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3連続法座(3)京都法座法座

 3連休、3日続けてのご法座の最後は、京都支部法座。華光会館での法話会である。先日の仏教カウンセリングのご縁から初参加の方、何年かぶりの方、病気を押しての参加者など、なかなか賑やかな顔ぶれだった。

 法座は、参詣者の皆さんと共に作り上げるものである。それは、法話でも同じ。
 仏説と呼ばれるお経様は、六事成就して始めて経典と認められる。すなわち、信・聞・時・主(仏)・所・衆の六事である。最初の「信」と「聞」は、「如是我聞」とか「我聞如是」と始まる。我は阿難尊者で、かくの如く聞きたまえりで、聞いたありののままに述べるという言葉から始まっている。そのあとは、今日の議事録と同じで、時(いつ)、主(誰が・仏)、所(どこで)、そして聴衆(参詣者はどれか)と続く。これが会座の必須修条件なのである。
 ただ説法主である釈尊だけではなく、その場に聴衆が集っている。説き手だけでなく聞き手もそろって、法座が成り立つのである。そのとき、ただ集まってくるだけではない。その時のの聞き手の態度、姿勢こそが、法座にも、法話にも強く影響を及ぼすことになるのだ。

 弥陀の本願が説かれた『大無量寿経』の場合は、教団の上首の仏弟子の名前が列挙され、合計一万二千人のお弟子が集ったと記載される。そこに加えて、普賢・文殊・弥勒の有名スター菩薩三名に加えて、十五名の大士(在家の菩薩)の名前が列挙されている。以下、個々ではないが、菩薩方がいかなる御方であるのか。その特徴、そしてそのお徳が、しばらく述べられていく。

 詳しくは述べないが、皆様、普賢の徳、すなわら利他の行を実践されている菩薩方である。その最後に、その菩薩方の自利の面、そして利他のお働きが詳しく述べられている。その利他のところ頂いた。詳しくは、華光誌の聖教の心を読んでいただきたい。結論だけいうならば、頼みもしないのに、孤独の私の友なり、その重荷を背負って共に歩いてくださり、こちらが願ってもいないのに、我がことのように、私に弥陀の他力回向の教えが聞けるような環境を整えて、それを教えてくださるのである。それは、まるで慈悲深い子供が親に使えるような姿勢だというのである。もう阿弥陀様のお心そのままである。皆様、還相の菩薩方なのだが、それは当たり前のことではある。

 そのような利他の精神に溢れた聴衆が集った法座で、お釈迦様は、阿弥陀様のご本願を説いてくださるのてある。

 さて、今日のお集りの皆様は、どんな姿勢、態度で、この法座に臨んでおられますか?

 

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