「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」
「踊り念仏」で有名な時宗の一遍上人の展覧会である。一遍上人は、別名「捨聖」とも呼ばれた。特定の寺院に止まらず、もちろん宗派を開かず、財産もお聖教も捨て、ひたすら全国行脚(遊行)して、身分の隔てなく念仏札を配り(賦算・人々の念仏を結び、極楽往生できるという証)、踊り念仏を勧めるご生涯だった。
あまり時宗には詳しくないが、このブログでは、ウド鈴木が演じた映画『一遍』のことや、別府地獄を鎮めたいわれで時宗のお寺におまいりしたとき、踊り念仏をご縁にあったことなどが、直接関係する話題。
http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-676e.html
さて今回の見どころは、国宝の「一遍聖絵」。法然展など、何度か観たことはあるが、前後期を合せて「一遍聖絵」が全巻展示される。たいへん詳細を描写で、当日の風物や時代が偲ばれる逸品だった。
個人的には、西山派の影響が色濃い(證空上人の孫弟子、法然様からは曾孫弟子になる)ので、浄土宗との関係の展示が面白かった。また、阿弥陀様の立像が尊く思えた。殊に知恩院にある法然様の臨終仏のおいわれも尊く、その着衣も独特で心引かれた。二河譬や当麻曼陀羅など、時宗以前のもの方が、ぼくには馴染みがある。
今回は、たまたま説明をくださった方があった。その話で面白かったところ。
ある時、一遍が出会った僧に、念仏札を渡そうとするが、「信心がない」という理由で拒否される。押し問答の上、無理に渡すが、その対応に悩んで、熊野に参拝する。すると、夢告で、山伏姿の熊野権現が現れ、
「なぜ、間違った念仏を勧めているのか。あなたの勧めによって、初めて人は往生できるのではない。すべての人々の往生は、十劫というはるか昔に、法蔵菩薩が覚りを得て阿弥陀仏に成った時、南無阿弥陀仏と称えることにより往生できるのである」と語ったられた。この時をもって、時宗では立教開宗としているそうだ。
ちなみに、熊野権現の本地は阿弥陀様で、浄土真宗でも「平太郎の熊野詣」が有名である。
「法然や親鸞よりもさらに進化して、信心も念仏すらいらない。身分の分け隔てなく救われる教えが、後発でありながら、たいへん民衆に師事されたという」言われた。うーん。ぼくには「?」。確かにすべてを捨て去る潔さ、踊躍歓喜の身のあり方、心ひかれる点はあるが、それは発展というより逸脱ではないのかなーと。
ただし、信心など難しいことはいらない。すでに阿弥陀様が十劫の時に成仏された時に、衆生の往生も決定しているのだという「心情」(十劫安心)は、表現に注意されながらも、今も真宗者にも色濃いかもしれませんね。
そんなことも考えさせられた展示だった。南無阿弥陀仏
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