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6月の聖典講座~『観経』散善(概説(1))

(大意)
 『観無量寿経』も、前回で「定善十三観」が終わって、今回から「散善三観」(三福九品)に入る。
 定善が、息慮凝心(精神統一し淨土や阿弥陀仏などを観想する)で、十三通りの順序立てられた観法だったのに対して、散善は、精神統一が出来ない者への廃悪修善(悪を廃し善を修める)の行が説かれる。これは『大経』の三輩(上・中・下)段に対応し、さらにそれぞれを「上生・中生・下生」に分け、合計九品に分類される。すでに序分(発起序)の「散善顕行縁」で、三福(世・戒・行)として散善の行が明らかにされているので、三福九品ともいわれる一段である。特に、最後の下品では、悪人のために念仏行が説かれていく。
  
(1)この散善では、聖道諸師と善導大師の分類に相違があるのが特徴だ。
 善導様は、正宗分を、定善十三観と散善三観(三福九品)に二分類されるが、それまでの聖道の諸師方は、分類をせずに十六種類の観法として捉えられた。それは『観経』に、「これを上輩生想と名づけて、第十四の観と名づく」「これを中輩生想と名づけて、第十五の観と名づく」「これを下輩生想と名づけて、第十六の観と名づく」と、十六の観法として説かれているからだ。それで、第十二観(普観)が、自身の往生を思い浮かべる「自往生観」であるのに対して、この九品段(第十四~十六観)を、他の衆生が往生する九種類の姿を浮かべる「他往生観」(聖者から悪人まで)だと見られていた。

 それに対して、善導様は、定善十三観までは韋提希夫人の要請に応えた説法だったが、それは、息慮凝心(精神統一をし、淨土や阿弥陀仏などを観想する)の難行で、すぐれた能力の者以外には困難である。精神統一できない心が散り乱れた凡夫のために、釋尊自らが説き開いてくだったものが散善であると、御覧になられた。すでに序分で「定善示観縁」の前に「散善顕行縁」を説かれ、廃悪修善(悪を廃し善を修める)の善行を、三福(世福・戒福・行福)として示された。そのありさまを開き、詳細に知らせるために、散善とし九種類(九品)に分類されたとのだと、善導様がご指南くださった。(続く)

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