7月の聖典講座~至誠心(1)
「講座仏教カウンセリング求めて」のWSの翌日は、聖典講座である。
『観経』も「定善十三観」(息慮凝心-精神統一をし、淨土や阿弥陀仏などを観想する十三の観法)が終わり、前回は、「散善三観」(三福九品・精神統一が出来ない者への廃悪修善(悪を廃し善を修める)の行)を概観した。今回から、その詳細の内容に入っていく。まず上輩段である。ところが、この最初の「上品上生」の冒頭に三心(至誠心、深心、回向発願心)が説かれている。サラッと説明すれば、すぐに終わる。詳しいと全体を見失う可能性もある。迷ったが、ここは真宗安心の最要点の一つなので、避けて通るわけにもいかない。ただし呑みすぎた頭では無理だったので、講座の当日5時半起きをして、レジュメを作った。結局、3回で、三心(至誠心、深心、回向発願心)を取り上げることにした。今月は「至誠心」である。
一応、冒頭の部分を書き下し文で示しておこう。
「上品上生といふは、もし衆生ありて、かの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらかを三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。」
お釈迦様は、散善九品を説く冒頭で、三種の心を示された。
一、至誠心(「至」は最高、真。「誠」は、嘘、ごまかしのない心。真実心のこと)
二、深 心(深く信じる心。深いとは、浅薄ではなく、決定的である決定心のこと)
三、回向発願心(「回向」の「回」とはめぐらすこと、「向」はさし向けること。 自らの善根をふりむけること。「発願」とは、浄土往生を願う心を起こすことである。当面の意味では、自らの成した善をふりむけて、浄土への往生したいと願うことになる。それを他力のお心でいただくと、阿弥陀様より回向(ふりむけてくださった)された功徳を頂き、必ず、浄土往生できることを喜ぶ心となる。)
の三種の心を発こせば、往生できると述べらたのだ。
行や善をなすにしても、どのような心持ち、どんな心を起こして行うのかを、三心という形で述べられたのだが、肝心の『観経』には、三心が示されるだけで、それがいかなるものかは、まったく説明がないのだ。それを詳細にご教示くださったのも、善導大師である。ここでも「善導独明仏正意」(善導様お独りだけが、仏様の正しいお心を明かにしてくださった)なのである。
例えば、聖道の祖師が、これは上品上生に説かれるので、最も上位の善人だけが、自分の心を修練して往生できるものだと解釈(修心往生)されたのに対して、善導様は、上々品にのみ説かれているが、以下のところでは省略されているのであって、九品すべてに通じ、また定善にも通じ、さらに本願念仏にも通じるのだとされた。
三福散善-「三福行」を往生行とする自力の三心
定善観法-「観念行」を往生行とする自力の三心
本願念仏-「本願念仏」を往生行とする他力の三心
しかも、この三心が往生の正因(三心正因)だと頂かれちる。
さて、至誠心の入る前に、本文にある「即便往生」についてである。ここは、親鸞様の御心が深い。
親鸞様は、善導様のお心持ちをさらに深く受け、『観経』には「隠顕」があると頂かれている。経文の表面どおり解釈(自力の立場)する「顕説」と、その裏に隠された内面のお心(他力の心)を頂く「隠彰」の立場である。この三心にも、自力と他力の立場があるのであるが、当然、その果報にも自力と他力の別あると頂かれたのである。すなわら、「即便往生」の即便とは、本来は二文字で「すなわち」と読むのだが、親鸞様は「即往生」を他力、「便往生」を自力、との二つに分けて解釈されているのだ。『愚禿鈔』のご指南によると以下の通りだ。
即往生-他力の三心による真実報土への往生。第十八願の「即得往生」(本願成就文)
便往生-自力の三心による方便化土への往生。第十九願の「方便往生」(第十九願成就文「便於七宝華中」とある)(続く)
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