「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」(1)
真宗カウンセリング研究会の月例会、今月から、西光義敞先生の『育ち合う人間関係』の第四章「ビハーラ活動と真宗カウンセリング」に入る。第一項の「真宗カウンセリングの成立」を担当する。
まず、「『真宗カウンセリング』とは」の段落。
冒頭「ビハーラ活動実践家は、真宗カウンセラーでなければならない」とあった。いきなり、「ビハーラって何ですか?」の疑問が、。この論文は、ビハーラ関係の書物に出たので、その定義がない。大半が、カウンセリングから入って、浄土真宗を学ぶ途上の人達だったで、細かく註釈をつけたレジュメを作っておいた。
「ビハーラ」とは、サンスクリット語で、僧院・寺院あるいは安住・休養の場所を意味した言葉だ。今は、末期患者に対する「仏教ホスピス」、または苦痛緩和や癒しの支援活動をさすもので、欧米発祥の「ホスピス」が、キリスト教系の言葉であるのに対して、「ビハーラ」は、仏教の主体性・独自性を出したところに特徴がある。
この用語は、昭和60(1985)年、佛教大学の田宮仁先生が、水谷幸正学長に相談し、仏教を背景とするターミナルケア施設を「ビハーラ」と命名されたことに始まている。
西光先生も、初期から関わりをもっておられて、この著述の論文も、水谷学長の記念論集に収録されたものである。
では、「真宗カウンセリング」とは何か。その当面の以下のように定義されている。
「浄土真宗に生かされている者が、心の問題を抱えている人との直接的触れ合いを通して、その人を援助する実践である。援助の目的は、その人の心の病が癒え、その人の心が健やかに育ち、その人が真実にめざめることによって、身心が安らげるような、ひとつの縁となることである。」
そして、その実践に自覚的に取り組む主体が、「真宗カウンセラー」だというでのある。
いつも思うことだが、「実践」がキーワードだ。真宗もカウンセリングも、また真宗カウンセリングも、机上や文字の中にあるのではなく、生きている人の上に、直接的な人間関係を通して、しかも実践体系として躍動している点が、強調されている。ここは何度でも押さえておきたい箇所だ。
そして、この西洋と東洋、心理療法と宗教との出会いは、一方的な方向だけでなく、両方向からの出会いであり、交流であることが述べられいる。つまり、
1)「真宗からカウンセリングへ」の方向
2)「カウンセリングから真宗へ」の方向である。
1)の「真宗からカウンセリングへ」の方向では、
カウンセラーは真宗者でなくてもいいし、真宗者がカウンセラーでなくてもいい。しかし、もし、真宗者が、心の問題を中心に、援助的に関わろうとする時、真宗カウンセリングは成立する。その時、真宗者は、相手との関わりで真宗カウンセラーだといっていいのだ。
同時に、2)「カウンセリングから真宗へ」の方向では、
よりよきカウンセラーとなろうと実践している人が、その人間観を深めていく過程で、仏教や真宗に出会い、真宗者の生き方や態人的程度に共感する時に、意識していようが、していない場合でも、その人は、真宗カウンセリングを実践しているともいえるときがあるというのである。
つまり、真宗からカウンセリングだけでなく、カウンセリングから真宗へという両方向からの出会いがあり、そこに「真宗カウンセリング」の成立と、可能性・必然性があるというのだ。ともすれば、「真宗からカウンセリング」の面だけで見られがちだが、「カウンセリングから真宗」もまた、時代の要請であり、必然だというのである。
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