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『荒野にて』

『荒野にて』は、静かだが、余韻が残る映画だった。15歳の少年の揺れる心情が伝わって来る。

子供への愛情はあるが、仕事や住居を転々として、うまく人間関係が結べない父親が、女性関係のもつから大怪我をする。
たまたま出会った草競馬の落ちぶれた調教師と、殺処分直前の競走馬に出会う。父親がケガの間、ここで働きながら生活費を稼ぐ。その間、老馬に愛情を注ぎ、唯一の友人となる。ところが、父の容態が急変して呆気なく死んでしまい、しかも、唯一の友だった馬まで殺されることが決まる。
彼が頼ったのは、昔、愛情をもって育ててくれながら、父親とうまくいかなかった叔母だ。居場所が分からない彼女に出会うために、相棒は殺処分されることが決まっていた老馬を盗み出し、無謀な旅に出る。このあたりは無謀さ、計画性のなさは、子供である。そして、馬への感情移入が傷になり、悲劇も生まれてくる。

しかし、幸いに子供であることで、この無謀な旅が続くといってもいい。馬とも別れて、孤独になった少年が途上(荒野)で出会うのは、社会の底辺で生きる負け組の人達だ。イラク戦争に従軍し傷つき、アルコールとTVゲームに依存する男たち。定職にもつかずボロボロのトレラーハウスに住むカップル、時には、無銭飲食を見逃してくれるウェイトレスもいれば、彼が働いた金を盗むものもいる。皆、取り残され、孤独や自暴自棄で荒れた大人たち。このあたりが、「荒野にて」という所以である。荒々しい自然と共に、人の心もすさんでいる様子が描かれる。

しかも最後にたどり着く先は、母親ではない。自分を受け入れてくれるかどうかも、不透明の女性だ。だから、二人の出会いのシーンも、自ずから緊張感が生まれており、ここもよかった。

15歳の少年の物語ながら、同世代の友人は登場しない。(ひとりの父親に支配された少女を除き)すべて年長の人ばかりである。そこだけでも、彼の孤独が伝わってくる。それでも、荒々しい厳しさだけでなく、西部の美しい自然が描かれると共に、孤独な彼にもほのかで温かい光が差していく。

アメリカ映画だと疑わなかったが、クレジットをみたら100%のイギリス映画。なるほど、ハリウッドにはない繊細さは、ヨーロッパ映画だったからかと、納得させられた。

 

 

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