに楽しんだ。初日の室内オリンピックでは、負けた子供たちが、何人も大泣きしたりもした。それでいいのである。遊びも、仏法も、「子供だから」と手抜きした瞬間に、子供たちはごまかし見抜くのである。相手が誰であっても、ほんとうに真摯に関わるからこそ、何かが伝わり、60年以上も相続されてきたのではないか。

 その意味でも、今年もまた次回につながる、素晴らしい仏の子供大会であった。

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